小説 | ナノ


▼ 07

「成宮」
「ん?糸ヶ丘どうかし……痛ってぇ!!」

昼休み、自分の席でうつぶせになって寝ていたら、椅子をガンと蹴り上げられた。

「何!?なんで椅子蹴った!?」
「雅に言ったでしょ」
「はあ?……あ、応援?」

すぐ横に立って無表情で俺を見下ろしてくる糸ヶ丘の威圧感が、ちょっとだけ怖かった。だけどこの反応は期待通り、雅さんに怒られでもしたのかな。ざまあみやがれ。

「雅に言われた」
「なんて?」
「黙って来るなって」

ほらみろ。雅さんはあんな態度だったけど、やっぱり糸ヶ丘には怒っていたんだな。笑いが隠しきれないまま机に片ひじをついて、糸ヶ丘を見上げて話を聞いた。

「勝手に来るから」
「うるさい」
「雅さんもイライラしていたからなあ」
「成宮がうざかったから?」
「なんでそうなる!?」

どう考えても糸ヶ丘に怒って〜っていう会話の流れだ。ホントは俺にあらぬ嫉妬をかけてイライラしていたんだけど、雅さんはそんなこと喋っちゃいないだろうし。

「だって雅が言っていたし」

って思っていたのに。

「……俺がうざかったって?」
「正確には”うるさかった”だけど」
「結構違うよね」

流石に女房からそんな陰口叩かれていたらショック受けるとこだったけど、なんとなくニュアンスが違ったみたいで安心した。口の悪い糸ヶ丘を通して聞くもんじゃないな。

「で、糸ヶ丘はなんて言われたの?」
「ちゃんと言えってだけよ」
「……それだけ?」

俺が疑問をぶつければ、糸ヶ丘も不思議そうに首をかしげる。

「そうだけど」
「怒られなかったの?」
「何を」
「勝手に来たこと」
「あー……私も覚悟していたんだけど、」

どうやら、怒られはしなかったらしい。ちぇ、つまんないの。なんて思っていれば、何となく糸ヶ丘の様子がおかしい。さっきまで見下していたのに、でかい目がうろうろしている。

「けど?」
「これからは連絡すればいいって」
「へー行きますよって?」
「……終わってからとか、帰ってからとかも」
「そんなに?」

糸ヶ丘はこくりと頷く。その仕草は女の子っぽくて、ちょっとだけ可愛いって思ってしまった。

「……バカップルかよ」
「う、うるさいわね」

なるほど、椅子蹴られた時から睨まれているって思っていたけど、照れていただけだったのか。照れ方は可愛くないな。

なんて考えていたら、ふと思い出す。

「つーかそれだけならやっぱり椅子蹴る必要なくない!?」

キレているから椅子蹴ってきたのかと思っていた。でもキレてないならなんで蹴られたんだ。尻いてえし。

「成宮が寝ていたから」
「肩でも腕でもいいよね!?」
「嫌よ、スポーツしている人の身体触るなんて」

小さく舌を出して、渋い顔をする糸ヶ丘。まさかそんな真っ当な理由だと思っていなくて、俺は言葉を失ってしまった。

「……糸ヶ丘にそんな気遣いがあるとか」
「失礼ね、あんたが雅のチームメイトだからよ」
「ああ、そういう」

身体に触れない、っていう気遣いは、案外できないやつがいる。なのに対して野球も知らない糸ヶ丘になんで出来るのかと思ったら、やっぱり雅さん中心の考えか。俺がチームメイトじゃなかったらバカスカ殴られていたかも。

「糸ヶ丘に優しくしてもらえるなんて、ピッチャーすげえな」
「? ピッチャー以外はいいの?」
「は?」

まさか話題が続くと思わなかった。反応し切れていない俺に、糸ヶ丘は容赦なく言葉を続ける。

「立っている場所なんて分かんない」
「ポジションね」
「ポジション違う人なら触っても平気?」

てっきりピッチャーだからだと思っていたのに。じゃあもしかして、他のやつにもそういう機会があったのか。

「他って……別にカルロも勝之も俺ほど気にしてないと思うよ」
「神谷にも白河にも、触ろうと思っちゃいない」

「じゃあ福ちゃん」
「誰?」

「……なら樹とか?」

糸ヶ丘の交友関係が分からない。一体誰と絡みがあるんだ。ただでさえ他人といる糸ヶ丘を見たことがないってのに、野球部ってなると全く分かんねえ。思いつく名前をあげていけば、ピクリと反応する。


「……キャッチャーの人って、触られるの気にしない?」


キャッチャーの人。つまり雅さんだ。

「何を今更」
「答えなさいよ」
「触るくらい何ともないでしょ」

つーか雅さんに聞けよ。そう続ければ、糸ヶ丘は言いにくそうにする。

「どこ触っていいかなんて聞けないし」
「嫌だったら言うって。言われたことないなら平気なんじゃない?」
「言われたことはない、けど」
「けど?」

なんだか今日の糸ヶ丘は煮え切らない返事が多い。ため息をついて返事を待てば、俺の前の席に座って、小さく言葉を続ける。


「……そもそも、雅に触ること、ほとんどない」
「……はあ!?」
「ちょ、うるさいバカ!」

俺の口元に平然と伸ばされた糸ヶ丘の手のひらが、俺の鼻を掠める。雅さんには触ってないってのに、気軽に触ろうとしてどうするんだよ。

「一応聞くけど……いや、やっぱ聞きたくないな」
「何よ」
「えーと、」

クラスマッチの時に聞いた、雅さんの”卒業するまで指一本出してこない”というのは、一体どのラインまでの話なのか。それを聞きそうになったけど、流石にまずいと思って言葉を止める。

(雅さんから触られたことあるか、なんて聞けないよなあ)

あと、単純に雅さんのそういう話を聞きたくない。質問を諦めた俺は、すっ飛ばして答えだけを糸ヶ丘にあげた。

「……雅さんさ、いきなり飛びかかっても全然ヘーキだよ」
「は?何それ自慢?」
「何でも自慢に捉えるのやめない!?」
「だってそういう話じゃ、」

「俺がしたいのは、腕引っ張ったりしない限り大丈夫って話!」

だから気にせずしがみついてやれ。そう伝えれば、今度はゆっくりと、大きく頷いた。でかい目でこっちをしっかり見て。

「……チャレンジしてみる」
「ついでにいうと、雅さん耳触られると赤くなるよ」
「また自慢?」
「だからちげーっての!」

段々糸ヶ丘からの嫉妬が面倒になってきたところでちょうど予鈴が鳴る。やっとこいつから逃れられる。そうしてわざとらしくため息をついたけど、立ち上がった糸ヶ丘はそんなこと気にもしない様子で、席へ戻っていった。

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