▼ 04
「あ、鳴のお気に入り」
「……」
「ガン無視かよ!おーい、えっと、名前知らねえ」
「うぇっ」
放課後、いそいそと2階の空き教室へ向かっていれば、神谷先輩とすれ違う。通り過ぎたタイミングで腕を掴まれ、ようやく私に声をかけていたんだと気付いた。
「……何でしょうか」
「名前、なんてーの」
「糸ヶ丘です」
「下の名前は?」
「……糸ヶ丘、かのえです」
彼も部活に行こうとしているってことは、鳴先輩も今から部活だ。こんなとこで時間を使っている場合じゃない。早くグラウンドの見える空き教室に行きたい。渋い顔をしているのが「名前を呼ばれたくない」と勘違いされたのか、わざわざ名前を聞いたのに結局名字で呼ばれた。
「糸ヶ丘ね、今からどこ行くんだ?」
「ちょっとヤボ用で」
「こんな空き教室しかない廊下に?」
「……色々とありまして」
今から野球部の練習を覗き見します。なんて、宣言するのもどうかと思い、濁しながら用事があることを伝え、早々に去ろうとする。のに、神谷先輩は私を呼び止める。
「……ということで、失礼します」
「まー、待て待て。せっかく今日は鳴いないって教えてやろうと思ったのに」
頭を軽く下げて歩きだせば、私の知りえなかった情報が聞こえる。思わず振り返った。
「なぜ……?」
「俺、優しいから」
「教えてくれる理由じゃないです」
「さよか」
「で、鳴先輩はどうしたんですか。学内行事で集まる時期じゃないですよね。トレーニングですか。外部で練習ですか。もしや病院ですか、怪我なんてしていませんよね。ねえねえ。」
「食い気味だな!ただの補習だっての!」
練習にいないと聞いて、ちょっとゾッとしたが、何事もないそうだ。
「……ならよかった」
「本当に鳴のこと好きなんだな」
「そう、ですけど」
多分、神谷先輩の言っている”好き”とは違う気がする。向こうは多分恋愛的な話をしていて、私は崇拝的感情だ。でもわざわざ言うことでもないので、そのまま肯定した。
「もう帰っていいですか」
「ん? 用事は?」
「鳴先輩いないなら帰ります」
「練習見に来てたことあったんだ?」
「……あ、」
2階から毎日覗いていることは、全員が気付いているわけじゃないようだ。単に墓穴を掘っただけになってしまった。ちょっと気まずいが、バレてしまったものは仕方がない。別に練習を見ているだけなら他の子もたくさんしている。多田野に写真を提供してもらっていることは隠さないといけないけれど。
「糸ヶ丘は鳴のどんなとこが好きなんだ?」
「どんなところと言われましても……あまり人に話すようなことでも」
鳴先輩のことは、どんなことだって好きだ。野球がすごいことも、いつも楽しそうにしていることも、優しいところも。だけど正直、一緒に寮生活までしている神谷先輩に話して、「もっと知っている」ってマウント取られることは悔しい。ので、言いたくない。
「俺、結構鳴と仲いいんだよ」
「えっ自慢ですか」
「ちげーよ。ほら、俺とも仲良くしておいたら何かしら恩恵あると思うけど?」
つまり、恩恵代わりに正直に喋った方がいい。多分そう言いたいらしい。でも、先輩はやっぱり勘違いしている。
「別に私、鳴先輩と付き合いたいとかそういうのじゃないんです」
「そうなのか?」
やっぱり。なんですぐに恋愛だと思われてしまうんだろう。
「私は鳴先輩を見ているだけで幸せなんです。野球してキラキラしている時が一番かっこいいから、私はそれを見れたらいいんです」
この感情は、恋ではない。強烈な心酔だ。
「……はー……よく分かんねえけど」
「理解されなくて結構です。練習頑張ってください」
「なんですぐ帰ろうとするんだよ」
「神谷先輩こそさっさと部活へ行ったらどうなんですか」
「行くけどもうちょいだけ。樹には色々協力してもらってんだろ?」
「多田野には野球部のスケジュールと鳴先輩の写真を嘘です何でもありません」
口がすべった。
「写真?」
「何でもありません」
そのまま歩こうとしたのだが、腕を掴まれ引き止められる。
