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愛されたいなら、愛し、愛らしくあれ。
昔、アメリカの偉い人がそう言っていたらしい。
私は愛されたいわけじゃなかった。だから愛らしくある必要もなかったし、他人に愛を注ぐ必要もなかった。
なのに、なのに鳴先輩のことを好きになってしまうだなんて――。
「あ、かのえちゃん」
「あっえっと、……お疲れ様です!」
そういって、あの子はすぐに逃げてしまった。彼女の振りを頼んで以来、ずっとこの調子だ。
「……ねー樹」
「なんですか」
「かのえちゃん今なにかあるの?」
「”なにか”って、また雑な質問ですね……」
自主練の投げ込み前に柔軟をしながら樹に聞いてみる。こいつ、ほんと身体かてーな。
「まあ、ないこともないんですけど、」
「なに? どうしたの?」
「……俺が勝手に喋っては駄目そうな内容です」
「この俺が許可するから喋っていいよ」
「いや、鳴さんの許可もらっても、」
「喋れ」
満面の笑みで聞いてあげているのに、樹は口を割らない。
「流石にちょっと、」
「えー何なのさ!いいじゃん別に!どうせ俺関係でしょ?」
「分かっているなら聞かないでくださいよ」
「良い話か悪い話か分かんないから困ってんの!」
両足をおそらく精一杯であろう角度に開いて、ぺたりと座り込んでいる樹がこちらをみる。まぬけな顔。ポーズもまぬけ。ちょっとだけ顔をしかめてから、逆に質問してきやがった。
「鳴さんにとって、良い話ってどんな話なんですか?」
「ん? かのえちゃんが俺に告白しようと悩んでいるとか」
「鳴さんって糸ヶ丘さんのこと好きだったんですか!?」
「まー普通に可愛いなって思うよね」
「ああ、そんな感じなんですね」
そんな感じって、どういう意味だ。ちょっとイラッとした。
「どういう意味だよ樹」
「いやてっきり本気で好きなのかと」
「でも彼女になってほしいってんならかのえちゃんだよ」
「ファンに手は出さないんじゃなかったんですか?」
「かのえちゃんはただのファンじゃないし」
「まあやりすぎなとこはありますけど、」
「もー!そうじゃなくて!」
中学時代に俺のこと知って、高校まで追いかけてきて、今もずっと応援してくれて。確かにそんなファンはかのえちゃんしかいない。だけど、それだけじゃない。
「かのえちゃんから聞いてない?俺たちの初対面」
「? 突然中庭で声かけられたって、」
「それ違う!向こうが中学で俺が東京予選の時の話!」
「夏に一目惚れしたとしか……あれ、球場まで行っていたんですか?」
「……決勝近づいてくるとOBとかめっちゃ集まってきてずーっと喋ってるじゃん、知らない人ばっかになってきたから面倒になって、先にバス乗り込んで待っていたらさ――」
***
あれは試合が終わってすぐ、ずっとバスでみんなの帰りを待っていた時にみつけた。ベンチでも駅からの道でも何でもないところでうずくまる、女の子。
真っ青な制服を隠すように白いカーディガンを羽織った女の子。全然汗も吸えなさそうなハンカチを頭にかぶせ、空になったペットボトルを置いて、ずっと動かなかった。かと思えば、
――ぱたり
倒れた。
「え、ちょ、」
流石に不味いと思って朝配給されたスポーツドリンクを持ってバスから降りて、その子の元へ走る。タオルは湿っているが、汗は引いている。でもぐったりして、皮膚があつい。完全なる、熱中症の症状だ。
「ねえ、聞こえる?」
「す、みません」
「スポドリ飲んで。保護者は?」
「……友だちと、来ていて、」
「その子は!?」
「人呼んでくるって、」
身体を起こすこともできない少女を、後ろから抱きかかえる形で支える。ペットボトルを持たせ、手を添えて何とか水分補給をさせる。俺がいないと気付いた雅さんが、俺を見つけたついでに異変に気付き、人を呼びに行ってくれた。
「……すみません、おかね、」
「いーよ、気にしなくて」
「おかね、……今もってなくて」
「持ってないのかよ。まあどっちにしろいらないし」
