10.夜明けよりもやさしい
ボンゴレ邸で9代目から来週に控えたパーティの概要を聞かされた帰り道だった。
ザンザスは酷く気が立っている様だったが、きらはどうしたの?とも聞かずに黙って車に乗り込んだ。
視界に映り込む景色をぼんやりと眺める。
イタリアって電柱がないんだな、などと考えながらとなりにいる男の事も考えた。
きらはザンザスのことが全くわからなくなった。自分との婚姻を忌み嫌っていたのかと思えば、助けてくれた。その後も言い合いをしたにも関わらず、別の日には冷静にお互いを知らない事を認めてくれた。
こんな一面もあるんだ、と思ったが結局ベルを交えてみんなでホットワインを飲み終わってしまった。
でもきっと突然暴発するんでしょうときらは彼を恐ろしく思い、懐疑的でもあった。
その理由にはやはり、彼女の全てを奪おうとしたあの日が大きく関係していた。
けれども、どうして彼に所々惹かれるのかもわからなかった。
抱き寄せられた時はひどく安心した。嫌悪する事などなかった。彼の手が自分に触れているのが、いや、彼に触れられているが当然の様な感覚だった。好きでも嫌いでもない、突然の婚約者にきらは未だに混乱していた。そして、ほんとよくわかんない、と息を吐いて考えるのをやめた。
そしてとなりにいるザンザスはきらに対して思うところがあった。
婚姻に関しては事実疎ましいものであり、反故したいものである。しかし、この婚姻はゆりかごやリング戦へと持ち込んだ事へ対する最後の処罰であるとザンザスは理解していた。身を固めさせ、落ち着かせるつもりなのだ。それに対してザンザスは憎たらしい老いぼれだ、と決まった日から何度も思った。勿論今日も、9代目と言い争いそうになったが現状立場が未だに弱いのは彼の率いるヴァリアーであった。
ザンザスはすっと前を見据えながら今後の事を考えた。反故にしたいのも9代目との確執によるものあった。単に婚約者を作られたのも不満であったが。
9代目に向けるより良い反故の方法は何かと考える。反故した際のリスクは十分にあったが、それよりも忌々しいこの処置を跳ね返したかったのだ。
考えるとやはり、この隣で景色を眺めているきらを無理やりに犯し、ひどく傷つける事だろう。
殴ってもいい、ザンザスはそう考えた。
隣で残虐な事を考えている男がいるとはきらは思わなかった。
しかし、ザンザスもなんだかこの方法は何だか疲れる気がした。方法が、ではない。反故にする事を考えるのがひどく疲れる気がした。
目頭を抑え、腕を組み直し考えた。
8年間氷漬けにされていたザンザスには婚姻は早い話ではないかと、運転をしているスクアーロも考えた。バックミラーから見える2人には親しさも感じられなかった。
けれどもザンザスには落ち着いてほしいし、きらには帰らないでほしいと思っていた。
彼女がいる事でザンザスが穏やかになっていく、そんな気がしていたのだ。ただの願望かもしれないが、スクアーロにはそう思えたのだ。
「おいカス鮫、どこに向かってる」
「バールだぁ、天気も良いしやる事もねぇだろぉ」
スクアーロはそう言いながらハンドルを左へ切った。既に屋敷へと向かう道は大いに外れていた。
納得が行かず不満を告げようすると、屋敷にいる事が多かったきらがバールと聞いて、スクアーロの方へ顔を向けて嬉しい!と反応した。
やる気の失せたザンザスは好きにしろと言った。
町から外れたところにあるというカフェは可愛らしいクリスマスの装飾が施されていた。
寒い日であったが、太陽がこの上なく気持ちよかったのでトナカイの置物が置かれたテラス席を選んだ。
ザンザスは車を降りたときからサングラスをしていた。赤い目では陽の光が強すぎて眩しいのだろう。
「昼飯食ってねぇのか」
「食べたの、でも食べたくて」
ふふふと笑うきらはスクアーロを笑わせた。食欲旺盛だなあと。運ばれてきたパニーニからはチーズがわずかにはみ出していた。ザンザスはエスプレッソを飲み何も話さない。
「日本に居る家族とは連絡してるのか?」
「してないよ、叔母だけ」
「父親は心配してないのか。母親も」
「私が居なくなって清々したんじゃない」
きらはスクアーロの質問に淡々と答え、パニーニを頬張った。口に食べかすがついてないか気にしつつも、咀嚼するのは早かった。
