09.変わることなんてない


「戻りました」

「おー、ご苦労さん」

何事もなかったように、執務室に入る。経理部長に報告をして、デスクに戻った。相変わらず仕事は溜まっている。こなせどこなせど書類の山は減らない。大丈夫、目が腫れていることも誰も気づいていないみたい。紙をめくる音が響く執務室で私も書類に手を伸ばした。





「お先に失礼します」

お疲れさまでしたー、と後輩たちから返事が返ってくる。

「珍しいですね」
「あー、今日は疲れちゃったから定時で帰ろうと思って」
「ああ、今日指導とか言ってましたもんね。ゆっくり休んでください」
「ありがとう。お先に」

途中声をかけてきた後輩にそう伝えて隊舎を出た。外がまだ少し明るい。定時で帰るってこんな感じだったっけ。背中に夕日を背負って帰る。日付が変わるころに帰るときは瞬歩で帰ってしまうが、今日はゆっくり歩いて帰ろう。今日のことを考えたくないからいつも通り仕事をしようかとも思ったけれど、なんだか家に帰って早く布団に入りたくて定時で上がってしまった。今日ばかりは仕事をしていても、あの眩しい金髪がチラついてしまった。






家に帰り、すぐにお風呂場に行き浴槽にお湯を張った。最近はシャワーで済ませていたから、時間がある今日は少しでも体を休めたかった。

「ふう、」

やはり湯船につかるのはいい。足元が特にぽかぽかする。凝り固まった肩をほぐす。今日のことをまた思い出してしまった。私が振り返った時の彼の顔は忘れられない。彼のあんな顔見たことない。あんな顔、私がさせたのか。わたしが。あの時は、彼が本当に生きていたことに思考をすべて奪われてしまって、他には何も考えられなかったが、今になって落ち着いてまた考えてみると、他のことにも思いが向かう。

「五番隊の隊長か……」

彼のことを知る隊士は少ないだろう。そんな中でもすっかり五番隊のトップとして溶け込んでいた。五番隊の人達が彼の過去を知っているのかは知らないけれど。

「……真子、」

もう二度と呼ぶことはないと思っていた名前。この百年、貴方の名前を呼べば、私は壊れてしまうと思っていた。彼がいないのに、彼の名前を呼ぶなんて、まさに彼の存在を否定することになってしまう。だから口に出さなかった。出したら更に会いたくなってしまう。彼の影を色んなところで探してしまう。そう思っていた。そうでなくても、今話してるのが彼だったら、と何度思ったことだろう。
ちゃぷ、と浴槽のお湯がはねる。
はっ、とした。彼に会ってしまったせいで、頭の中が百年前に戻ったようだった。今の私は、この百年を耐えてきた私なのだ。彼がいなくなってすぐの私とは、違う。
会いたい会いたいと願っても会えなかった人が目の前にいた。でももう私と彼は、百年前と同じ関係ではない。落ち着かなくては。今日だってイレギュラーなことはあったけれど、いつもの普通の平日だった。この百年と、同じ。明日からはまた“いつも”通りだ。


わることなんてない
“変わる”ことはあの日以来、苦手だ


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