09.虚構からの逃亡


あの初めてのキスから、二つの季節が過ぎた。人並みに恋人たちがすることはすべて済ませた、と思う。私の“仕事”は、ここからが本番だ。彼が瀞霊廷に、尸魂界にとって害をもたらす存在かどうか調査を重ね、報告せねばならない。この半年大きな動きは特になかったと思う。仕事でもプライベートでも。しかし、百年越しにこちらに戻ってきた彼を思えばたった半年では何もわかっていないのと同じだ。まだまだ探りを入れなければ。
しかし今は、この任務からどう抜け出そうかと、隣で無防備に昼寝をしている彼の体温を感じながら、先日の乱菊さんの言葉を思い出していた。






「最近どうなの?聞かせなさいよ」

サシで飲みに行こうと誘われ、断れず近くの居酒屋に入った。乱菊さんは勝手知ったるなんとやら、と言った感じで奥まった半個室に私を押し込め口を開いた。

「どうって…別に普通ですよ〜」

おしぼりで手を拭きながら答えた。メニューを見るまもなく、生二つと冷奴と枝豆!とカウンターに叫ぶ乱菊さんに苦笑した。

「普通〜!?平子隊長がアンタにゾッコンだって聞いたわよ」
「ゾッコン、って…」

あはは、と笑い濁した。瀞霊廷に知れ渡っているのは知っているし、特に隠すこともしていないから話に尾ひれはひれがつくのだろう。

「アンタとすれ違う時、平子隊長顔がすごーくにやけるんだって」
「え?そうですか?普通だと思いますけど…」
「それにそれに、街歩いてる時とか横に並んでるのにずーっと優しい目でアンタの顔見てる、とか聞いたわよ〜!」

最新のおもちゃを見つけた子供のような笑顔で私にそう詰め寄った。

「ほんとそんなことないですって!お優しい方に違いないですけど、そんなに言うほどでは…」
「あらやだ惚気けちゃって」
「惚気けてません…!!」

はい生二つねー、と運ばれてきたビールを持って乾杯する。一口飲んだあと乱菊さんが口を開いた。

「アンタたち付き合い出してどのくらいになるんだっけ?」
「んー、半年過ぎたくらいですかね」
「…なるほどね」

何かを考え込む乱菊さんに少し引っかかる。

「何がなるほどなんですか?」
「いや、うーん…」
「えっ、気になるじゃないですか!」
「これアンタに言ってもいいのかなーと思って」
「…?」

実はさ、と話し始めた乱菊さんを見つめた。

「私の部下がね、先週末見かけたんだって。平子隊長を」
「はあ、どこでですか?」
「それがね、現世でさ」
「現世…?」

平子隊長は、こちらに戻って以降あまり現世の任務は入っていないはずだ。ゼロではないと思うが。

「そう、現世の任務帰りなのか目的がそれだったのかわかんないんだけど」
「目的?」
「ええ、その見かけた場所っていうのが高級ジュエリーショップだったらしくて」
「ジュエリーショップ…?」

何の目的があったのだろう。とはいえ行き先はジュエリーショップなのだから、アクセサリーの購入が目的なのだろう。考え込んでいると乱菊さんがニヤッと笑った。

「そのショップ、今現世ですっごく人気なんだけど、ジュエリーショップって言ってもね、“婚約指輪”専門のショップなんだって!」
「こんやく、ゆびわ…?」
「平子隊長、ショップの袋持って出てきたらしいわよ〜!若い人向けのデザインで、すっごく高級ってわけでもないらしいんだけど、コンセプトが評価されてるらしくて人気らしいわよ。婚約指輪専門店だからほとんどのお客さんが男の人らしくてね、」

その後のお店の情報はほとんど頭に入ってこなかった。“対象”が婚約指輪を購入した。

その対象の恋人は、私。
私と婚約?まだ、付き合い始めて半年だ。知り合って一年も経ってない。

そんなこと、あるわけない。

「やるじゃないアンタ!これで安泰ね〜」
「いやでも、そう決まったわけではないですし…」
「何よぉ、私の部下の話が信じられないってわけ?」
「いや、そうじゃないですけど…その、現地味が無くて…」
「長く付き合うイコール結婚、じゃないからね?時間なんて関係ないんじゃない?ってまあ、結婚してない私が言うのもアレだけど」

そう笑って冷奴を口に運ぶ乱菊さんに苦笑するしかなかった。




彼にプロポーズされる?
それは、いくら諜報活動が仕事で割り切っていると言えど、心が痛い。彼が好きなのは“演じている私”。相思相愛ではないのだから。
それに、婚約なんて仕事の邪魔にしかならない。断るのは申し訳ないし、もし受け入れた場合その方が深く探れるかもしれないが、破棄した後が問題だ。次の仕事が似たようなものならば影響が出てしまう。“恋人”を演じるのが限界だ。
彼が動いたのかソファが軋む。彼の部屋でこうして過ごすのは、後どのくらいだろう。


構からの逃亡
速やかに、終わらせないと
 
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