小説 | ナノ


▼ 22

倉持先輩が部活に来なかった木曜日から約一週間、夜の食堂に沢村先輩の声が響き渡る。

「えっ!?陸上部のユキヒョウさんって倉持センパイの妹だったんですか!?」

知らぬ存ぜぬといった様子の光舟とは違い、俺の正面に座る浅田が、「知らなかったんだ」と呟いた。

「今更かよ」
「倉持センパイ!どうして教えてくれなかったんですか!」
「むしろなんで知らねえんだ」
「皆さんご存じで!?」
「充分騒ぎになっただろ」

面倒くさそうに対応する倉持先輩の言葉は、最もである。

倉持先輩が夜中戻ってきた日、既に話は広がっていた。本人から直接話を聞いたわけではなく、噂のように伝わっていったから、運悪く沢村先輩の耳には入らなかったのかもしれない。

「つーかユキヒョウさんってなんだよ」
「あだ名を付けてほしいと頼まれたんです!」
「なんでユキヒョウ」
「最初はメスのチーターと思ったんですが、そんなに速くないと謙遜されましてね!」

説明された倉持先輩の相槌が少し止まった。席が遠くてはっきり見えないけど、多分、ちょっと照れている。

「そんでヒョウ?」
「あとジャージが白いからユキヒョウです!」
「陸上部全員着ているだろ」

倉持先輩のツッコミ通り、確かにそんなこと言ったら陸上部は大体当てはまる気もする。だけど、血縁を知らないままチーターとヒョウなんてあだ名付けられるなんて、何だか凄いと思ってしまった。

「……って、そんな話じゃなくて!」
「あぁん?」
「浅田!お前は知っていたのか!?」
「え、あ、はい」

自分だけ知らなかった事実が気に食わない沢村先輩は、次々と声をかけていく。糸ヶ丘と同じクラスの浅田にも。当然知っている浅田は簡単に頷いたが、それも悔しかったようだ。俺と浅田の間に割り込んで、浅田の両肩を持ちブンブンと揺さぶった。

「なんで言ってくれなかったんだ!なあ!浅田!」
「ちょ、沢村先輩、苦し……っ!」
「瀬戸も知っていたか!?奥村もか!?」
「俺たちも……まあ、はい」

答える気のなさそうな光舟の代わりに、まとめて返事をする。正確にいうと、俺は誰よりも早く聞いていたのだが、それは言わないでおく。糸ヶ丘との約束だし。

「あの、沢村先輩、そろそろ浅田を離してあげては、」
「だーっ!しかし!しかし悔しい!」

死にそうな浅田を心配して、沢村先輩を止めようとするも、なかなか止まってくれない。沢村先輩って糸ヶ丘とはそこまで関わりないはずだから、倉持先輩のことを知らなくて悔しかったんだろうな。

とはいえ、そろそろ止めないと本当に浅田が気絶しそうだ。どうしたものかと焦っていれば、後ろの席から注意が飛ぶ。


「そろそろ離してやれよ」


その声を受けて沢村先輩もようやく止まった。

「……そういえば御幸先輩って」

沢村先輩の言葉に、食堂が凍りつく。

そう、糸ヶ丘と倉持先輩が兄妹と知って驚いた野球部が、その話題を大っぴらにできなかった理由が2つある。1つは倉持先輩本人が病院へ行き、寮にいなかったから。そしてもう1つは。

