17:花やいだ悲しみ
きらは疲労困憊だった。
一本の糸をしっかりと手で引っ張らないと糸が緩んで死んでしまう気がして、心臓は今にも張り裂けそうだ。冷や汗なのか暑くて汗をかいているのか最早わからない。突然の敵の襲撃にスクアーロはきらを関係者しか知らないという裏道に逃がした。
誰が付けたのかもわからない蝋燭だけが揺らめく暗い地下道だ。階段を下りて、平らな道をずっと歩き続ければ見える階段を上るだけの地下道。この地下道を抜ければヴァリアーが密かに使っているという家にたどり着くらしい。
その家の付近には雷撃隊がいるから、と言われたスクアーロの言葉を信じてきらは懸命に歩く。

自分の歩く音しか聞こえない。不幸なことにそれはきらを不安にさせた。もし、この音が別に増えたら?スクアーロなのか、それとも味方なのだろうか、と不安げに前を見つめ階段を上っていく。追いかけられている訳ではないが、追いかけられている気がして心臓は早く脈打つばかりだ。フードを深く被って、階段の先にある扉を乱暴に押し開ける。
深く息を吸い込み、見知らぬ路地を抜けていく。ただ、食事をしていただけなのにまさか敵襲があるなんて、ときらは呆然とした。それもこの世界に嫁いだ証といえば証なのかもしれない。

でも、どうして、こうもマフィアというのは鼻が利くのだろう。

きらは以前の経験からこうした路地を歩くのをやめていた。
今日の様な避けられない日は致し方ない。とはいえ、後ろから増えた足音にきらの心臓はまた早く脈を打つ。もし、振り返ったら銃で撃ち殺されるのだろうか。それとも、銃で足を打たれて人質にされてしまうのだろうか。遠くで聞こえる銃撃の音は気のせいなのか、他の音なのかきらにはもう検討がつかない。震える手でしっかりと閉じたパーカーの前を握りしめた時である。

「あっ!」

脇道に引き込まれ、レンガ造りの壁に押し付けられてしまう。悲鳴を上げようにも間に合わない。何故ならザンザスに口をふさがれているからだ。

「静かに」

きらの姿を自分の大きな体で隠すかの如く、ザンザスは怯える婚約者を壁に押し付けて覆いかぶさっている。後ろから聞こえていた足音は彼のだったのだろうか。また一たび増えている足跡に近くで鳴り響いた銃声がレンガ造りの壁に反響し、ごとり、と先ほどまで歩いていた道に大男が倒れた。夏の入りを目前に控えたせいで太陽は中々沈まない。
大男の頭からは血がとめどなく流れ、石畳を飲み込んでいく。男の瞳は水晶玉の様に動かず、命を奪われた事を示していた。

「まだだ」

目の前で死体を見るのはきらにとって初めてではない、初めてではないが、こんなにも近くで命を奪われていく男は見たこともなかった。ザンザスは微塵も動揺せず、耳を澄ませる。きらが混乱し今にも泣きそうなのはわかっていたが、かまっている場合ではなかった。いくつかの銃声音の後、かくれんぼをしているかの様なベルの声が聞こえた。

「ボスー、オッケー!」

何がオッケーなのか全くきらにはわからない。わからないが彼女はザンザスに手を取られそのまま脇道を出ていき、目を開けたままの男の死体に目もくれず走り出した。
きらの目にはおとぎ話の様な景色が広がっているのに、あの男の赤い血が焼き付いてならない。
次第に唇から色が抜けていくのと同じくして、足元から力が抜け何度もきらは転びそうになってしまう。

「ご、ごめんなさい」

「じっとしてろ」

振り返ったザンザスに苛立たれ睨まれたかと思ったが、どうやら気のせいの様だ。
手が伸びてきたかと思えば、きらは彼に横抱きにされてしまった。こうも簡単に横抱きにされると彼の逞しさを感じるも、路地裏を走り抜ける間に落とされない様にジャケットを握り目を瞑るので精一杯だった。何事もありませんように、ときらが願い続けて暫くした頃に町中にひっそりと佇んでいたヴァリアーの隠れ家にたどり着いた。