「・・・仲が悪いのか」
「父親は私の事どうでもいいの。今の母親だって父親との不倫の末に結婚したし。
だから義母も私が嫌いなの。私は何も悪くないのにね」
ザンザスもスクアーロも聞いた事のない話だった。
パニーニを置き、カフェラテを一口飲んだ。視線を遠くに投げると冬の風がきらの髪の毛を遊ぶ。
「私は皆で仲良く出来るように、って思ったんだけどそうじゃなかったみたい。
どんなに頑張っても、いい子でいても、義母が気に入らなくて。殴られる事もあったけど、父親は助けてくれなかった」
「殴られた?」
スクアーロの質問にきらは拳を作ってみせると、スクアーロは驚いた様に眉毛をあげた。
「鼻血が出る事もあったよ。父親はそれでもお前が悪いって言って、私の気持ちもはいつだって置いてけぼりだった。不倫をして家を壊したのは父親なのにね。
本当のお母さんが居たら違ったのかな」
机の上におかれたきらの手が少し震え始める。ザンザスはきらが泣きそうになっているのを声から感じとった。
「大学まで行かせてくれたのも感謝してる。自分なりに一生懸命頑張ったのに、前を向けなくても歩いてきたのに、どうでも良かったみたい」
どんどんきらの眉根がより、目じりは下へ下へと下がり、声はとっくに震えだしている。
こんな風に話したって過去は戻らないのに、許せない過去で忌々しい過去だ。
そんな気持ちがきらの心に広がり、目頭がどんどん熱くなっていった。
こんなにも父親に対して思う事があるのに、この婚姻をきらが拒絶するのは難しいという事を知っていた。
婚姻が決まった時点で、彼女の父親が経営している会社にささやかな贈り物が届けられていたのだ。そして、そのささやかな贈り物の一部はきらの学費となった。
彼女がその贈り物のおかげで大学を卒業できると知ったのは、イタリアに来てからである。
「私は十分頑張ってきたのに、父親は私にどうしてほしいんだろうね」
ぽたり、と大粒の重い涙がこぼれた。手の甲に落ち、流れ落ちていく。
彼女の叫びがつまった一言だった。その事実を伝えるのには十分すぎる言葉だった。
傾いてくる日差しがきらの涙を透かすと、彼女が酷く弱っている様にザンザスには見えた。瞬きをするとまた、涙がこぼれる。まつ毛はすっかり涙で濡れている。
「・・・よく頑張ったと俺は思うぞぉ」
スクアーロはそう言ってきらの背中をさすった。その時ザンザスの心が何故かひり付き、殴りたいと思った。
「・・・そう思ってもいいよね?私、頑張ったって、思いたい」
戻った筈の涙が再び零れ始める。ぐすっと鼻がつまる音がした。
「ああ、そう思っていい。自分を褒めてやれ。ここまで歩いてきたのは誰でもないお前自身だ」
ありがとう、と消え入りそうな声できらはスクアーロにお礼を言った。
そして泣くのをやめねばと涙を手で拭う。
「拭け」
持っていたハンカチをザンザスが差し出したのだ。驚いたきらは彼をじっと見つめる。
「さっさと拭いて、食え。日が落ちる」
不器用なザンザスなりの気遣いなのだろうとスクアーロは気付かれない様ほほ笑んだ。
きらは遠慮がちにハンカチを受け取り、涙の跡を押さえるように拭いた。
「洗って、返しますね」
「勝手にしろ」
そう言ってザンザスはエスプレッソを飲み干した。きらも残りのパニーニに噛り付く。
涙で潤んだ瞳は彼女を少し幼く見せている。
傷だらけの足を持った女だとザンザスは思った。珍しい話ではない、不倫、虐待等。
彼女よりも悍ましい家庭で過ごしていた女等、この世界ではいくらでもいる。
珍しい話ではないから、それが本人にとって堪えられる事とは言えない。いつもより弱っている彼女に声をかけようか、とザンザスは少し思案する。
けれども、きらにそんな慰めは効果的ではないのとザンザスはわかっていた。
自身で感じた怒りを他者が勝手にわかった様に、口を挟むのは煩わしいものだと、考えていたからだった。そうしてハンカチを差し出す事にしたのだ。
正式な婚姻を結ぶまでの1週間前の今日、ザンザスにとっては初めて心の奥底に触れた日になった。きらにとっては初めて心の奥底を見せた日になった。
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