16.飛躍した失考


日が落ちてからだいぶ時間が経った。相変わらず人が減らない。まだみんなガッツリ残業する気なんだろう。私もその内の一人で、新人が買ってきてくれたお弁当を食べながら資料に目を通している。濃いコーヒーが欲しい。今は、22時頃だろうか。時間を気にすると仕事に集中しにくくなるのであまり時計は見ない。冷たい筑前煮に箸を伸ばしながら、お昼に思いを馳せる。あの冷めても美味しかった西京焼きをまた食べたい。京楽隊長が、日によっては鯛の日もあるって言ってたなあ。そう思いながら箸を口に運んでも入ってくるのはお弁当用に少し塩気が強い筑前煮。

「春原さーん!お食事中すみません」
「ん、…大丈夫だよ」
「すみません、この書類なんですけど……」

このお弁当を食べていても筑前煮が西京焼きに変わるわけでもないし、後輩からの質問が減るわけでもない。質問に答えながらさっさと食べ終わり、ゴミ箱に空箱を捨てた。




「うわ、雨だ」

誰かのつぶやきが耳に入る。そう言えば夜中から雨だって天気予報でも言ってたな。朝にかけて強くなるって言ってたし、そろそろ帰ろう。
机の上を軽く片付け、席を立つ。雨が降ってきたことを知り、帰り支度をしている人も増えた。私もその流れに乗り、置き傘を手に取り管理棟を出た。




昼間はそこそこ暖かかったのに、雨が降ったせいか思いの外冷える。早く家に帰って暖かい部屋でゆっくりしたい。自然と足早になり、すぐにマンションに着いた。
傘を閉じ、オートロックを解除する。郵便受けには夕刊が挿さっていた。それを引っ掴み、エレベーターに向かう。すると後ろから声をかけられた。

「お疲れさん」

バッ、と振り返ると、エントランスに置いてある客用ソファーに彼が座っていた。何故かコーヒーを飲みながら。

「肩濡れとるやんけ。部屋入ったらちゃんと拭かなアカンなァ」
「……えっ」
「えっ、って何や」
「あの、どうしてここに」
「いや、オートロックの前で待っとったらなァ、管理人のおっちゃんに最初不審者やと思われて通報されかけたンやけど、身分と事情を説明したらここに通してくれてコーヒーまで入れてくれてん」
「いや、あの、そういうことではなくて…」

今日は彼と隊首会で顔を合わせただけで、私は何もしていないはずだ。それにやっぱりどう話していいのかわからなくて敬語になってしまう。

「あー、…話さへん?」

またそれか。何を、話すのだろうか。遂に彼との関係に決着がついてしまうのか。ぐるぐると頭の中を思考が回り、言葉が出ない。彼はそれをどう勘違いしたのか少し不機嫌な顔になった。

「なんや、部屋に男でもいるんか?」
「えっ、そんな!いません!」

思いの外大きな声が出てしまい、バッ、と手で口を塞いだ。こんな時間にこんなところで騒ぐのは良くない。

「…こちらに、どうぞ」

私は彼にそう言ってちょうど降りてきたエレベーターのドアを抑えた。エレベーターの中は勿論二人きりで、でも沈黙で満たされていて、平常心でいるのがつらかった。エレベーターを降り、部屋に案内する。玄関のドアを開け、彼をリビングに通した。




「めちゃめちゃいい部屋やんけ……家賃ナンボやねん……」

そう独り言のように言う彼を無視してお茶を入れる。お湯を沸かしている間に洗面所に向かい、バスタオルを掴み服の上から羽織るようにして掛けた。彼もその間、何も言わずにソファーに座り私を待っている。お盆にお茶を乗せ、リビングに運ぶ。彼の前にお茶を起き、私も向かい側のソファーに座った。

「統括経理ってそないに儲かるんか?」
「……まあ残業が多いので自然と給料は上がりますね」
「外観見て高そうやなとは思ったけど、こんな部屋に住めるなんてお前凄いなァ」
「……それで、お話とは?」

なかなか本題に入ってくれない彼に少しムッとした。場の空気を和ませようとしてくれているのだろうが、今更何を和ませるというのか。しかし、彼はそれ以降何か言い渋るような表情でこちらを見ている。でも、目は合わせられない。

「回りくどい言い方出来へんから、単刀直入に聞いてもええか?」
「…はい、何でしょうか」

彼は、何を言うのだろう。「俺らの関係、終わってるやんな?」とか「俺と付きおうてたこと今の若い奴らに言わんといてくれ」とか。私は彼の新しい生活に邪魔、なのだろう。人前でしにくい話だからこうしてわざわざ私の家まで足を運んだのだろうか。私は口を真一文字に結んで彼の言葉を待った。

「京楽さんと、付き合うとるんか?」
「…………は?」

躍した失考
何をどうしたら
そこに至るのか


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