08.やっかいな繊細
スクアーロの言った通り、目深く帽子を被った男はベルに追いかけられる形でこちらへやってきた。
男はザンザスの顔を見ると酷く狼狽し始め、帽子を取りその場にたたきつける。
英語でクソッと言い膝から崩れ落ちてしまった。
「俺がただの護衛だと思った?んな訳ねーじゃん」
ベルが幾重にもナイフを取り出すと、
観光地とは思えない、薄暗い路地裏で殺気が立ち込める。
雨はますます強くなり、あと少しもすれば土砂降りになるだろう。
「どこのファミリーだ」
「違うんだ、自分はただ依頼されただけで・・・!」
「口の緩い奴だなぁ」
ザンザスの問いに答え、喋ってしまった事をスクアーロに咎められる。
こんなにも早く自分が依頼されたという事、どこかのファミリーが婚約者の存在を
既に知っているという情報を与えてしまったのだ。
男はその指摘により一層狼狽し顔が真っ青になっていった。
「じゃあ後はオレがやっちゃっていいよね、ボス」
「報告だけしろ」
「はーい」
ベルの明るい返事だけを聞き、ザンザスはきらを小脇に抱えたままスクアーロと路地裏を抜けた。
こんな事は初めての昼食会が終わった後以来だった。
きらはザンザスと路地裏で会えた事を感謝し、大人しく帰路についた。
観光は中止になり、ヴァリアー邸に戻り皆で息を着いた。
そしてきっと、ベルが屋敷に戻ってきたら驚くだろう。
帰路についている間に自分の幸運さとザンザスは実は優しいのかもしれない、という気持ちを打ち砕かれてしまった。
そう、ザンザスときらは大声で言い合っているのだ。
「てめぇは老いぼれのとこに行って何してんだ!!」
「近況を話してるだけです!」
事の発端は手間のかかる女だ、何でこいつを貰ったんだとと屋敷に着くなり言われた事だった。
全くの迷惑だと言うような仕草できらは頭にきてしまった。
確かに迷惑はかけたが、ここまで言われる筋合いはないと言い返したのが全ての始まりである。
談話室でのんびりしていたマーモンは静寂を破られ、少しばかり不機嫌になったものの、きらの変化の方へ驚いていた。
「きらってあんな子だっけ」
「ああ、オレもそう考えてた」
スクアーロも別に談話室に入らなくても良かったのだが、ザンザスの言葉にきらが食いついた事が心配になって一緒に入ってきたのである。
ザンザスはいつもの肘掛椅子に座り、婚約者は雨で濡れた髪の毛を気にせず彼の前に立ちはだかったままだ。
「面白いなぁ」
「面白いかな・・・」
マーモンは言葉の意味が全くわからなかった。
「お前は俺の婚約者だ。だから狙われたんだ!
黙って大人しくしてろ!!」
ザンザスは目の前に置いてあったグラスを全て床へ払い落しす。
その音がマーモンとスクアーロを喧嘩の観戦者として引き戻した。
絨毯が敷かれていた為割れる事は無かったものの、ザンザスの怒りを知らせるには十分だったのだ。
「私があなたの婚約者だから狙われたの?」
「ああ。スクアーロ、お前から教えてやれ。この世界がどういうものかを。
老いぼれの所に行ったってなんもねぇ」
きらの問いを二言で返し、スクアーロへ吐き捨てるような指示を出した。
目の前に立っている怒れる婚約者の意見なんて、ザンザスにとってはただの雑音でしかなかったのだ。
女はいつだってこうして騒ぎ立てる、煩わしいものだと思っての態度である。
「私の事、婚約者だって言いました?」
「それがなんだ」
「じゃあ、あなたも婚約者がいる身として清廉潔白であって下さい」
「何が言いたいんだ?」
ザンザスの声に怒気が含まれてくる。これはやばいかもしれないと、スクアーロが顔をこわばらせ、体を前に構えた。だがそれは杞憂に終わった。
「懇親会でよその女とキスしないで」
それを聞いていたスクアーロが吹き出し、笑い始めた。
いつもならザンザスがすかさずスクアーロを殴っているが、今日はそれどころではないらしい。
「確かに面白い子だね」
笑い転げるスクアーロを横目にマーモンも時を経て、先程の意見に賛同した。
あまりに笑われるのできらはおかしな事言ったのかな、と少し不安になる。
この世界で暗殺部隊の婚約者になり、狙われるリスクがあるというのは腑に落ちた。
しかし、自分だけが婚約者として大人しくしていろと言われたのは理解できなかったのだ。
きらの言葉に怒りを覚えたザンザスだったが、彼女の言っている事には思い当たる節があった。
しかしながら清廉潔白であれなどと、この小娘に言われる筋合いは無いと慢心した。
それよりもこんなにも自分に挑んでくる女だったのかとザンザスは疑問に思う。
元来の性格なのか、こちらに来てからこうなったのか。
ザンザスは深いため息とともに、肘掛椅子に深く座り直した。
誰が見てもきらの言い分が正しいものだった。
「流石、ボスさんの婚約者だけあるぜぇ」
ヴァリアーのNo2の為、ザンザスと行動をよくしていたスクアーロは幾度か女との喧嘩は見ていた。宿泊先のホテルに乗り込んでくる女もいれば、貸し切っていた筈のレストランにやってきては、ザンザスに文句を言う女を見てきた。
真剣な関係であった女もいただろう。しかし、ザンザスにとってはそうではなかった様だ。
どんなに言われようにもザンザスは毅然とした態度で女達を追い返しては、新しい女を手に入れていた。たとえ自分が悪かろうとも、である。
その事もマーモンは知っていたのだ。
だがこのきらの時はどうだろうか。
確かに、今回はきらの注意不足でこの事件が起きた。勿論、ベルにも責任の一端はある。
ザンザスはマフィアの世界の婚約者らしくしろ、という意味で何も知らない婚約者へ忠告をしたのだろう。
そしてきらにああやって切り替えされてしまった。これはザンザスにとっての不測の事態である。
こうして女に言葉を詰まらせている瞬間をスクアーロが見たのは初めての事だった。
「え、なにこれぶったまげなんだけど」
「おお、早かったな」
「いや雑魚だったし。なにこれ、ボスときら 喧嘩してんの?」
「そうだよ。どっちが勝つか賭けるかい?」
「やなこった。オレあとでボスんとこ行くし」
きらとザンザスの言い合いは、マーモンの持ちかけがかなう事もなく終わった。
雨に濡れた婚約者がくしゃみをしたからだ。
この日のスクアーロがやけに思い出し笑いをしていたのは言うまでも無い。
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