04.夜を飲み干す

きらとの騒動があってから、ザンザスと彼女は口を一切聞いていなかった。


今日はロレーヌに拠点を置いている部隊に用があり、スクアーロと赴いた次第だ。
移動の最中に彼からの懇々と続いた「ああいう事はもうやるな」という話を、ザンザスは無視しつづけた。時折殴られてでも、めげずに話した努力は無意味だった様である。

そして用事は大したものではなく早々に終わった。

「来なくても良かったなぁ」

スクアーロは何故、今回この用事にわざわざ着いてきたのか知っていた。きっときらの顔を見るのがまずいと思ったのだろうと。

夕食会に参加し、イタリアへ帰国すると言うスケジュールだった為、会場となる老舗レストランへ向かった。そして、気を遣った者がいる様でささらかでありながらも招待客は麗しい。女性が数名おり、内一人はモデルの卵だという女だ。いずれもモデルであろうがなかろうが、十分美しい。

その場に居るだけで花が咲くような女がモデルの卵であるが、彼女はザンザスをひどく欲しがった。それはそれは誰の目にも明らかな事で、熱い眼差しを向けられているザンザスは特段気にしていない様だ。寧ろ、こういったのは珍しくないのである。
ただ、いつもと違うのはスクアーロがきらを思いながら、少し不安を抱いていた事だ。


結果、銀髪の剣士の不安の通りザンザス1人で寝るはずであったキングサイズのベッドで女と口づけを交わしていた。

女は満足そうに声を時折もらし、ザンザスの後頭部へと手を回していく。彼自身もこの後に起きることに対しては満更でもない。女のドレスの紐を取ろうと、手をかける。

ふと、年下の婚約者のブラウスにも漆黒のリボンが襟元にあしらわれていた事が思い出された。
自分の下で自分に怯え言葉を失った様子は肉食動物を目の前に死を覚悟し、固まってしまった草食動物と同じであった。いや、そうだっただろうか。女と口づけを交わしながらザンザスは再びその時に戻り記憶を辿っていく。この女と違って肌は冷たく、噛みついた時は痛いと声をあげていた。きらの睫毛は濡れていたな、と瞬間瞬間を思い出す。
ああ、でも濡れていた睫毛に縁どられた瞳には自分に負けんとする強い意志を感じられた。

よくも知らない男から花を受け取っておいて口答えが出来たものだな、とザンザスは苛立つ。彼にとってのその時の最善は行為を中断した事ではなく、抵抗する隙も与えずにさっさとしてしまえば良かったのかもしれない。そうすれば今目の前にいる美女との行為に気持ちよく集中出来た筈だ。たった少し、きらを思い出しただけで彼女の態度がザンザスの脳裏にこびりついて離れないのである。

記憶を振り切ろうと女のドレスの蝶々結びを解き、そのままベッドへと押し倒す。
ベッド側の薄オレンジ色のランプが女のブルネットを輝かせ、女の瞳が欲に燃えている様がよく見えた。

どうにもザンザスは目の前の事から意識がそがれてしまう。
もしあのままきらが悲鳴をあげて気絶してないかったとしたら、自分はどうしただろうかと彼はまた考えてしまったのだ。

ネクタイを緩めながらその先を想像する。きっときらは泣き叫んだだろう。
出せる限りの力を込めて、大声をあげ抵抗してきただろう。
けれども自分はきっと誰も助けに来ないと非情にも彼女に告げるだろう。
全てが終わった頃には何もかも終わるのだ。
始まってすらいないこの関係はきっとなんかではなく、完全に破綻するだろうと。

女がザンザスの逞しい太ももへ手を滑らせる様にして、ベルトに手をかける。
婚約者の怯えた顔が彼の脳内でちらつく。まるで彼女が彼の体の中に入り込んだような感覚だった。

そして、女の手がベルトから内太ももへと這った時、きらの悲鳴が頭の中で反響した。
涙でぐしゃぐしゃになった顔、絶望し大きく開かれた瞳、全てがはっきりと鮮明に思い出されるのだ。彼女の叫び声によって静まり返った部屋には雨の音がよく聞こえた。
幾ばくか青ざめた顔を残し、きらは眠るように気絶していった。彼女が目の前にいるのではないか、と不安になりザンザスは瞬きをする。いいや、居るのはブルネットヘアの女だ。

ひりひりと形容しがたい不快感が胸元に込み上げる。飲みすぎでも、食べ過ぎでもない。
ザンザスは自分の中に悪いことをした、という感情が芽生えていたのを認めたくなかった。
何故なら目の前の出来事に対する気持ちが冷めており、その理由がきらであることが気に食わなかったからだ。
こんな事はありえない、と苛立ったが誰に対して苛立っているのかも形容し難いものだった。


「失せろ」

「え?」

「興ざめだ。とっとと失せろ」

女が焦り始める。ザンザスはとうにベッドから体を下ろし、部屋にあったウィスキーに手をかけた所だ。

「どうして?気分じゃないの?」

慌てて女がベッドから降り、ザンザスにすり寄ってきた。綺麗な四肢を持っているのはさすがモデルの卵と言ったところだろう。
目の前の色男が苛立っているのは女にも十分伝わった。それでも女はザンザスの二の腕に手をかけ、再度誘いかける。


「殺されてぇのか」

人を殺めかねない、と女にわからせるには十分な程に怒気が籠った声だ。
ザンザスはウィスキーの瓶を握っている手に力を込める。視覚に訴えかける脅しに女は言葉を失ってしまった。

モデルの卵の顔は青ざめ、すぐに手を離しドレスを抑えながらバタバタと部屋から出ていったのだ。
自分が手を出した男は火遊びには危険すぎたという事を理解した瞬間であった。

扉が閉まったのを確認すると、ザンザスはソファーに腰掛け靴も脱がずにテーブルに足を載せた。
しっかりとウィスキーのボトルを握ったまま。
自分の脳内で目の前の女と交差するきらをどうにか記憶から払おうと躍起になり、ほかの事を思い出すも中々上手くいかない。幾度も悲鳴をあげている彼女が自分の脳内に戻ってくるばかりだ。


「ボスさんよぉ、こういうのはもうやめたらどうだ」

「うるせぇんだよ」

ノックもせずに入ってきたスクアーロに向かってザンザスはそのボトルを投げた。
冷てぇだろぉ!!と叫ぶスクアーロを無視し、もう一本あったウィスキーに手をかける。

ザンザスがこの時感じていた気持ちを認めれるのはまだ先の事である。

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