16:春びたしの君に
『付き合って半年近いのに、キス以上のことないっておかしくない?』

高校生の頃からの親友のメッセージが薄暗い部屋を照らしている。

『彼氏さんつらいと思うけどなあ〜』

相変わらず気の強い友人だ。きらはため息をついて、ちょっとそろそろ考えてみると返した。勿論、ちょっと考えるつもりなどあまりないのだが。

イタリアに来て暫く経つが、間もなく春は終わりそうである。春の女神は悲しいのか、ここ最近3日ほど雨ばかりだ。強い雨ではないので花が落ちる事はないが葉の緑色が日に日に強くなるのは感じていた。
季節が前に進んでいくのに対してきらとザンザスの関係は口づけ以上には進展していない。一緒の部屋で眠るのもあるし、彼女がザンザスの部屋に入り簡単な本を辞書片手に読んでいる事は周知の事実だ。相思相愛、誰にも2人の絆を邪魔は出来ない。

それ程に強固なのに、きらはザンザスにまだ体を許していなかった。
この間の口づけで知った透けるように赤いルビーの炎はとても甘美だ。時々、思い出してしまう。もし、この果実には透けるような赤いルビーの炎の味がしますよ、と言われればきらは喜んでそれに唇を触れさせるつもりだ。受け入れるので精一杯だった筈なのに、もう一度あの口づけをして欲しいとは思う。でも、きらにとってまだまだその先は難しい未知なるものであるのにかわりはない。

薄暗い部屋を抜け出し、雨で少しばかり霧がかっている庭を歩く。
ザンザスが買ってくれた傘をさせば、きらの頭上だけに花園が咲き誇った。
きっとこのエナメルのバレエシューズも夏には暑苦しいかもしれない、とひんやりとした庭を歩きながらきらは思った。

『そろそろあんたも卒業だね』

卒業、そろそろ。

あまり考えるつもりがなかったのにすっかり親友のメッセージに思考は占領されている。きっと携帯をもってきてしまえばもやもやと考えてしまうから、と置いてきたのに何度も頭の中でメッセージが一枚の写真の様に思い出されてしまうのだ。
この庭に植えられた木々の上に覆いかぶさる雨雲の様にきらの心の中はすっかり雨模様である。

「きら」

「わあ!」

後ろから腰に手を添えられ、傘を持っていた手に手が重ねられた。
触れられるのに慣れない場所だ。驚き力が緩んだ手から傘を奪われ、きらが雨に濡れない様にと、くびれに移動した手によって抱き寄せられる。

「お、おかえりなさい」

「雨の日に散歩とはな」

この間の旅行ぶりの再開を果たしたザンザスときらは雨傘の下しばらく立ち止まった。
旅行後にザンザスはレヴィと合流し、彼女はスクアーロと帰路に着いたのだ。
自分の婚約者が屋敷に戻るのは実に2週間ぶりである。
烏の羽を濡らした様に黒い髪、すっと通った鼻筋に赤く燃える恒星を思わせる瞳。いつかの戦いで得たであろう傷ですらザンザスを男らしく見せている。
重厚なスーツの上からでもわかる彼の筋肉質な体は大きく、筋肉のない柔らかな体をしているきらをより一層曲線的で、柔和な存在として際立たせた。

やっぱり、かっこいい。

きらは彼を見上げてぽんやりと思う。
でも花園を頭上に咲かせる傘はザンザスには似つかわしいものではなく、そのアンバランスさに少しだけ頬を緩ませ笑いながら答える。

「傘をさしたかったの」

「ガキみてぇだな」

「夕飯までまだ少しあるから、お散歩したかったんです」

ザンザスは少しだけ肩を竦ませてきらの提案を受け入れた。
小さな森の様になっている木々に入っていけば、灰色がかった霧雨のなか聳え立つ屋敷から遠ざかっていく。やましい事など何もないのに、何だか秘密の逢瀬を重ねる恋人同士の様に木々は2人を隠した。ザンザスが傘を持っている腕には愛する婚約者の手が絡まり、ぴったりと寄り添っているが、会話はない。
業者が丹精をこめて造り上げた石畳の道は濡れて色が変わってしまった。
傘を弱弱しく叩く雨の音、石畳を踏みしめる音、それ以外何も聞こえない。世界に2人だけしかいない様な気持ちになり、きらは今ならなんでも出来そうな気がする、と思った。

いつもなら恥ずかしくて彼に口づけをあまりねだらない。ねだる時もあるが、限りなく珍しい。

「ザンザスさん」

耳に掛かりそうな、少しだけ熱っぽい声で彼の名を呼んだ。
立ち止まったきらに疑問を思い、ザンザスは視線をさげればじっと自分を見つめている。言われなくてもわかる。彼女が自分の口づけを待っている事など。
緊張で睫毛を震わせ、自分の口づけを待っている。それに応えない男がいるなら見てみたい、とザンザスは思った。
きらの手を解き、くびれに再び腕を回し引き寄せそのまま口づけをする。
押し当てる様なロマンのかけらもない口づけではない、そっと吸い付くような口づけだ。

きらはたったそれだけなのに嬉しくてたまらなくなった。
胸のあたりには傘の裏側に描かれた小さな花々が広がり、体が少しずつ火照っていく感覚だ。もっと口づけをしてほしい、もっと、もっと、とザンザスのジャケットの襟を思わず握りしめる。
ザンザスも久しぶりのきらの唇の感触を楽しもうと背中を僅かにかがめた。

『そろそろ卒業だね』

遠くで聞こえる雷の音とともにきらははっとして、ザンザスの口づけを避けてしまった。

「ごめんなさい・・・」

よくわらかならい女だ、とザンザスは眉間に皺を寄せる。体を離そうとするがきらの手が彼の襟から離れない。

「何がしたい」

「我慢してる?」

雷が遠くでまた、鈍く鳴る。

「何がだ?」

「・・・いえ、何でもないです・・・」

覗き込むようなザンザスの視線にきらはあっという間に怯んでしまい、何も言えなくなってしまった。
こうして口づけをする度に彼に我慢を強いているのではないだろうかと不安に思ったのだ。この間の旅行でも自分の肌に触れる唇は熱かったし、あのまま許していればザンザスはきっと自分と体を交わらせていただろう。もし、彼に我慢を強いているのなら口づけをねだる事をやめた方がいいかもしれない、と思った時だった。

「無理強いはしない」

彼は自分の頭の中を覗き込んでいるのだろうか、と疑問に思うきらだったがザンザスにとっては彼女の心配事などお見通しなのである。
勿論、ザンザスには時折堪えがたい時もあるがそれよりもきらを泣かせるよりはましだろうと考えていたのだ。肌を交わらせた事で、彼女を著しく怖がらせてしまうくらいなら我慢しようと。

きっと彼女の親友なら納得をしなかったかもしれない。
でも、きらには十分な言葉であった。あんなに横暴で、意地悪で、こちらの気持ちを幾度も踏みにじろうとしてきた彼のこの言葉だ。彼は自分を思ってくれてるのだ。
きらは嬉しくなり、爪先立ちになり彼の頬に感謝の口づけをした。
自分を思い遣ってくれる彼に愛おしさが込み上げてくるばかりであった。

次第に雷の音がはっきりとしてくる。

それでも、霧雨の中でひっそり愛を確かめ合う2人を守り隠すように木々はしとしとと濡れ続けた。



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