▼ 08
「だーかーらー!絶対行かないからね!」
昼休み、中庭から教室へと向かう廊下を歩いていれば、遠くの方から鳴先輩の声が聞こえた気がした。友だちに先戻るように伝えて、声のする方へ歩いていけば、大当たり。あまり使われていない階段の踊り場に、鳴先輩がいた。
「ったく!」
「鳴先輩?」
「かのえちゃんじゃん、どしたの?」
「声が聞こえたので、つい」
「最近隠れなくなったねーえらいえらい」
ストーカーチックなことはやめるように言われたので、見かけたらちゃんと話しかけるようになった。まだ緊張はするし、今だってこうして並んで廊下に座っているのは、心臓が破裂しそうだ。
「随分と荒れていたようですが」
「ねーちゃんから連絡きてさー!マジで意味わかんないんだよ、聞いて!」
「どうぞ」
割と話がとんだりもしたけど、つまりはこうだ。
成宮家の長女であるお姉さんが勤める会社の同部署に、高校を卒業したばかりの新人が入ってきた。それがなんと鳴先輩のファンで、社長の娘らしい。”成宮”という名字から察した新人が勝手に調べ上げて、自分の教育担当が鳴先輩のお姉さんだと気付いたそうだ。
そして、
「俺とごはん行きたいーって駄々こねてるとか、知ったことじゃないっての」
紹介してくれと、頼まれたそうな。
「社長の娘とはいえ、上司に対してそんなわがまま言えるものなんですか……?」
「うちのねーちゃん、バリバリのキャリアウーマンだから出世願望もバリバリなんだよ。きっとそれ知っての脅しだよ脅し!」
「で、脅されたお姉さんから電話がきた、と」
「そ! でも無視する!」
それはそれで、お姉さんは大丈夫なんだろうか。鳴先輩にしか興味ない生活だが、鳴先輩のお姉さんとあらば心配になってしまう。
「ま、彼女いるって言ったから、もう大丈夫だろうけど」
「え、」
「ん?」
「鳴先輩って恋人いらっしゃったんですか……!?」
衝撃の事実。思わず立ち上がり、手すりの方にもたれかかった。嘘でしょ、そんな情報、一切なかったのに。
「いや、いないけど?」
「えっ」
「出まかせだよ、流石に彼女いるって言ったら向こうも諦めるでしょ」
「な、なるほど!」
確かにそれは名案かもしれない。まさか彼女に会わせろまで言ってくることもないだろうし、出まかせで充分だ。こうして頭が回るところも、鳴先輩はすごいなあって思う。すごいすごいと褒めたたえ、鳴先輩が満足そうに笑って私達は教室の方までのん気に一緒に歩いた。
そのまさかが起こるだなんて、私も鳴先輩も思っちゃいなかったから。
***
「どうしようカルロ!」
カルロの寮室に飛び込む。どうしよう、どうしよう。
「なんだよ鳴、こっちはまだ服着てないってのに」
「お前いつも着てないじゃん!つーかマジでヤバイ!」
ねーちゃんから電話があった日の夜、今度はメールが入った。
ようやく諦めたかと思って鼻歌まじりに開いたら、
『後輩が「その彼女に合わせてください」って言いだした。練習試合見に行くから彼女連れてきて』
「ねえ!どうしよう!」
「嘘でしたすみませんって、おとなしく会えばいいんじゃねえの」
「やだ!タイプじゃなかった!」
一瞬だけ考えたけど、気軽に会ってはい終わり、なんて行くはずもない。俺はそんな、権力に屈した恋愛なんてしたくない。
「なら、マジの彼女作れば?」
「作ればで作れないっての!今週末だよ!?」
「ならテキトーにその辺の女に頼むとか」
「あと腐れなく彼女の振りしてくれる女友達なんていねーよ!」
「モテる男は大変だなー」
「カルロお前、他人事だと思って……!」
他人事であるのに間違いはないが、チームメイトの苦労を楽しんでいるようにも見える。
「つーか割と顔だけはよかったんだよ、その令嬢。アレに対抗できるやつが……」
「いるじゃん」
「は?どこに」
「鳴のためなら喜んで彼女の振りしてくれそうで、見た目だけならピカイチの女」
まあケバいけど、なんて言葉を付け足したカルロの指している子が、すぐに思いつく。俺もカルロと話しているうちに、同じ子が思いついた。でも、却下だ。
「――かのえちゃんは駄目」
「なんで? ケバいから?」
「そんなのはいーの。でも断られたらショックだし」
「断らないだろ」
「分かんないじゃん」
予定があるとか、荷が重いとか、どんな理由であれ俺以外のものを優先されたら嫌だ。あの子の中で、俺が一番であってほしい。
「俺より優先されるものがあったら落ち込む」
「いやー……ないだろ」
「分かんないじゃん」
「だってお前が騒いでいたスッピン騒動も、結局鳴の為だったんだろ?」
「それはさー……へへっ」
「めげるのかニヤけるのかどっちかにしろ」
カルロの言うスッピン騒動っていうのは、球技大会の話だ。俺以外の男のこと気にしているから、ちょーーーーっと気になったってだけの話。別にかのえちゃんが誰のこと気にしててもいいけど、あれだけ俺のこと好き好き言いながら俺以外のこと気にしていたらやっぱり癪じゃない?って思っただけ。それだけ。
「むしろ頼まなくても喜んで名乗り出るだろ」
「でも、俺の彼女役ってプレッシャー高いし」
「よく自分で言えるな」
「かのえちゃんは絶対そう思うね、「私なんかが鳴先輩の彼女なんて!おこがましいです!」って」
「まー確かに言いそうだけど……よく自分で言えるな」
カルロは同じ言葉を繰り返す。
「つーかその理由なら断られても諦めつくだろ」
「えーーーやだ」
「なんでだよ、もしかしてガチだから言えないとか?」
「……そうじゃないけどさ」
違う、かのえちゃんはあくまでファンだ。俺のことを応援したくて、わざわざ稲実に進学してきた、ちょっと特別なファン。
「ま、どっちにしろ糸ヶ丘くらいしか候補いないんだから」
カルロはそういって裸のままベッドに寝転がった。俺も、仕方なく自分の部屋に戻った。
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