20.So dreading,dreading.

重すぎる出来事だった。
奥底にしまい込み、二度と思い出さないように、思い出す事がないように、気付かないように、そうやってきたのにそうやって過ごす事を不思議と世界に許されない。

なまえは足元に緩くて、粘り気のある温かなものが触れている気がした。
どろりとした、あの夜に見たような赤い赤い血だ。ヴァリアー邸、部隊の中枢ともなり得るザンザスの執務室で血が流れる訳がない。なのに、なまえの履いていた靴は不思議とじっとりと嫌な感覚に包まれ、夕暮れ時の空は一層を暗く重くなって行くばかりだ。

「ただの事故じゃなくて、どこかのマフィアのせいなの?」

「可能性は否めない」

久しぶりに顔を合わせたなまえとザンザスであるが、再会を喜ぶ時間も自身の非を詫びる時間もない。自身の弟が事故にあったというだけでも十分ショックな出来事なのに、ただの事故ではないかもしれない、というのだ。ザンザスが淡々と告げる弟の事故の話を整理するのになまえが精一杯である。ボンゴレ資本で運営されている私立の病院に弟は搬送され、現在は事故の調査を雷撃隊が行なっている。


「場合によっては報復措置が必要になる」

「報復・・・」

今までの生活なら考えたこともない言葉になまえは口元を押えた。言葉が見つからない、と言わんばかりの態度だ。心臓が前に飛び出してしまうのではないかという程に彼女の心臓は大きくゆっくりと脈打つ。


「もう目星はついているの。会った事あるでしょう、黒髪で化粧の上手な子よ」

名前など覚えていない。それでもなまえははっきりと覚えている。
あの女だ、あの、流れる様な黒髪にダイヤモンドを砕いたようなハイライトが載せられた頬、夏の女神に愛された肌をしていた女、自分に親し気にチークキスをしておきながらザンザスを口説いていた女だ。

「あなたの弟の車のドライブレコーダーに映ってる車、あの子の家が持ってるのと同じだったのよね。すごく珍しい車種だから特定するのは簡単だったわ。
まあ、あの子だって確定した訳じゃないし、一般人同士の事故かもしれないしね」

「もし、もしも彼女ならどうして、私の弟を」

「それはなまえちゃんが目障りだからよ。だってあの子ボスが欲しかったんだもの」

今目の前でなまえが今にも泣きだしそうになっているのをルッスーリアはわかっていた。彼女に寄り添い慰めて気持ちを立たせてやりたい所だが、それをしなかった。

「じゃあ私を狙えば」

「なまえちゃんを狙えば良かったわね。でも、あの子はあなたの弟を苦しめるのが一番効果があるって考えたのよ」

ルッスーリアは腕を組みなおし小さくため息をついた。なまえに対してのため息ではない。現在調査中の事故に対してのため息であったが、なまえは委縮してしまったのか下唇を噛み何も話さない。

そして、たった一度しか、少ししか会話をしていないのに自分とザンザスの関係を見破られたというのだろうか。そんな事は無い、きっと違う、でも、となまえは何度も同じ思考を繰り返す。何度繰り返しても答えは同じなのにも関わらずだ。

確かに幸せな夫婦には見えなかった。
ザンザスの側にいたりしたが腕は組んでいなかったし、彼と視線をあまり合わせていなかった。ルッスーリアが側にいなければ黒髪の彼女と、その友人達の質問に答えられなかったどころか何か意地の悪い事をされていたかもしれない。
そんな女に自分の想いを寄せる男が奪われたらどう思うだろうか?

「もし本当に彼女なら、私が、しっかりしてなかったから?」

心優しいなまえ、運命に翻弄された可哀想ななまえ。
ルッスーリアに泣きそうな声で問いている言葉はかつて、彼が彼女に告げた言葉だった。
もし、自分が彼の言う通りしっかりしていれば、その言葉に従いザンザスと夫婦生活を送るように努力していればこうはならなかったのかもしれないと後悔が駆け巡る。
犯人は彼女のファミリーだと確定はしていない。それでも、なまえの至らぬ態度のせいで弟を傷つけてしまったのならば、彼女がここに来た意味はなんなのだろうか。


「・・・残念ながら、そうね」

ぼとり、と大きな涙が頬に滑り落ちた。

睫毛は震え、なまえの視界はどんどん滲んでいき夕焼けが濡れる。
執務室の主であるザンザスは2人のやり取りを眺めて何も言わない。なまえは体の力が抜けたのか、椅子に座り手で顔を覆って泣き始めてしまった。すすり泣く声だけが執務室に広がる。
このまま、なまえはまたあの時の様に泣き喚くのだろうか、とザンザスは不安視していた。目の前で起きている事に堪え切れず泣き崩れてしまうのだろうかと。
彼女にとっては酷な出来事であるのは十分理解しているが、悲しい事にここはそういう世界である。

「なまえ」

ザンザスに名前を呼ばれるのはあの日の夕食ぶりだった。
何も置かれていない机の上に手を置き、自身の妻がこちらを向くのを待つ。
聞こえてない筈がない。雨を抱え込んだ雲の様に遅く重い空気が執務室に腰を据え、ザンザスは少しずつ苛立っていく。
もし、今ここでなまえがまた、堪え切れず泣き崩れたらどうしようか。
苛立つ彼女に叱責の声をあげるのだろうか。それとも、またルッスーリアが彼女を落ち着かせようと宥めるのだろうか。何故だかわからないがザンザスは自分があの時の様に彼女を落ち着かせる事は想像が出来なかったし、そんな風になった時に自分がどうすれば良いのかもわからなかった。

「なまえ、聞こえてるのか」

彼女の心が溢れかえらない様に、ザンザスは苛立ちを抑え再度呼んだ。
すると、なまえは鈍い程にゆっくりと手を顔から離し、力を失った濡れた瞳をザンザスに向けた。

「報復措置を取るか取らないかはお前に委ねる。
もう一度言うが、ここに来た理由を違えるな」

ザンザスの背中越しに見える窓から遠くに植えられた白い薔薇が見える。
夏の激しい夕焼けに焦がされており、その爆ぜる音が聞こえてしまいそうだ。

「・・・いつまでに?」

「明日だ、明日の夕刻までに答えをだせ」


「なまえちゃん、どんなに周りが手を差し伸べても、声を掛けても、一歩を踏まないと何も変わらないわ」

まだ事実はわからない。弟を襲った事故がただの事故なのか、あの黒髪の女せいなのかはっきりとわかっていないが、なまえは自分の無責任さが招いた事故なのだと信じていた。

ああ、純白のドレスを引き裂けたら良かったのに。




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