「へー鳴の盗撮頼んでんだ?」
「違います。偶然鳴先輩が写ったら送ってもらっていただけです」
「偶然うつんねーだろ」
「写るんです」
腕を掴まれたまま、壁際まで追い詰められる。身長があるだけあって、威圧感がすごい。
「……いくら払えば黙っていてくれるんですか」
「別に金欲しさじゃないって、単純に面白そうだなって」
「私はただただ不愉快です」
ガン飛ばせば、けらけら笑う。いいから早く練習に行け。鳴先輩のために上手くなれ。そう念じていれば、廊下の遠くから声が跳んできた。
「何やってんの」
どんどん近づいてくる鳴先輩。パッと手を放す神谷先輩。補習はもう終わったのかな。眉間にしわが寄っている様子も、かっこよくて素敵だ。はーー好き。
「ねえカルロ、何やってんの」
「あー……ちょっと世間話を」
「そんな雰囲気じゃなかったけど」
「世間話だよ。なあ糸ヶ丘?」
「ふんっ」
助け舟を求める神谷先輩を無視してそっぽを向く。すれば、鳴先輩がこちらを向いた。
「かのえちゃん、大丈夫だった?」
「鳴先輩、優しい……!」
「大 丈 夫 だっ た ?」
「す、すみません!大丈夫です!」
ちょーーーっと詮索されたくらいだ。別にそこまで何かあったわけではない。しかし、こうして鳴先輩の優しさを受けられるとは思いもしなかった。私がキャッキャしていると、それが気にくわなかったのか、神谷先輩が口を挟んできやがった。
「樹とどんなやり取りしてんのかなーって」
「げ、」
「……どんなやり取りしていたわけ?」
「こいつ樹からお前の盗撮写真もらって、」
「ぎゃーーーーー!!!」
慌てて神谷先輩の腕をつかむ。襟首をつかんで口を手で塞ごうとするが、いかんせん身長が足りずに避けられた。しかし、どっちにしろ既に手遅れである。
「俺の盗撮?」
「……本当にすみません」
「樹とやりとりしてたのって、そんな内容ばっかり?」
「あの、本当にすみません……」
素直に頷くことができなかった。まさにその通りだったから。
「なら、今はもう連絡取ってないよね?」
「えっ」
「だって俺が写真送ってあげているじゃん」
「お前何やってんの」
「ん? ファンサ」
確かに、鳴先輩から送ってもらえるようになって、私から多田野に頼むことはなくなった。だけど多田野は今も集合写真なんかは送ってくれたりする。鳴先輩はそういうのくれないから、貴重なのだ。
「私から頼むことはなくなりました」
多田野が厚意で送ってくれることがあるとは、言わない。嘘はついていない。
「ならよし」
「いいのか!?盗撮されてたんだぞ!?」
「えーだってそのくらい結構あるし。樹はあとでシメるけど」
「(多田野ごめん)」
ともかく、私の罪は許されたようだ。よかった。多田野には今度菓子折りでも渡そう。
そういえば、鳴先輩は補習ではなかったのだろうか。そう思ってじぃっと見つめてしまっていたら、首をかしげてきょとんとする。めちゃくちゃ可愛い。
「かのえちゃん、どしたの」
「いえ、あの、補習だと伺っていたので、」
「あー、あれ先生が急用入ったとかで明日になった」
「! なら今からは、」
「部活〜カルロも行くよ」
「はいはい」
じゃ、と言って歩き始める鳴先輩(と、ついでに神谷先輩)に頭を下げて見送る。今日も鳴先輩が野球している姿を見られる。嬉しい。
「あ、」
彼を背中を見つめながらニヤついていたら、何か思いだしたのか、鳴先輩が振り向く。
「今日は屋内練習ばっかだから、空き教室からだと見れないよ」
「え”、」
「だからもう帰った方がいいんじゃない?」
「……そうします」
そう言われてしまうと、もう残る理由もない。鳴先輩以外、見るつもりもない。
まっすぐ帰っても暇だし、新作のチークでも探しに行こうかな。他の生徒も多い時間帯に帰るのは久しぶりだ。めずらしく放課後に歩きまわっていたら、案の定疲れてしまったので、その日はすぐに眠りについた。
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