よれよれとはしていたが、何とか座る体制を取れるまでには回復した。だけどまだ顔は死んでんな。他人事のように、その子の様子をみていた。
「鳴」
「あ、」
「人呼んできた、あとは大丈夫だ」
警察官みたいな服装をした警備員が、やってきてくれた。その子が名前や保護者のことを聞かれ、あまりよくなっていない顔でぼそぼそと答えている。その友達からの連絡が回っていたのか、警備員が無線で何かを伝え、裏口っぽい扉から中へ入っていった。
もうそれきり。だと思っていた。なのに今年の春。その子がいた。
夏にみた姿とは全く違う、凛とした姿だった。
「――ってこと」
「はあ」
「何? 運命的じゃん?」
「糸ヶ丘が鳴先輩を追いかけてきた理由は分かりました。でも鳴先輩は一体どこで……?」
「そりゃお前、あんな可愛い子が偏差値高い稲実まで追いかけてきてくれたら、興奮するでしょ」
「は、はあ……」
「鳴は趣味わりーな」
「ぎゃ!」
突然背中を押される。振り向けないけど、この声はカルロだ。
「カルロなに!?怪我したらどーすんのさ!」
「怪我しないための柔軟を手伝ってやってんじゃねーか」
「荒い!雑!もっと大事にして!」
「それよりさ、」
「それより!?」
エース様の身体よりも大事なものなんであるか!そう叫んでいるのに、カルロは無視で口を開く。
「糸ヶ丘って去年も球場に来ていたんだな」
「そ!俺に惚れたのもその時〜」
「なら何目的で来てたんだ?」
「……ん?」
「鳴を知ったのがその時なら、他の目的で来ていたんじゃねーの」
確かに。言われて気付く。わざわざ県外から制服で来るなんて、よっぽどだ。そもそも地方予選までくるなんて知り合いか、相当な野球好きばっかりだし、かのえちゃんは、多分相当な野球好きって感じじゃない。
「あいつ家結構遠いだろ、わざわざ来るって、男とか?」
「で、でも彼氏いなかったって!」
「片思いの先輩〜ってパターンもあるだろ」
「じょ、女子校だし!」
「それもそうか」
カルロがようやく納得してくれた。が、まだ可能性は消えたわけじゃない。もやもやする。なんでだろ。
「こうなってくると、何の目的で来たのか気になるよな……」
「そうですね。そもそも野球詳しくないですし」
「っ今は詳しい!俺のために詳しくなったし!」
そうだ。よく考えてみろよ成宮鳴。
あれだけ俺中心で生きている子だ。たとえ去年誰と行こうが誰目的で観に行っていようが、かのえちゃんにとって俺が一番に決まっている。
***
「あ、」
「いた!かのえちゃん!」
「……お、お疲れさまでした!」
「待って!」
鳴先輩への恋心を自覚して以来、まともに先輩の顔をまともに見ることができていなかった。
いつもだったら友だちと中庭で食べていたランチも、ひとりで空き教室で食べている。これはまあ、メイクを変えてから手直しに時間がかかってしまうっていうのもあるんだけど。ということで、机に鏡を立てて崩れたところを直していたら、捕まってしまった。
「もーすごく探したんだから」
「す、みません」
そういって、私の前の席に座る。いつもの窓際席と違って、贅沢に教室の真ん中を二人で使った。
「何これ化粧品?」
「は、はい!」
「へー、こんなに使うんだ。これは?」
「それはですね、」
いつかの神谷先輩のように、メイクグッズに関心を持ってくれる鳴先輩。なるべく、自然に、自然に話さなきゃ。
「女の子って大変だねー」
「私が特別メイク濃いっていうのもありますが」
「そういえば、練習試合以来ずっとそのメイクじゃん」
指摘されてしまう。自然に。自然に。
「……ナチュラルメイク、楽しいなって思えたので」
「うーん、俺のためじゃないの?」
自然に……なんて、できるはずもない。当然その通りだ。だからって、「鳴先輩に好かれたくてメイク変えました!」なんて大声で言えるはずもない。あれ、昔は言っていたんだっけ。なら言った方が自然なのかな。
「、め、いせんぱいのためです!」
「ほんとにー?今ちょっと詰まらなかった?」
「ほんとです!」
「じゃあさ、俺がスッピンがいい〜って言ったらスッピンにしてくるの?」
