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「わっ!」
「ぎゃ!」
「ぷぷっ可愛くない声〜」
「す、すみません!」
練習試合の終わった鳴先輩が、突然声をかけてきた。
「あれ、ねーちゃんは?」
「後輩さんと、おそらく帰って行かれました」
「……まー親会社の社長令嬢がいたら気まずいだろうね」
そう、鳴先輩のお姉さんが勤める会社は、父の会社のグループ会社だった。
「ていうかかのえちゃんの家、お金持ちってのは知っていたけど、社長とはねえ」
「すみません、あまり言いふらすようなことでもないかと」
「別にいいよ、俺が一番に知れたみたいだし」
あのあと野球部のやつらに聞いたけど、誰もかのえちゃんの家のこと知らなかったんだよねー。そりゃそうだ、多田野にすら言っていない。
「あ、でも社長令嬢って言われたくない?」
「いえ、そんなことは」
「ならよかった、かのえちゃんの嫌がることしたくないし」
そう言われるとは思わなかった。なんだこの気持ち。頬が緩むが、少し照れくさい気持ちが強い。ファンサービスとか、そういう類の言葉ではないような気がする。
「でも、どうせこうなるならあの女のことちゃんと調べて先に手を回せばよかったです……」
「んー?でも楽しかったよ」
「(どこが!?)」
「あと、かのえちゃんの私服も見れたし」
「なっそ、それは、!」
「やっぱり、今日の服装すっげー好み。可愛い」
「あ、ありがとうございます!!」
なぜだろう、今日は何度も褒めてくれる。嬉しい。結局(偽)彼女らしいことは何もできなかった。だって、あの女が離れた位置にいたからこっちがにおわせ女する意味もなかったし。せっかく今日一日は(偽)彼女だったのに。
「あれ、」
「どうしましたか」
「いるじゃん」
「……げ、」
とっくに帰ったと思っていた女と鳴先輩のお姉さんが、向こうからやってくる。さっさと帰ればいいのに。
「鳴ちゃんお疲れ様!かっこよかった〜!」
「……ありがとうございます」
「やっぱりあたしは素直に野球が好きだから、これからも応援したいなって思って!」
「(はーーー?何こいつ!!!)」
まるで私が下心で野球を見に来ているかのような発言だ。あながち間違いではないが、こんな女に言われることは腹正しい。笑顔は崩さないまま、出そうになる手を抑え込む。
「だからね、連絡先教えてくれないかなーって」
「は、」
「ちょっと、あんた彼女見れたら諦めるって、」
「えー? 諦めるとは言っていませんよ成宮さん!」
なんだこの女。(偽)彼女を目の前にして、鳴先輩に連絡先を聞く!?普通!?流石に黙っちゃいられないと、口を開こうとしたのだが、ぎゅっと、鳴先輩に左手を握られた。手を……手を?
「あの、すみませんがそういうのはできません」
「えー?どして?」
「彼女のことが大切なので、彼女の嫌がることはしたくないんです」
ぎゅっと、さらに力を込められて、ちょっと痛い。向こうは右手なのに、こんなに強い。
「でもまだ付き合ってすぐでしょ? もっと考えてもいいと思うよ?」
「……ちょっと、さっきから聞いていれば鳴先輩に、」
「かのえちゃん」
言い返そうとすれば、今度は肩を抱かれる。ち、近い……!
「彼女は俺のことを第一に考えてくれて、俺がいるからそこにいてくれて、俺がいなきゃ駄目なんです。そういうところが、誰よりも好きなんです」
どうしていいのか分からなくなった右手で、ぎゅっと自分の服を掴む。鳴先輩を見上げれば、視線はずっと向こうを見たまま、はっきりとそう告げた。こんなの、こんなのって――。
「〜〜っあたし!先に帰ります!」
そう言い残して去っていった女は、カツカツとヒールをならして、今度こそ本当に帰っていった。
「……いやー、ごめんね迷惑かけて」
「本当だよ!ったくねーちゃんは我がままなんだから!」
「あんたには言われたくなかったわ……あと、糸ヶ丘さんも」
自分の弟のファン、かつ親会社の社長令嬢。接し方に悩んでいる様子だ。
「……鳴先輩に迷惑かけるのは金輪際やめてください」
「いやほんとごめん、今度からはきっぱり断るから」
「絶対にそうしてください。約束してください」
「……かのえちゃん、強いね」
いくら鳴先輩のお姉さんであれ、鳴先輩に迷惑をかけるならば私の敵だ。
「鳴先輩のファンを続けるための弊害はいらないんです」
「やっぱり彼女じゃなかったんだ」
「あ、」
「……ねーちゃん、気付いていたのかよ」
「いやー、彼女にしてはやり取りが初々しすぎるなーって」
初々しいというか、ぎこちない?なんて言って笑うお姉さん。ならさっさと言ってくれたらいいのに。性格悪いな。しかし、こんな顔で文句を言っても情けないってことは分かっているので、悔しいけど黙ってしまった。
「それに鳴と付き合っているなら、姉である私にこんな喧嘩腰にならないでしょ?」
「鳴先輩だけが大事ですから」
「そういえば鳴の小さい頃の写真データ持っているけど」
「お姉さん、連絡先交換しませんか」
鞄からケータイを取り出そうともだもだしていたら、鳴先輩がするりと肩から離れてしまう。ようやく距離が空いて私の顔を見ることができた鳴先輩が、ケータイを握りしめる私を見てお腹を抱えて笑った。
「あははははっ!!耳真っ赤じゃん!!」
「こっこれは!」
「そっか、顔は塗っているからいつも気付けなかったけど、ちゃんと照れてくれていたんだね〜」
「ぎゃー!やだやだ耳触らないでください!」
「いいじゃん別に〜」
「お、おねえさん助けて!」
「あんたたち、いちゃつくのはいいけど向こうで野球部集まっているわよ」
お姉さんの冷静な指摘によって、ようやく鳴先輩は戻っていった。流れで帰ろうとするお姉さんを引き留めて、なんとか連絡先を交換したのは、今日2番目の収穫だ。
一番の収穫は、嘘とはいえ、あんなセリフを言ってもらえたことだ。
家に帰って、何度も何度も頭の中で思い出す。そして気付いてしまった。
私は鳴先輩のことを、恋愛対象として、好きになってしまったかもしれない。
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