▼ 004
「糸ヶ丘ひとり?寂しいね」
「おはようもすっ飛ばしての罵倒をありがとう」
「へへっ」
「褒めてないよ」
朝一から成宮くんと出くわしてしまうという不運を恨みつつ、教室へと向かう。そもそも個人練習の陸上部と違って野球部は全員で朝練をしているはずなのに、どうして成宮くんの世話をする人がいないんだ。
「糸ヶ丘先輩!おはようございます!」
「あ、おはよ。髪切ったんだ」
すれ違ったのは陸上部1年生の長距離の子。朝練は完全に練習が別メニューになるので今日は初めて会った。
「よく分かりましたね!?前髪ちょっと切っただけなのに!」
「えー分かるよ? 似合ってるじゃん、可愛い」
「糸ヶ丘先輩に褒めてもらえるだなんて……っ!ありがとうございます!」
そういって去っていく後輩ちゃん。挨拶もしてお礼も言えて、しっかりした子だ。成宮くんも見習ってほしい。そう思って彼の方を見ると、じとっとした視線を向けてくる。
「……糸ヶ丘ってば女たらし〜」
「はい? 女同士なら普通の会話でしょ」
「そうかなー?でも女子って髪切ったの指摘されると喜ぶよね」
「男子も言われたら嬉しいんじゃない?」
「じゃあ言ってみてよ」
「……成宮くん、髪切った?」
「は?切ってないし」
「何なの!?」
どう考えても今言う流れだったと思う。とはいえ、成宮くんと喋るようになって一カ月も経っていないんだから、そもそもどれくらいがいつもの長さなのかもわからない。
「あんまり嬉しくないね。糸ヶ丘相手だからかな」
「当たってないからじゃない?」
「そもそも髪型なんてそこまでこだわってないから指摘されてもなー」
「まあそれなら嬉しくならない……のかな? じゃ、私行くね」
下駄箱から近い方の私のクラスにたどり着き、成宮くんに別れを告げる。本当のことを言うと、座席は前の扉の方が近いのだが、さっさと去りたいので最近はつい後ろの扉から入るようになってしまった。
「糸ヶ丘じゃん、はよ」
「神谷くんおはよ……髪切った?」
「おー切った切った」
廊下側最後列というラッキーな席の神谷くんが、教室に入ってすぐ挨拶をしてくれる。つい先ほど話題に出ていたのもあって、彼の襟足がサッパリしていたことにすぐ気付くことができた。
「やっぱり、夏だもんねーいいねサッパリだ」
「あー……なるほど」
「なるほど?」
「糸ヶ丘はモテるわけだ」
「髪型指摘しただけで?」
「成宮は『ハゲた?』って聞いてくるぞ」
「ひどすぎる」
本当に、成宮くんのファンをしている子の感性が心配になってくる。いやしかし、猫をかぶっていると聞いたこともあるから、みんな彼の本性をしらないのだろう。思えば私のクラスメイトには彼のファンらしき人はいない気がする。同級生だと性格を知っているからファンにはならないんだろうな。
***
「……いないなあ」
「糸ヶ丘?何やってんのクラス間違えてるよ」
「間違えてないわよ。山口くんいる?」
「さあ?便所じゃない?」
「じゃあ勝手に持っていこ、山口くんの席教えて?」
「ここ。となり。」
「ありがと」
同じ陸上部の山口くんから英語の教科書を貸してくれと頼まれ渡したのが朝のこと。私たちのクラスがもう英語の授業だというのになかなか返しに来ないので取りにきてしまった。私の物とはいえ勝手に持っていくのもあれなので、机に出しっぱなしだったシャープペンで、恩着せがましいメモを残しておこう。今度ジュース奢ってね、っと。
「……何」
「成宮くんは自習中?」
「残念ながら、さっきの授業寝ていたから今必死に板書写しているとこだよ」
「本当に残念だった」
成宮くんが静かにしているのもめずらしいと思い、つい見続けていたらバレてしまった。ちょうど写し終わったようで、ノートを閉じて伸びをする。そういえば書くのも左なんだなあと、ぼんやり考えていた。
「成宮くんて書くのも左なんだ?」
「そうだけど」
「綺麗な文字書くよね」
「そうかー?」
「左だと文字書きにくいんでしょ。持ち方まで綺麗な人めずらしいなーって」
左でボールペンを使おうとすると、うまくインクが出なかったり、すごく書きにくいらしい。万年筆なんて持っての他と、昔聞いたことがある。右利きと同じ持ち方をしては書きにくいのだとか。
それをふと思い出した。成宮くんは綺麗な持ち方で、さらさらと文字を書いていた。
「ま、まあ?天才ピッチャーだからペンダコ作ったりできないし?」
「野球ボールって握り方で変化変わるんだっけ」
「そうだよ!俺は何でも投げれちゃうからね!気を使っているわけだよ!」
「へー。あ、じゃあナックルボールって投げられる?」
「無理だっての!野球舐めんな!」
「えぇー……ご、ごめん」
精一杯の知識で聞いてみたら、なぜか怒られた。ナックルボールは難しいのか。もう下手に野球で質問するのはやめておこう。
(鳴に昨日なんか言った?)
(ナックルボール投げれる?って聞いたら怒られた)
(ふぅーん……?)
(あれっそういう話でなく?)
(なんか練習で調子乗ってたから)
(いつもじゃないの?)
(それもそうだな)
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