「そ、それは……」
それはできない。だって私はそもそも、自分のすっぴんがキライだから。化粧をする女の理由なんて大体そうだ。自分の顔が気に入らないから、理想の顔に近づける。しかし、鳴先輩は化粧をしないから、分からない。
「……あのさ」
「は、はい!」
「野球観戦、誰と来たの」
突然の話題転換に、驚きつつもホッとする。すっぴんの話題から逸れてよかった。
「1年生の応援バス出る日はクラスメイトと、」
「そうじゃなくて、去年」
「去年、俺と会った日」
がちゃがちゃとメイクポーチに片付けていた手が止まる。じぃっと、青い瞳に射抜かれて、心臓も止まりそうになる。思考も止まる。去年に、鳴先輩と、私が会った日。
「――っめいせ、めいせんぱい覚えてっ!?」
「覚えているっての。あんなとこでぶっ倒れている子、忘れらんないよね」
「ああぁあっ……!!あんな失態を……っというか、あの日は顔がっ!!」
「うん、死んでいたよね」
笑顔でそう言ってくれる鳴先輩。ああ、その笑顔がまぶしい。しかし、発言は容赦ない。ど真ん中ストレートで、私の心の傷をえぐる。
「じゃなくて、誰と行ったのかって話したいんだよね」
「誰と、」
「友だち? クラスメイト? それなら誰目的で行ったの?」
なぜそこに興味が。とは思ったが、そのくらいなら別にいい。
「同級生の友人です」
「じゃあ女の子か。野球好きなの?」
「その子は昔から、そうですね」
「そうなんだ。でもなんでわざわざ神宮まで?」
理由を伝えるのを、少し渋ってしまう。きっと、今までの私ならすぐに言えていたと思う。
「……その、友達が、鳴先輩のこと知っていて、」
「へー、なんて名前?」
「一方的に知っていただけらしいです」
知り合いじゃないから、名前を伝えない。私はなんてずるい女なんだっろう。自分の友人にまで小さな嫉妬をして、ほんと、小さい女だ。
「シニアの時のファンってことね」
「そう、みたいです」
「流石は俺じゃん!中学時代から女の子のファンいたなんてねー!」
きっと、今までの私なら、すぐに肯定していたと思う。鳴先輩のすごさを、たくさんの人が知っていて嬉しいから。でも今は、自分よりも前から鳴先輩のことを応援していた存在に酷く嫉妬している。
だって、対して私はミーハー丸出し。みんなが鳴先輩のことを知って騒ぎだしたのと同じようなタイミングで彼のことを知って、応援し始めて。改めて考えると、すごくにわかだ。今までは気にせずルールも知らなったと言っていたけど、恥ずかしくなってくる。
「……すみません、野球が好きって気持ちじゃなくて、」
「んー、まあいいんじゃない? 今は野球好きでしょ?」
そこはしっかりと頷く。悔しいけど、鳴先輩が出ていない時でも魅入ってしまっている。
「でも、やっぱりミーハーなのは、ちょっと肩身が狭いと言いますか、」
「誰でも最初はミーハーじゃん、あと10年もすれば立派な玄人だよ」
「10年……」
「あ、俺は当然プロ行って10年後も野球しているから」
だから、ずっと応援しているよね。
当然のようにそう聞いてくれる鳴先輩に、なんだか嬉しくなってしまった。
「も、もちろんです!」
「うん、よろしい」
そこはブレない、私の主軸だ。恋愛感情じゃない時から、ずっと変わらない。ずっと、鳴先輩を応援したい。
「げ、予鈴だ」
「じゃあ、私そろそろ、」
「あ、もういっこ」
「?」
「なんで最近避けてんの」
片付けたポーチをランチバッグに乗せて(入らない、大きいから)立ち上がろうとすれば、言葉だけで止められる。どこも掴まれていないのに、逃げられない。
「そ、れは」
「てっきり俺のことイヤになったからかと思ったんだけど、」
「っそんなことないです!」
「うん、そうだよね」
すぐに肯定してくれる。そうだ、私が鳴先輩のことイヤになるはずがない。
「かのえちゃんが良かったらだけど、」
「俺の、彼女にならない?」
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