19.Where is she ?

拳を握りしめたままにしておけば良かったのか、とザンザスは考えた。

足元にいくつも転がる魂の抜け殻達を、まだ僅かに温かさの残っている抜け殻を、ただの置物の様に跨いで階段を下っていく。
一体いつから、一体何がどうなって自分はなまえに淡い感情を抱いてしまったのか。
全くわからない、くだらない、浅ましい行いだったかもしれない、と暗い感情がザンザスの中に巡る。寝不足ではない筈なのに額が狭くなるような、靄がかかったようにすっきりとしない。

綺麗なレンガ色なのに何故か黒く塗りつぶされた様に見える屋敷を抜けながら、あの日の食事の内容を思い出すも彼は殆ど覚えていなかった。
勿論なまえがいようがいまいが、覚えていないのはいつもの事だ。いつも以上にいまいち記憶になくとも、なまえの悪意のない瞳がたちまち涙でおおわれるのをザンザスははっきりと覚えていた。
革靴の後ろについていた不快な血を乱暴に雪を踏みしめる事で払う。

「確認が済んだら燃やせ」

耳当てを忘れたのか雷撃隊に入隊した青年の耳は真っ赤だ。

「はっ、承知いたしました」

暖かな車に乗り込めば、何も言わずともレヴィがアクセルを踏む。
一面銀化粧が施されたこの田舎町の王様だった屋敷はもう直に灰となる。
太陽が夜の重いカーテンを押し上げようとしており、夜明け前の眩しい光のせいで辺りが白み始めていた。
そういえば、とザンザスはなまえと出会った時も雪の降る日だったな、と思い出す。
出会ったときとは違う今にも泣きだしそうな、ショックで彼女の透けるような瞳が濁っていった。ザンザスの知らないなまえだった。
愚かな女だ、と思ったが何故かすぐさま愚かなのは自分だと思ったのだ。

どこの誰が自分のこの気持ちを理解し得ようと言うのか彼には皆目見当もつかない。

ただはっきりとザンザスにわかるのはなまえが自身の逆鱗に触れてショックを受けていた、という事だけだった。怒りに任せて怒鳴り、彼女を抑え込み、その場に置いてきてしまった。そんなつもりはなかったのだ。どうにか何事も無く食事を終えればそれだけで良かったのに我慢ならずに揉め事となってしまった。
もし、あの時、あの場所に戻れたら何か違っただろうか。
悪かったと一言告げて、なまえの手を取って抱き締めていたらどうなっていたのだろうか。彼女は泣きじゃくり、自分を責め立てただろうか。

ザンザスは幾度もあの時に記憶を戻して、幾度もなまえの手を握ろうとするが自分の怒りに触れて泣き崩れる彼女しか想像が出来なかった。
一体自分は彼女に何を求めているのだ、と苛立つばかりだ。


「ボス、帰国後はどうされますか」

「他の仕事にあたる。宿の手配をしろ」

「仰せのままに」

ヴァリアー邸に戻りたいとは思えなかった。
なまえに別邸を買い与えた訳でもないので、必然と彼女に出会ってしまうのが嫌だからである。異性と衝突がした事がない訳ではない。今までなら泣き喚いたり、自分を非難してきたりした女とはそのまま縁を切ってきた。所謂蜜月状態の様な女もいたが、全く後悔もなく手放してきたザンザスには難しい問題なのだ。心の底から欲しい、と望み手に入れたなまえなのに、そのなまえとのもつれた糸の直し方が彼にはわからない。

わからないからこそ、異様に苛立つのだ。彼女に自分の父親との確執について言及された事に対して怒りを感じているのは事実であるが、それ以上になまえに知らず内に期待の気持ちを寄せてしまった自分に動揺しているのだった。
だが、なまえを避け続けるのはそうは長く続かない。彼らが信じる信じまいは定かではないが、生きるの為に世の中は酸いも甘いも上手くできている。

イタリアに帰国して二週間が経った頃に事件は起きた。

「あら嫌だわボス、あれって」

眠気を誘う粉を背負った妖精がザンザスの周りにいるかもしれない。
ルッスーリアはそう思いながらも、いつも以上に眉間に皺が寄っているのはなまえとの関係のせいだろうと踏んでいた。ザンザスは窓の外に向けていた視線をフロントガラスの方へと向ける。
そこには見覚えのある車があった。わずかばかりの夏の太陽が照り付けるイタリア、手間がかかる大掛かりな仕事を終えた昼下がりの事だ。

交差点の真ん中で出血した額を押えながらよろよろと歩く青年がいる。
車からは小さく煙があがっており、フロントガラスはクモの巣の様に割れてしまっていた。

「なまえの」

「弟だ」

自分の言葉をかき消されるも、ルッスーリアはやっぱりね、と呟く。

「ただの事故なのかしら。どこかのファミリーの挑戦状かしら。だとしたら随分と大胆ねぇ」

おっとりと話すルッスーリアだがこの後にすべきことを頭の中で順序だてていた。
なまえの弟の周りにはぶつかってしまったであろう車は無さそうだ。
観光日和の昼下がりに起こった事故はすぐに野次馬を呼ぶ。事故に気付いていない、彼の車のもっと後ろにいる後続車の窓からは顔を出し、様子を伺う者も出てきた。

「まずいわね、とりあえず病院に連れていきましょう」

煙が出ているのにも関わらずなまえの弟はボンネットに寄りかかってしまう。痛みで歩けなければ、足元から力が抜けていくせいで寄りかからないと歩けないのだ。
時折苦しそうに瞼を閉じ、顔を歪ませた。重く瞼を開ければあたりに人が集まっているのがわかる。それでも、何故だか上手く弟の耳には届かなかった。ふざけんなよ、くそ、と脳内で悪態をつく。
その彼の視界には緑色とオレンジ色の髪色の派手な男が見えていた。弟はまさか、この男、ルッスーリアがなまえの旦那の部下だとは夢にも思わなかった。
地面の方へと沈みゆく体を震える手で支えながらどうにか意識を保つ。意識は空の方へと引っ張られている気がしてしまう程に、体は恐ろしく重い。


「え?なあに?」

弟が小さな声で何かを話した。ルッスーリアは耳を近づけるも何を言っているか聞こえない。前、前、と単語を繰り返すばかりだ。そして、弟の指さす先には後部座席に座っていた筈のザンザスが居た。
救急車のサイレンの音が辺りに響き渡る中、ザンザスの立っている車側に弟は横たわらせられ、救急車の到着を待つ。

「        」

自分の姉の運命を変えた、恐ろしい男。なまえの弟にとってはとても同じ血が通っているとは思えない程に無機質な男に見えるのだ。
何か仕返すつもりもない。何もないが、弟はこれだけは聞かせて欲しいと願った。けれども弟は上手く聞けなかったし、ザンザスに至っては何も答えずになまえの弟の顔をじっと見つめ、救急車の中へと運ばせただけだった。



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