18.honey, you are strong enough.

なまえの心に輝いていた星はすっかり姿を隠してしまった。

嵐を呼ぶ様な重い灰色の雲がかかり、彼女の瞳ばかりでなく心すらも揺らしていく。手で顔を覆ってその場に座り込む様はさながら魔法の解けたお姫様である。
声を掛ける間も無く立ち去ったザンザスを思えば胸が苦しくなり、置いていかれた悲しさと自分に向けられた激しい怒りに動揺していた。きっと、上手くやれると思っていたのに、とやるせなさに肩を震わせるばかりだ。

螺旋階段に1人残され、世界からも取り残された様な気がした。こんなにも大きな屋敷なのに聞こえるのはしくしくと泣くなまえ自身の声だけである。
もし、ザンザスが戻ってきて慰めてくれたなら、もし、ザンザスが少しでも自分の言葉を聞いてくれたなら、と後悔の念が彼女の中に駆け巡るも実際に側にやってきてくれたのは、彼の父親ではないという9代目であった。
使用人から連絡をうけた9代目が螺旋階段ですすり泣いているなまえの側に歩み寄り慰めてくれた。
彼女を慰める9代目は温和な紳士である。初めて見たときからの印象は何一つ変わっていない。

ああ、でも確かに、似ていない。

滲んだ視界から伝わる9代目の容姿はザンザスと全く似つかわしくなかった。
彼の怒りに歪んだ顔が思い出され、穏やかで暖かな夕食だと思っていたのは自分だけなのだろうか、となまえは自問する。彼の息子、ザンザスの心の内にはどんな感情が渦巻いていたのだろうか。知る由もないザンザスの事を思いなまえはまた大粒の涙を流した。

「スクアーロ君が来るまでここで待ってなさい。見苦しいところを見せてしまったね」

その後ぴったり半刻後にやってきたスクアーロは応接室間で泣いているなまえを見て溜息をつく。彼女に呆れているのではない。ザンザスのしてしまった事に呆れているのだ。

「自分を責めるのはやめとけよ」

スクアーロは涙を潤ませたまま後部座に座るなまえに声をかける。
決して大きな声ではないが高い静寂性を誇る車のおかげではっきりと彼女には聞こえていた。弱々しく返事をするも、なまえの心はここにあらずだ。
ここにきた時と違って音ははっきりと聞こえるのに、世界がぼんやりと見えてしまう。部屋を飛び出した時に戻ってやり直したい。やり直したら今頃平穏に終えたのかもしれない、となまえは何度も脳内で記憶を巻き戻してはザンザスの激しい怒りにぶつかり瞳を潤ませた。


戻ってきたヴァリアー邸はボンゴレ邸と同じ様に人影はない。
とっくに先に戻っているであろう、ザンザスが乗り込んだ車はどうやら駐車場にはなかったという。その事実が悲しみに見初められた花嫁に追い打ちをかけた。

ルッスーリアと一緒に準備をした鏡台に座り化粧落としをコットンにつけて、何かも拭い去る様に乱暴にアイメイクを落とす。泣いた事でとうに化粧は落ちているのだが。橙の暖かな照明が血走ったなまえの瞳を照らし、星雲をひと匙のせた右瞼も照らしている。
油分の含んだコットンを載せれば瞳から輝きは一切消えていった。もし、ルッスーリアが居てくれたら、とまた化粧落としに手をかけた時だった。机に振動が響く。画面を見やれば今まさに思っていたルッスーリアからの着信である。落としかけの顔をそのままにし、なまえはゆっくりと緑色の丸を押した。

「ハァイ、私よ!」

側にいて欲しい、と願った相手からの電話になまえの喉は焼けそうだ。ぱちぱちと瞬きをすればまた涙が溢れる。
言葉が返せずに鼻を啜ったとき彼女の部屋に流れる淀みをルッスーリアは感じ取った。
嫌な予感がするわ、と思った通りになまえはザンザスとの揉めた事を涙ぐみながら話した。明るい話が聞けると期待して電話をしたが物事はそう上手く行かないものである。
長年慕い彼の元で働いているルッスーリアだ、ザンザスの激昂する姿はその場にいたかの様に想像出来た。勿論、電話の向こうで泣いているなまえが次に何を言いだすかも想像出来ている。