「――ユキヒョウさんのこと、好きなんでしたっけ」

糸ヶ丘と倉持先輩が兄妹だと知れ渡った前日、御幸先輩はこの食堂でハッキリと宣言していたから。

「……沢村」
「な、なんでしょうキャプテン!」

浅田の胸倉を掴んだまま、沢村先輩は三年生の方を見てそう尋ねる。食堂から、食器の音すらなくなる。その静寂を破ったのは、やはりキャプテンの声だった。

「その話題、金輪際口にするな」

あまりの迫力に、生唾飲む音が聞こえた。沢村先輩で駄目なら、もうこの話はなかったことにするしかない。そう思った時。

「……でも御幸が糸ヶ丘さんのこと好きだなんて今更でしょ」
「っな!?」
「倉持にも牽制していたくせに」
「ちょ、な、ナベ!っ何言って!」

食べ終わった渡辺先輩が、返却口へと向かいながら軽い口調でそう言う。先輩側から見たら割と分かりやすく狙っていたんだと察せてしまった。

「つーか倉持も言えよ!妹なら!」
「だから事情があったんだっての」
「事情!?たった数日で言える状況になるのかよ!?」
「ああ、アッサリな」

そう言って、しれっとご飯を食べ進めている倉持先輩。糸ヶ丘から聞いてはいたけど、無事に解決できた様子に改めてホッとする。

「……一生の不覚」
「何がだよ」
「よりにもよって、倉持の妹に……っ!」
「ああん?」

御幸先輩の言いざまに、今度は倉持先輩が食いついた。だけど、何となくその感覚は分かる。

「喋りやすいわけだよ……倉持の血筋だから気遣う必要ないし」
「気遣えや」
「倉持に似ているから、女子って雰囲気もなかったし」
「女子は女子だろ」

”倉持先輩の妹”を好きになってしまったのがよっぽど悔しいのか、御幸先輩は顔を伏せながらブツブツと言っている。周囲の三年生も、どう慰めていいのか分からなくて、倉持先輩だけが返事をしていた。

「……思ったんだけどさ」

浅田の胸倉をようやく解放した沢村先輩が、腕を組んで呟く。

「モッチ先輩の妹だからって、好きになっちゃ駄目なのか?」

独り言のようなその言葉は、三年生のところまで届いてしまったらしい。固まった御幸先輩が、ゆっくりと倉持先輩に視線を向ける。

「……お兄さ「全部言ったら殺す」

しかし、その言葉は倉持先輩によってかき消されてしまった。



「……すみませーん」

そうこうしていると、食堂の扉が開いた。そこに居たのは。

「おっ、話題のユキヒョウさん!」
「話題?」
「今ちょうどキャップが「おーい沢村、ちょっと黙れ」

ずんずんこちらへやってきた御幸先輩が、沢村先輩と肩を組み奥へと消えていく。俺たち一年はそれを見送り、そして、また入口へと視線を向けた。糸ヶ丘が誰に用事があるのかなんて、全員がすぐに分かった。

「何しにきたんだよ」
「お兄ちゃんサボらせちゃったから、先生たちに謝罪入れたいって」
「父さんが?」
「うん」

糸ヶ丘が持っている紙袋を覗き込んで、倉持先輩が色々言っている。

「いいって言ったのに」
「でもほら、三年間のお礼も兼ねて」
「それだとむしろ早すぎんだろ」

クラスメイトと喋るよりも、一段と崩した口調の糸ヶ丘を見て、本当に兄妹なんだと実感する。言われてみれば、確かに似ているな。

「あ、もしかしてまだ夕食中?」
「俺は終わった」
「なら案内してよ」
「……ったく、仕方ねえな」

頭をガシガシ掻いた倉持先輩が、こちらを見る。

「おい瀬戸、フォーム見るのまた明日でいいか?」
「あ、はい!大丈夫です!」

そう、今日は盗塁のタイミングを教えてもらう予定だった。前に糸ヶ丘のことで色々あったから、それの礼ってことで。

「え、何? 瀬戸くんのフォーム見るの?」
「ちょっと借りがあるから」
「私のフォームは?」
「お前まだ走れねえだろ」
「じゃあ夏が終わったらね」

そういって、糸ヶ丘はこちらに手を挙げる。

「ごめん瀬戸くん、今日はお兄ちゃん借りるね」

箸を持ったままの手をあげれば、糸ヶ丘は満足そうに笑って食堂を出ていく。それに続いて、倉持先輩も。


二人を見送って、ようやく食堂が普段の調子を取り戻す。御幸先輩だけは端で項垂れているけど、沢村先輩が励ましてくれているから大丈夫だろう。
さて、俺も食べきらないと。そう思って箸を持ち直せば、まだ2杯目の浅田がぼんやりと呟いた。

「……本当に兄妹なんだ」
「みたいだな」
「夏も甲子園、行けるといいね」
「うん?」

なんで今。そう思ったら、浅田も慌て始める。

「あっ、いや、僕がそんなこと言える立場じゃないんだけどっ」
「まあ甲子園はみんな目指しているけど……なんで今」

疑問をぶつければ、浅田がオドオドしながらも呟いた。

「あの雰囲気だと、糸ヶ丘さんもお父さんも春の全国大会は見に行ってない気がして」

そういえば、倉持先輩が青道に居ると知ったのは春過ぎだと言っていたっけ。糸ヶ丘の父親も、娘を置いてこっそり、なんてことはしないだろうから、糸ヶ丘家は球場まで足を運んではいないだろう。

「……倉持先輩の凄いとこ、糸ヶ丘も見られるといいな」

そう思っているのは他の先輩たちも同じだったのか、今日はみんな、いつも以上に早く食べ終えて、監督たちへの挨拶を終えた倉持先輩が驚くほどに気合いの入った自主練となった。

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