食事した場所から随分と離れてしまった気がする。
部屋の中にはルッスーリアもスクアーロもいた。ご自慢の剣から血を拭っている最中だ。
本当困っちゃうわね、と言ってルッスーリアはイタリア語で早口に何かを捲し立てる。
ザンザスもジャケットを脱ぎ捨て話始めた。スクアーロも議論に参加し、部屋中に緊迫感が漂う。
決して異世界にいる訳ではないのにきらはそわそわと落ち着けない。自分が嫁いだ世界はこういう世界だとわかっているのに、発熱しているかの様に頭はぼーっとしているし、銃撃の音が離れない。
水でも飲もうとのろのろとソファーから立ち上がり、キッチンに向かう。足取りはしっかりしている筈なのに、浮遊感がきらを襲う。誰かが用意したワインの横にあるミネラルウォーターに手をかけた筈だ。筈なのに、ワインが床に落ち、破片が飛び散り白い床に赤色が広がった。

「きらちゃん!大丈夫?!」

白い床に広がった赤ワインにきらはすっかり視界を奪われてしまった。
喉が次第に締まり、呼吸をしようにも出来ない。短い呼吸を繰り返し、捉われてしまった記憶と現実を区別しようと必死だ。血ではないのに、ワインだとわかっているのにきらには血に見えてしまってならないのである。

「横になった方がいい」

顔から色の抜けたきらを抱き寄せながらザンザスは言って、すっかり力の抜けた彼女の右手を自身の首に回し、また横抱きにして2階へと消えていった。
ヴァリアー邸と違いコンパクトな家ではあるが、寝室は人数分ある。主寝室であろう、ザンザスの部屋にきらは運ばれ、ベッドに降ろされた。

「・・・ごめんなさい」

「いい、気にするな」

ワインの瓶を割ってしまったのは勿論、ザンザスの手を焼かせてしまってる事にきらは謝罪したのだ。だって、誰が想像出来るだろうか。あの暗殺部隊のボスがきらのスニーカーの靴ひもを解き、脱がしてやっているのだ。上まで閉じていたパーカーのファスナーも下ろされ、ランチに食べたイカ墨ソースが跳ねたシャツが顔を見せる。
そして、もう少し側にいて、とねだられて大人しくザンザスはきらと同じくベッドに横たわり彼女を抱き締めるのだ。

幼いころからずっとこうして周囲の様子を伺い、気を張り詰めていたザンザスにとってはこんなの日常茶飯事だった。ボンゴレにおいて大きな立場にいた自分が狙われるのは当然の事であれば簡単に周囲に心を許せない日々を送ってきた。だがきらはまだまだそれに慣れていない。そう簡単になれる様な環境ではない。それでも、この環境に順応しようと泣きもせずに努力している肝の据わった女だ、とザンザスは思う。
自分の胸元に頭を乗せているきらの背中を摩り額に口づけを落とした。

「びっくりしちゃったの」

「そうだろうな」

摩っていた方の腕に力を入れ、彼女を少しだけ自分の顔をへとザンザスは近づける。
皺ひとつなかったザンザスのシャツに皺が刻まれ、ベッドは軋んだ音を立てる。
空は僅かにオレンジがかってきたが、まだまだ日は暮れないらしい。こんな穏やかな暮れ空の下、人が死んでいくなんて夢を見ているのかな、ときらは考えた。
穏やかな沈黙が流れ、きらの耳にはザンザスの心臓の音だけが聞こえる。
力強い拍動だ。早くもなく、遅くもない。別に心臓の音を聞かなくともザンザスが生きているなんてわかる、わかるのに、今日のきらは不思議とこの心音が酷く心地良くて安心するのだった。先ほど見た死と真逆の場所にいると実感できるからかもしれない。

ザンザスの高い体温も、ぴったり自分の額と彼の頬が触れ合う心地良さも、自分を摩る手、全てがきらを安心させて眠りへと誘っていく。

「きら、もう寝ても大丈夫だ」

不安を掬い取る様な言葉を聞き、彼女の睫毛がゆっくりと重く上下されていった。
ザンザスの体にはきらの体重が先ほどよりも掛かっている。眠りに落ちるのももう間もなくだ。
彼女の瞳にこびり付いた凄惨な景色をすぐには拭えない。それでも、少しでも心落ち着く眠りが出来れば、と思いザンザスはきらが熟睡するまでじっと側にいたのだった。

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