突き刺さる視線





――小さい頃のトラウマは消えへん。



中学生になって家庭教師がついた。
それ自体はよくある話で。塾よりもマンツーマンの方がいいだろうという親の配慮の下、大学生の人が週に一度家に来るようになった。
その人は東京から兵庫(こっちの大学に進学した人やったから言葉が違うて新鮮だった記憶がある。

最初は気のいいお兄さんやと思っとった。ちゃんと分からないところは分かるまで教えてくれるし、テストでいい点を取ったら褒めてくれる。成績も上がってお母さんも満足していた。
なにか違和感に気づいたのは半年ほど経った頃だった。
隣合って座っているその人がやたら近く感じた。肩と肩が触れ合う、とかではなく背中の半分にあの人の半身が覆いかぶさっているように触れているような状態だった。耳元で話されるのがすごく嫌だった。けれど当時の私はこの不快感を本人に伝えていいのかわからず我慢した。
これが全ての間違いだったんだと思う。

「栞ちゃんって彼氏とかいるの?」
「ええ、何言うてるんですか。私まだ中一ですよ?」
「えーでも、今時の子ってそういうの早いって聞くし」
「いや、彼氏なんておらんです」
「……へえ、そっか」

唐突に始まったプライベートな話に動揺した記憶がある。

「栞ちゃんってすごく可愛いよね」
「え、」
「だってこの髪、すごく綺麗だし」
「っ、」

背中まで伸ばした髪をするりと触られた。そして毛束をつかみ、鼻を近づけた。

「うん、すごくいい匂い。これってシャンプー?」
「あ、えっと、……は、はい……」
「ねえ、もっと嗅がせてよ」

そう言って首筋に顔をうずめ、スンスンと匂いを嗅がれた。すごく気持ち悪かった。でも別にそれだけ。他に嫌なことはされていない。だから我慢しよう、そう思ってた。そんなことが何回か続いた。

「今日はここまでやったら終わりだよ」
「はい」

いつものようにテキストに鉛筆を走らせ計算問題を解いていた時だった。

「あのさ、」
「はい?」
「栞ちゃんのこといいなって思ってたんだよね」
「……へ?」
「俺と付き合おうよ」
「な、何言うてるんですか」
「大学生と付き合ってる、なんてかっこいいと思わない?」

そう言って太ももをするりと撫でた手に鳥肌が立った。この人は何を考えているんだろう。その人は大学生で、私は中学生だ。絶対に起こってはいけないことが起こっているのは、わかる。

「いや、あの、私まだそういうことに、興味無いので」
「ええ、栞ちゃん可愛いしもったいないよ。俺と付き合ったら楽しいこと沢山してあげるよ?」
「いや、あの……」

ごめんなさい、と言おうとした瞬間顎を持ち上げられ唇に何かが触れた。それが何か理解する前に口内にぬるりと何かが入ってきて思わずその人を突き飛ばした。

「いった、何すんの」
「あ、ご、ごめんなさ……」
「まあいいけど。俺、本気だからね。じゃあまた来週」
「…………」

何も無かったかのように部屋を出ていくその人が怖かった。男の人って、みんなああなのだろうか。気持ち悪い。私は何も悪いことしてないのに。私は直ぐにお風呂場に行き全身を洗った。あの人に触れられた箇所は念入りに。皮膚が赤くなって痛くなるまで洗った。
その日の夜、親に家庭教師はやめて塾に行きたいと頼んだ。何がなんでもあの人から離れたかったから。あまりいい顔をしなかった親を塾の方が競争心に火がつくとか適当なことを言って説き伏せた。
その後あの人と会ってはいない。私は穏やかな生活を送るはずだった。

けれど。
一度示した拒否反応というものは中々消えてはくれなくて。中二の時、初めて告白をされた。同じクラスでそこそこ仲の良かった男子だった。けれど「好きです」と言われた瞬間、私の頭にはあの男がいた。この人も、私のことを“そういう目”で見ているのだと思ってしまった。
その日の放課後、私は長かった髪を切った。ショートにしたいですと伝えた。ボブにしましょうか、と言う美容師さんに首を振りウルフカットにしてもらった。パッと見女に見られないように、“そういう目”で見られないように。

私はその日から今日まで、ずっとこの髪型だ。
男の人に好かれないはずの、ボーイッシュな髪型。









「おはよう」
「……北、おはよう」

朝練が始まる20分前、私は準備をしていた。

「今日も早いねんな」
「そんなことあらへんよ、今来たばっかりやもん」

ボールの準備がまだやねん、と言えば北が倉庫の方に足を向けた。

「俺が出しとく」
「えっ、ええって。私やるし」
「タオルの準備まだなんやろ?ええよ」
「……ありがとう」

私の返事を聞いて北は倉庫に向かって歩き出した。今まで通りのやり取りに安心した。もしかしたら昨日のあれは夢なのでは、と思うほどに。









「侑、タオルここに置いとくで」
「はい!」

「角名ー、ドリンクボトル空やろ?新しいやつ置いとくで」
「ありがとうございます」

「大耳、尾白、そのビブス二枚ともほつれてんねん。繕っとくから端に避けといてな」
「ああ」
「わかった」

いつも通り。私はいつも通りマネージャー業務をしているはずだ。なのに、やたらと視線を感じる。それは明らかに、北の視線だった。

「春原さん」
「治?どないしたん」

空のドリンクボトルをカゴに入れていると治が話しかけてきた。そして不思議そうな顔で口を開いた。

「何かやらかしたんですか?」
「え?」
「今日、北さんにめっちゃ見られてません?」
「そ、う……?あれちゃうかな、この前ぼーっとしてスポドリのつもりが粉入れ忘れとってただの水やった事あるやろ?せやから変なとこでミスらんように見張ってんねん。多分、やけど」
「まあ確かに春原さんがミスるん珍しいもんなあ」
「ふふ、やらかさんよう気ぃつけるわ。ありがとう」

今も、実は視線を感じていた。北に背を向けていた治には分からんかったと思う。私が誰かと話している時、すごく見られている気がしていた。









「春原」

別に悪いことをしているわけではないのに、北に声をかけられるとビク、と体が反応してしまう。

「っ、何?」
「テーピングが終わりそうや。発注しといてくれるか」
「テーピングやね、あとで品番とサイズ教えてな」
「ああ」

今まで通りのよくあるやり取りなのに、身構えてしまう自分に嫌気がさす。

「春原さん、備品注文するんすか?」
「銀島、何かあるん?」
「アイシングもそろそろ無くなりそうやったんで」
「ほんま?ありがとうなあ。頼んどくわ」
「あざっす」

また、だ。またジリジリと視線を感じる。私はブンブンと頭を横に振って気持ちを切り替えた。短い前髪が揺れる。
私は、大丈夫。大丈夫や。


突き刺さる視線
私を、見ないで
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