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人生でここまでの注目を集めることなんてないと思う。
恥ずかしくて顔を雅の背中に押し付けていたけど、雅が廊下を歩いている間、ずっと周囲のざわめきが聞こえた。もう消えたい。今日は散々だ。
教室で泣いちゃうし、パンツ見えそうになるし、変な注目集めるし。
それに、雅に嫌われちゃった気がするし。
「ここまで来たらいいだろ」
そういって、雅は私を降ろしてくれる。旧校舎の、空き教室。机も椅子もなかったから、教壇に私を座らせて、雅は私の正面にしゃがみ込んだ。
「……ぐずっ」
「かのえ、お前ハンカチ持ってんのか」
「……ある」
あまりにも酷い顔をしていたのか、私と向かい合った雅はそんなことを言ってくる。スカートのポケットからハンカチを取り出して、ガシガシ顔を拭く。それでも涙は止まらないし、目は腫れている感覚がある。
「髪、切ったんだな」
「……うん」
「似合っている」
そういって、雅は私の頭を撫でる。手も繋いでくれないし、ハグしてくれることなんて全然ない。だけど、髪を触るのは躊躇なくしてくれる。こっちは手を握られるよりもよっぽどドキドキしてしまうっていうのに、雅は逆らしい。
「鳴に何されたんだ」
「……あんまり言いたくない」
「どうせ鳴が悪いんだろ」
私と成宮を比べたら、私の方が信頼に足るらしい。嬉しい。
「なら私と神谷が言い合いしていたら?」
「話聞いてからだな」
「白河と喧嘩していたら?」
「それは……多分お前が悪い」
「白河に負けた……!」
ショックを受けていると、雅は楽しそうに声をあげた。こんな状況だっていうのに、嬉しくなってしまう。
でも、成宮には勝てる。私はゆっくりと、何があったのかを雅に伝えた。
「――ったく、あいつの話なんかまともに聞くんじゃねえよ」
「ごめんなさい」
全部話し終えたら、雅は大きくため息をついた。成宮のバカに呆れているのと、私の頭の弱さにガッカリして。
だけど、また私の方をみて、ちゃんと聞いてくれる。
「かのえが一番悲しかったのは、何に対してだ」
「一番は……雅に嫌われちゃうんじゃないかって」
「髪切ったくらいで嫌うわけねえだろ」
雅はそういうけど、でも、雅が嫌がることだと思う。
「だって成宮なんかの言葉に踊らされる女、雅はイヤでしょ」
「そう聞かれると、なあ」
「ほら!」
「お前はすぐ鳴に相談しすぎだ、俺に直接聞け」
「……そうする」
もう一生成宮のことなんて信じない。今までも色々あったけど、今回で決意した。
「泣いた理由は、それだけか?」
「……せっかく伸ばしていたのに勿体なかったってこともある」
「綺麗だったもんなあ」
「だって雅、髪には触れてくれるし」
「……悪かったな」
私は「嬉しい」って意味で言ったのに、雅は不貞腐れて「悪かったな」と返してくる。
「ううん、嬉しかったの」
「あんまり女の髪に触るのは、アレだろ」
「アレだって思いながらも触ってくれていたんでしょ?」
「まあ……お前の髪、すげえ綺麗だからな」
突然の愛情に、私はまた心臓が驚く。雅は雅で慣れていないのか、自分の頭をガシガシと掻いていた。
「雅は手繋いだり、抱きしめたりしてくれないじゃない?」
でも、私は雅に触れてほしい。だから唯一触れてくれる髪を、頑張って伸ばしていた。
「髪だけは触ってくれるから、嬉しくて伸ばしていたの」
なのに、もうない。つんつるてんになった、短い毛先をちょっとだけ持つ。指先で遊んでも、あんまり視界には入ってこない。
別に雅は、私がロングだったから付き合ってくれたわけじゃないと思う。短くても、恋人で居させてくれると思う。だけど、雅に触れてもらえないのは悲しい。
野球があって雅に会えないのはいい。取材で休み時間が潰れるのもいい。手を出してもらえないのは……今後に期待ってことで。
だけど、せっかく二人きりなのに全然触れられないのは悲しい。私だって、雅が好きだ。雅に触れたい。
ちょこっとしか見えない髪を見て、そんなことを考えていると、名前を呼ばれる。