「私、彼のこと、傷つけちゃったと思う」

ルッスーリアは任務先のお気に入りのホテルで揺らしていたワイングラスを置く。
彼女を抱き締めて、きっと、零れ落ちる黒い涙を拭ってやりたいと思いながら。

「・・・生きていくのは難しいわ。
世の中って目に見えている事だけが全てじゃないのよ。」

側にいないなまえの髪の毛をブラシで梳かす気持ちで、優しい声音で彼女に言葉を紡いでいく。

「どんなにお調子者でも、本当は今にも泣き出しそうな程に辛いものを抱いているかもしれないわね。やだわ、そんなに泣かないで頂戴。目をこすっちゃ駄目よ。
よく聞いて、なまえ。鼻をかんだら?」

ぐずぐずと涙と鼻水にまみれているなまえはルッスーリアに言われた通り鼻を噛む。十分泣いた筈なのに彼の声を聞いた彼女はボロボロと泣いてしまっていたのだ。目はこすらないように、変わりに目の下の方を拭い、小さく相槌を打った。

「あなたは強いわ。愛することを知っているんだもの。それに愛をシェアしていくことも知っているわ。だって、あなたは家族を守る為にここにやってきたのよ。自分の命を差し出したのよ。立派なの。」

ルッスーリアは薄暗いの部屋の中でサングラスを外して目を瞑り、なまえの花嫁姿を思い出す。
緊張で張り詰めた顔は強張っていたが、最後に紅を載せ終えて鏡を見せた時のなまえは自分が見違えて見える、と言って頬を綻ばせた。あの時の笑顔がルッスーリアの脳内にこびりついて剥がれないのだ。
真っ黒なカーテンが上に上がり、小さもキラキラと輝く星が瞳に姿を現した。その星は早々にカーテンに隠されてしまったけれども、あの時のなまえはとても美しかったとルッスーリアは彼女のすすり泣く声を聞きながら思い出す。

「・・・気づいてないかもしれないでしょうけど、ボスはあなたのその強さに恋い焦がれたの。瞳の中を覗いてごらんなさい。幾千もの星があなたの瞳にはあるわ。そしてどうか、その星を愛して。
なまえが辛い事を乗り越えてきて輝きを与えた大切な星なのよ」

悲しみの海に自ら体を沈めてはいけないのだ。
沈まざる終えない時があるのはルッスーリアもわかっている。でも、その海に浮かぶ儚げに輝く星に魅せられてはいけない。海に浮かぶ儚げな星はなまえを照らしてくれないし、悲しみが体中に染み込んで彼女の心を無作為にかき乱すからだ。
どうか、全てを悲しみで失わないで欲しい。
ルッスーリアの願いはたったそれだけである。

「私見たことないもの、あなたほど瞳に星を称えている子」

「・・・そう思う?」

利き手じゃない方で目尻を拭えば黒いアイラインが親指につく。

「あなたは誰よりも美しくて強いわ。誰よりも思いやりのある子よ」

ルッスーリアが側にいてくれたら良かった、と思ったがなまえはこのぐしゃぐしゃの泣き顔を見られないで良かったとどこか安心していた。
こんなにも愛にあふれる言葉を貰って彼女は胸が苦しくてたまらないのだ。
目頭が熱くなり、瞬きをすれば大粒の涙がまた一たび落ちてくるだろう。

「そんなに思い詰めちゃだめよ。あなたならボスと仲直り出来るわ」

鏡の前にいるのは泣いて顔を汚したなまえだけである。頬にはすっかり黒い涙の跡がつき、彼女の困惑さを表していた。
ザンザスの燃え上がる様な怒りを思い出され、胸が痛む。

「誰にだって星空が見えない夜はあるわ。さぁ、もう遅いでしょう。
お肌の為にも寝ましょう」

愛してるわ、という言葉とともにリップ音を送られたなまえは同じようにルッスーリアに返して赤色のボタンを押した。ホットミルクにはちみつを入れた様な温かな静寂が彼女の部屋を包んでいる。
ワンピースのりぼんを解き、編み上げを僅かに緩め、湯舟に湯を張るべく蛇口を捻った。

そして、湯が溜まるまでの間になまえは奥底にしまった小さな箱を取り出して、恐る恐る蓋を開けたのだ。箱の中からはザンザスから贈られたガーネットの耳飾りが顔を覗かせている。
白い光を放つバスルームにそれを持っていけば、煌々と赤く輝く。
なまえにとって恐ろしい贈り物だった。一目見た時から、恐ろしいと感じていた彼の瞳を模したかの様な宝石に思えてならなかったからだ。

だが今やどうだろうか。
彼との初めての衝突を経て、なまえは彼にもこうして乱れた心に寄り添ってくれる友人はいるのだろうか、とザンザスの事を案じ始めていた。

この、宝石の奥底に、彼の瞳の奥底に眠るものを知りたいと思い始めていた。




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