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「糸ヶ丘、すっげー今更なこと聞いていい?」
「公式覚えてないとか言わないでよ」
糸ヶ丘に勉強を教えてもらっている途中、飽きてきた俺は別の話題を振る。
「糸ヶ丘って雅さんのどこを好きになったの」
「全部」
「あーはいはい」
「振っておいて何なのその返事は」
「きっかけは?」
別に今更のろけ話を聞きたいわけじゃない。学年も違って、別に野球を好きなわけでもなくて、そんな糸ヶ丘が、どうして雅さんを好きになったんだろう。その疑問を解消したかった。
「話したことなかったっけ」
そういって、アッサリ教えてくれた。
糸ヶ丘かのえは、入学してすぐの頃から、校舎を色々渡り歩いていた。勉強できる場所を見つけたかったから。
図書館は、案外うるさい。教室は居残る人が多いし、空き教室も放課後になれば吹奏楽部が使う。そんなこんなで、旧校舎を歩いていた。
そんな折。
――ドンッ
「す、すみませ、」
「いや、こっちこそ悪い」
「(……なんか、頭が動かない)」
「すまん、俺の制服に髪が引っかかったみてえだ」
誰もいないと思って不注意にぶつかってしまった。結果、彼女の髪が、相手のボタンに絡まってしまう。
「痛っ」
「あー動くな……取れねえな」
「……私、ハサミあるので切りますね」
幸い、絡まったのは数本。仕方ないし切ってしまおう。そう思った糸ヶ丘が鞄に入れてあった小さいソーイングセットから小さいハサミを取り出す。
なんとか絡まった髪を視界に入れて、相手のボタンが取れないようにと考えていると。
「あ、」
ひょいと、そのハサミが奪われる。気付いた時には、相手のボタンが廊下に転がった。
「え、なんで」
「お前、髪切ろうとしたろ」
顔をあげた糸ヶ丘の瞳に映ったのは、大柄な男。無表情で、愛想は悪い。
「そりゃあ、」
「せっかく綺麗にしてんだから、そんなことするな」
「いや……別に普通のケアしているだけですし」
男はボタンを拾いながら、なんてことないように言う。糸ヶ丘は糸ヶ丘で、突然髪を褒められて動揺していた。
「普通っつっても、何もせずにその髪にはなんねえだろ」
「まあ、多少はしていますが」
「なら勿体ないことしなくていい」
「で、でもボタン!」
「このくらい自分で付ける」
じゃあな、大きな手を軽く上げて、大柄な男は去っていった。いよいよ本当に誰もいなくなった旧校舎。糸ヶ丘はそこで、恋に落ちた。
「――っていうわけ」
「ベタすぎない?」
「うるさいわね」
思ったよりも少女漫画的展開に、砂糖でも舐めたみたいな気分になった。でも雅さんは普通にそういうことしちゃうんだろうなっていうのは納得。なんで旧校舎にって考えていたら、そういえば雨の日にダッシュする場所がないって旧校舎確認しにいったことがあったから、多分その日。それに、糸ヶ丘が雅さんボタン付けられるっていうのを知っていたのもこれがきっかけか。
色々話が繋がっていく。きっと、糸ヶ丘が髪を伸ばしているのも、雅さんに褒められたいからだ。
そこまで考えたら、俺にちょっとした悪戯心が湧いてきてしまった。
「いいから成宮は数学を、」
「でもさ〜」
「何よ」
「雅さんって、髪短いの好きだよね」
ちょっとした嘘を、糸ヶ丘につく。嘘っていっても「雅さん自身が髪を短くしたがる」って話は本当だ。だからあながち嘘じゃない。
(”女子の髪”とは言っていないけどね)
我ながら、上手いこと言ったと思う。
「……そうなの?」
「うん、昔言ってた」
「そうなんだ……短いのが好きなんだ……」
分かりやすく落ち込む糸ヶ丘を見て、バレないようにこっそり笑う。こうやって、雅さんのことで一喜一憂するのは見てて楽しい。のろけられるのはウザくなる時があるけど。
だけど、割とすぐに勉強に戻っちゃったから、糸ヶ丘はショックを受けつつも気にしていないんだと思っていた。まあどんな髪型だろうが、雅さんは糸ヶ丘と付き合っただろうし。
だから俺は、このちょっとしたイタズラで、あんなことになるなんて思ってもみなかった。
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