20.オーロラを呼んでいる

この頬に着いた汚らしいものはなんだ、と青年は怒りが込み上げている。
兄がボンゴレを統べるべく候補から落とされた時は恐ろしく落胆した。兄は自暴自棄になり酒におぼれ、生業からは手を引いてしまった。ファミリー全体にボスの座を奪われたという失望感は蔓延った。あのボンゴレのボス候補がいるという時の人の視線や、ファミリー全体の明るさも失った。こんなのはあるべきではない、と青年は悩み、次第にザンザス憎悪の感情が生まれていったのである。

今、自分の下で痛みもがき苦しみ泣いている女の命を奪えば報復になると思ったのだ。この機会をずっと待っていた。この報復こそが、自分のファミリーにとっての希望になると。
しかし精神不安定だと聞いていた筈の婚約者が、こんなにも気丈だったのは青年にとって誤算だった。初めて会った時とは印象が違った。まさか自分の頬に唾を飛ばして抵抗をしてくるなんて考えもしなかった。頭が燃え上がる様な感覚に青年は飲み込まれそうだ。

目の前で祈る様に瞳を瞑っているきらが酷く忌々しく感じられる。計画倒れ等していないのに、している様な気がしたのだ。頭の中に何か虫が入り込んだかの様に青年を苛立たせた。
そのいら立ちを払う為にも顔を潰してやると思い腕を振り上げた。

けれども青年の腕は下がる事はなかった。

怒りと恨みで詰まった体に穴を無理やり開けられる様な激しい痛みが、肩口から襲ったのだ。

「ああああ!!!!」

あまりの痛みに抑えきれず声を上げた。首根っこを掴まれ、婚約者の上から引きずり降ろされる。抵抗しようにも抵抗など出来なかった。一瞬の出来事だった。首元を強く掴まれ何度も何度も顔を殴られたのだ。鼻が折れたのか、と思う程の強さだった。
青年がきらにしたのと同じように地面に叩き付けられる。鼻血がぽたぽたと地面に零れていく。
登り切った山から足を踏み外した気持ちになった。誰が自分を引きずり落としたんだ、と思い瞳を開けると忌むべき男のザンザスが怒りに瞳を燃やしているではないか。

ザンザスはまるで雪景色には似つかわしい怒れる獅子の様であった。
炎が出ている訳でもないのに、ザンザスの辺りには炎が立ち込めている様だ。きっと触れなくとも側にいるだけで焼き殺されてしまうだろう。暖炉の中に燃える優しい物などではない。地獄すら燃やす恐ろしい炎だ。

「カスが、ボンゴレを統べれると思うなよ」

雪を纏いつつも、上から地面に転がった青年を見下ろしていたザンザスには勝てないと青年は一瞬にして思った。心臓が冷える様な、自分の中で燃え上がる様な恨みが消え、後悔の念に代わって行った。有無を言わさぬザンザスの気迫に怖気づいたのだった。
声を聞いてきらはやっぱり、生きてたじゃないと思ったが起き上がる事は出来ない。
ぼんやりと目を上に向け乱暴な音が耳に入り込むだけだ。

「あ、ザンザス、待ってくれ、僕は!」

「う゛お゛ぉい、てめぇはこっちだぁ」

青年は銀髪の剣士に鋭い切先をちらつかされる。そして、ザンザスが踵を返した頃にはまた悲鳴があがっていた。

ザンザスは握っていた花瓶の破片を地面に投げ捨て、力なく横たわり泣いている婚約者の側へ駆け寄る。力いっぱい、花瓶の破片を握りしめていたので手は血だらけだったがそんなのはどうでも良かったのだ。
ぐったりと横たわっているきらの頬は濡れており、泣いていた事がよくわかった。

自分が似合うと言ったドレスは汚れていて、転んだのか足も擦りむいていた。自分が脅した時よりもすっかり弱り切っている。ザンザスは胸が痛んだがジャケットを急いで脱ぎ、くびれの下に腕をそっと通して抱き起こし、婚約者にジャケットをかけた。


「ごめんなさい」

今にも消えてしまいそうな、弱々しい声だ。
髪の毛は乱れており、自分が駆けつけるまでの間の事をザンザスに想像させた。
きらも沢山泣いた筈なのになぜか彼の顔を見てまた、泣いてしまったのだ。

「謝るな」

ザンザスはそんなのはどうでもいいと言わんばかりに親指で涙を拭う。
時間が進むごとに大きくなっている雪の粒がきらの服の上に落ちていく。

「怖かったな」

きらの肩を寄せ、ぎゅっと抱きしめてザンザスは弱り切った婚約者を労った。
怒りで血が沸騰するような感覚はまだ薄れていないが、今は彼女の無事と勇気を褒め称えたい気持ちなのだ。よくやった、と力一杯に抱きしめてやりたい気持ちでいっぱいなのである。

「私のせいで、こんな事・・・」

無意識なのかザンザスの胸元を掴みきらは泣きじゃくっている。言葉をつまらせながらも謝罪の言葉を述べるのは自責からきていた。全てを台無しにしてしまった、と自分を責めた故である。パーティーで青年と話し、花束を貰い喜んでいた自分が酷く愚かに思えて仕方ない。全ての元凶が自分だったのだと、ザンザスに申し訳なく思っているのだ。

ザンザスはきらの背中を摩り、乱れている髪の毛に口づけを落とした。

「お前のせいじゃない、大丈夫だ」

とっくに気絶してしまった青年の背中に足を乗せながら、寒さのあまり耳が赤色に染まったスクアーロは反目し合っていた二人を眺める。あの暴君がここまで一人の女を思い、気を遣うとはと驚きの感情が隠せない。


「ごめんなさい」

「もういい、気にするな。大丈夫だから泣くな」

優しくさすってくれるザンザスの手が暖かくて、きらは久しぶりに安心感を覚える。それに確かに彼は生きている。この男が死ぬわけないのだ。でも、無事で良かったと安堵した。

「無事で安心しました」

その言葉を聞いたザンザスはどうしてもきらを両腕で抱きしめたくなった。自分の面倒な縁に巻き込んでしまったのに、危うく命を落としたかもしれないのにと。
怯えて縮こまったきらの体を温めるように背中にゆっくりと腕を回し、抱きしめる。
自分の腕の中にいる彼女の体は冷たい。そして、柔らかく小さい。
力は弱かったがきらもザンザスの背中に腕をおそるおそる回した。きらには大きすぎるザンザスの背中に腕をぐるりと回す事はできない。でも、とても暖かった。ちゃんと自分も彼も生きているのだと改めて実感した。

駆け付けたばかりのるルッスーリアの目に映ったのは雪降る夜に身を寄せ合うで、思わず息をのんだ。
互いを思いやるきらとザンザスがこの世で最も尊いものに思えたからだ。
自分も駆け寄り、抱きしめてやりたい衝動に駆られたがザンザスのきらを思いやる気持ちを優先した。いいや、そうしたくなったのである。
傷心しきったきらを抱きしめ、温めてあげれるのはザンザスしかいないとわかっていたからだ。


きらはザンザスの腕の中でやっと空から降ってきたものは燃え尽きた灰では無く雪であると認識ができた。
自分の血は一切流れていなかったが、この雪が全てを洗い流してくれると思い、重たい瞼に抗わず目を瞑った。


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