17.まぼろし





最悪だ。

最後の“訓練”くらいイケメンを捕まえて気持ちよく終わらせようと思っていたのに、そばにいた酔っ払いに絡まれてしまった。イケメンはそれを見て逃げてしまったし、本当についていないけれど、今日はこの人で練習しようと自分を納得させ探りを入れ始めた。クラブ特有の騒音に近い雑音をBGMに、私はバーカウンターで酔っ払いに向き合った。パッと見は普通のサラリーマンだけど、来ているスーツは上等なものだ。
調子よくペラペラと話す彼に、私は質問をなげかけた。
名前、年齢、出身地、家族構成は序の口で、会社での役職に始まり、大体の収入、最寄り駅、恋人の有無も把握出来た。恋人の有無は、いないと答える人が多いが「本当は?」と見つめながら聞くとだいたい正直に答える。
ハニートラップでは、この辺りの話術が大切だ。探られていると思われてはそこで全てが終わってしまう。
聞きたいことは全て聞けた。酔っ払いを軽くあしらいながら、早く切り上げるため次の行動に移る。“誘導”して向こうから誘わせる。

「今日は帰りたくないなあ…」

そう言って私は彼の手の甲に自分の手を少しだけ重ねる。男は気を良くしたのか私の肩に手を伸ばし露出した腕をするりと撫でた。

「本当に?それじゃあここを出ようか」

クラブを出て、男は迷うことなく真っ直ぐにホテル街に向かう。手慣れているのだろう。私はどこで撒こうかと周りを見ながら歩いていた。腕を掴まれているからこのままでは無理だ。コンビニに入って飲み物でも買わせてその隙に、と考えたところで急にグイッと腕を引かれた。

「え、ちょっと…!」

足がもつれながらも抵抗する。しかし、そのまま近くの路地裏に連れ込まれた。

「やめて!」

掴まれた左腕は多分真っ赤になっているだろう。男の短い爪が腕に食い込む。

「もう待てない」
「いや…!」

完全に盛ってしまっている。男の手が太ももに触れた。建物の壁に押し付けられているせいで身動きが取れない。今までにもこういうことがなかった訳では無い。とにかく今は男と距離をとることが最優先だ。体を触られているのは気持ち悪いが冷静にならなくてはならない。私は深く息を吐くと、男の急所に向かって足を蹴り上げた。しかし男はそれを躱し、ポケットから何かを取り出した。そしてそれを私の体に押し付けた。その瞬間、それがスタンガンだと分かった。あまりの痛みに意識が飛びそうになるが、そこは二番隊仕込みだ。拷問の訓練を受けているため、意識が飛ぶことは無かったが麻痺したのか体の自由はきかない。地面に体が引き寄せられる。路地裏に横たわった私に男は跨り、胸元をまさぐる。気持ち悪い男の熱は感じるが、声が出ない。これから起こるであろうことを考えれば意識を飛ばしてしまった方が楽かもしれない。無駄な抵抗は命を脅かすということを痛いほど知っている。恐らく普通の死神では想像もつかないくらい私の体は穢れている。でもそれは、私の生きる世界のため。命が残るなら、この体なんて誰にだって捧げる。でも本当は。
本当は、好きでもない男に触られていたいわけじゃない。私が触れて欲しいのは、あの人なのだ。こんな状況でも彼を思い出してしまうほどだったのかと笑えてくる。
しかし、今のこの状況は私の命を守る為には仕方の無いことだと思い込まなくては。そう思った瞬間だった。頭の先でザッ、と足音がした。

「何しとんねん」

絶対に聞こえないはずの声が、空から降ってきた。


まぼろし
お願いまぼろしであって
 
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