「かのえ」
顔をあげると、雅がまっすぐこちらを見ていた。自分の毛で手遊びする私の手首を掴んでくる。何かと思えば、そのまま手首を引っ張られて、教壇からおしりが上がる。
バランスの取れなくなった私は、雅の胸板につっこんだ。
「ま、まま、雅!?」
「これでいいのか」
「よ、よ、いい、いいです!けどもっ!」
勢い任せに抱き着いてしまったせいで、なんともアンバランスになってしまったハグを、雅は小さい子を抱えるように両手でささえ直してくれる。しゃがみ込んでいた雅はいつの間にか体育座りをするような形になっていて、私は雅の脚の間に収まるように正座した。
「このくらい、言えばよかっただろ」
「だ、だって……!」
触ってほしいだなんて、はしたない願望、雅に言いたくなかった。貞操観念疑われたくないし、何より拒絶されたらショックで死んでしまう。
「他には」
「えっ」
「言ってないこと、ないのか」
両手をどうしていいのか分からなくて、雅の背中にしがみつく。ぎゅうぎゅう抱きしめながら、何から言おうか考える。
雅にしてもらいたいことなんて、毎日、いつでも考えていた。
「……ちゅーしてほしい」
「それは待て」
「えー」
「ここがどこだと思っているんだ」
「それもそうね」
分かって言ってみたけど、つまり、”学校じゃないところで会うまで待て”ばいいんだ。顔が見えないことをよしとして、全力でニヤけてしまった。
「あ、じゃあ私のどこを好きになったのか教えて」
「なんだ突然」
「だって聞いたことないんだもの。なーに、顔?」
成宮に聞いて来いって言ったのに、結局無理だったって言われたことを聞いてみる。こんな機会じゃないと、一生聞けない。
雅の顔を見てやろうとちょっと上半身を起こしてみたけれど、私の頭に添えられた雅の大きな手によって、また雅の胸板にポスンと顔が埋まる。
「性格も表情も、全部ひっくるめて好きなんだよ」
絶対いま、雅はめちゃくちゃ可愛い顔をしている。見たいけど、想像と、その言葉だけで充分だ。雅はといえば、私の顔を埋めるために添えた右手で、結局私の頭を撫でていた。
「ふふっ」
「なんだ」
「雅、結局私の髪が好きね」
「……うるせえ」
髪に触れていたのは無意識だったらしい。指摘しても離れないから、やっぱり気に入ってくれているんだろう。
「ねえ、雅は髪長いのと短いの、どっちが好き?」
「ああ?どっちでもいい」
「言うと思ったー」
多分、本当にどっちでもいいんだろう。でも、一応聞いておきたかった。
雅に対して、髪撫でるの好きだよね、なんて言ったけど、私も雅に髪を撫でてもらうのが好きだ。この時間が、すごく好きだ。
「……髪って一年でどんだけのびるんだ」
静かに撫でられていると、雅がそんなことを聞いてくる。
「一カ月で1cmくらいかな、私伸びるの遅いからもっと短いかも」
「なら1年で10cmくらいか」
そういうと、雅は撫でていない方の手で、とんとんと私の背中に手を這わせる。
「ま、雅……?流石に学校では、」
「何考えてんだ」
途中、ブラのホックの上を通ったので、恥ずかしくなって口を挟んだけれど、そういう展開ではなかったらしい。惜しかった。違う、危なかった。
「このくらいの長さが見たい」
そういって、雅は私の背中の、随分低い位置をとんとんと叩く。
「前よりずっとロングね」
「そうだな」
「流石にここまで伸ばすってなると順調にいっても5年はかかるけど」
「いい、待つ」
「途中で痛んできたら切っちゃうし」
「何年でも待つ」
茶番の会話だと思ったのに、雅の声からそんな雰囲気はない。私は思わず手を雅の胸板に置いて、ちょっと起き上がる。雅の顔を見れば、やはり真剣だった。
「ま、雅……それ言っている意味は、」
「充分承知だ」
ほとんどプロポーズに近い雅のわがままに、私は今世紀最大級の絶叫をあげた。旧校舎でよかった。きっと、私たちは二人きりだ。
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