18.花の隣の甘い匂い
珍しく、ザンザスの部屋の扉が開け放たれていた。
いつもなら決して開け放たれることのない、開けるのも憚られる重厚な扉がである。
どうしたのかと覗き込めばザンザスはバルコニーに出ていた。
春の女神がいよいよ夏の女神に四季の杖を渡すべく、夜風に夏の香りが乗り始めている。
今までなら少し肌寒かったのが今や外で夜風に触れるのが心地良いくらいだ。
薄い光に透かされそうな雲は月の明かりをぼんやり見せており、そのせいかザンザスの着ている白いシャツがいつも以上に白く見えた。

きっときらでなければ見なかったふりをして、そそくさとその場から離れてしまうだろう。
日頃開け放られる事のない部屋からは重苦しい空気がこぼれている。息が詰まるような、自身の自由を全て拘束されているかのような、そんな威厳溢れる部屋から溢れ出ているのだ。

きらはそれを感じながらも静かに部屋の中へ入っていった。
足音をなるべく立てないように、うっかりくしゃみをしてしまわないように、そっとそっとバルコニーへと足を運ぶ。青色の静寂に包まれた部屋はきらだけを歓迎するかのように、少し強く吹いた風によって扉がわずかにしまっていく。
そして、きらはどこか物憂げなザンザスの背中に手を伸ばしてそっと触れた。

「なんだ」

「寝ないのかなって」

いつもより声音が硬い。

ザンザス本人に尋ねた訳ではないが、きらはきっと9代目との事だと察した。
電話をしながら屋敷に戻ってきたザンザスを思い出す。眉間には皺が深く刻まれ、声を大きく荒げ電話相手に抗議をしていた。迎えに行こうかと考えていたきらだったが、玄関近くの階段からそっと見守るのを選択した。屋敷中に響き渡りそうな怒鳴り声に使用人は亡霊の様に姿を消していった。電話の終わりにザンザスは苛立つあまり、もっていた書類を床へ投げ捨てたのだ。クリップなどで留められていなかった白い紙が何枚も宙を舞った。

行き場のない、蓋をしていた怒りなのだろうときらは思ってしまう。

口論の内容はわかりかねる。それでも、地の底から這いあがってきた大きな怒りには憎悪が含まれていた。ずっとずっと消化しきれない激しい憎悪だ。
激しい憎悪をぶつけられた彼の父親はきっと困っていただろう。おろおろとする訳でもなく、ただただ自身の息子との温度の悪さに失望していただろう。父親に対して向けるにしてはあまりにも激しい怒りだったが、きらは別にそれを責めるつもりはなかった。


「日付変わっちゃいますよ」

彼の心に蔓延るものはきっと深く暗いものだ。その深く暗い物をきらは取り除けるとも思っていなかったし、彼はきっと彼女に取り除いて欲しいとも思っていないと考えていた。一体どんなものがザンザスの心にそんな悍ましい暗く深い海を作ってしまったのか、見当がつかない。彼ときらの心の距離は確かにゆっくりと深まっても、その事はザンザスが教えてくれない気がしていたが、不思議と寂しさは感じなかった。
そんな激しい憎悪を抱えながらも歩みを前に進めているザンザスを立派に思う気持ちの方が強いのである。

だから、どうか。
きらは少しでもその彼の心の内に蔓延る深く暗い物が小さくなるようにと、願いを込めてザンザスの背中を摩る様に手を下へと滑らせ彼に抱き着いた。

「・・・そんな時間か」

きらの柔らかな体が張りつめていた背中越しに伝わる。
ずっと暗い海の底にいたザンザスはやっと時間の針が夜を指しているの事に気が付いた。
陽の光などどこにもない、暗い海の底だ。いつもなら、息が出来るはずのに息が出来ない程に飲み込まれてしまったらしい。

「このまま寝ちゃいそう」

「風邪引くぞ」

「どうしよう」

「こっちにこい」

ため息をついてザンザスはきらの腕を引っ張り自身の腕の中へと引き込んだ。

「立ったまま寝るな」

そうは言ってもきっと彼女なりの気遣いなのだろう、とザンザスは思う。
彼女に自分と父親の間に何かがある事を気付かれているとザンザスはわかっていた。きらのもつ眼差しは時折、皮膚を滑るただの表面的な眼差しではないのだ。その眼差しをもって、気付いている筈なのにきらは何も聞いてこない。聞いてこずに、こうしてザンザスが深い海の底から顔を出すのを待ってくれるのだ。


「あったかい」

「半袖でうろつく奴がどこにいる」

「ここにいるでしょ、ふふ」

V字に切り込まれた少し大きなシャツ、ボトムは何も履いていない様でザンザスは自身の婚約者の無防備さに呆れるばかりだ。だが、呆れながらも彼女の朗らかさが心地良く、ふと眠たくなってくる。自身の腕の中で嬉しそうに目を細めるきらの腰のあたりを摩ってやれば頭を胸の方へ深く沈めてきた。

「寝るか」

「扉、締めてきますね」

熱っぽい愛をバルコニーで囁くにはまだ薄暗すぎる。
囁いたところできらの艶っぽく頬を染める様子は見えないし、濡れそぼった唇をよく見えないだろう。現にきらは強張りの取れたザンザスの声音に安心しきって今にも寝てしまいそうだ。眠さから脱力した彼女の体を横抱きにしベッドに落とす。ザンザスは閉め切らなかった扉を閉め、自身の体もベッドへと滑り込ませた。
横を向いて眠ろうとするきらを引き寄せ、ザンザスは彼女を後ろからしっかりと抱え込み瞳を閉じた。色濃かった青い静寂は、いつの間にか薄く柔らかな青色になっていた。



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