▼ ファールボールにご注意ください
『――ファールボールにご注意ください』
先ほどから、何度も同じアナウンスが繰り返される。
「ねえ一也」
「ん? さっきのはデッドボールな」
「そうじゃなくて」
先ほどから私が何度もルールを聞いていたせいで、呼びかけただけで試合解説をしてくれる一也。ありがたいけど、今聞きたいのはそれじゃない。
「ファールボールって、そんな飛んでくるものなの?」
「この席は大丈夫だけど……アルプス近い方は結構危ないな」
ヒュン、とボールが飛んでいく。言っているそばからファールボールが横切った。
「ひぃっ」
「うわー、あぶね」
「あっ、あんなの当たったら死んじゃう!」
「硬球はマジで死にかねない」
「嘘でしょ!?どうしよう!!」
一也の腕に巻きついて、ぶんぶんと揺さぶる。だけど一也は慣れているからって、自分ひとり平然としていた。
「だ、だいじょうぶだって」
「一也は大丈夫でも私は死んじゃう!」
「つーかこんなフェンス正面の席じゃ山なりの球しか来ねえよ」
そもそも、こっちにはなかなか飛んで来ねえ。そう言われて、ようやく揺さぶっていた腕を止める。
「……ほんとに?」
「ほんと。見てみろって、この席はバッターの真後ろ」
「うん」
「よっぽど変な当たりしなきゃ飛んでこねえよ」
言われてみれば、確かに。先ほど勢いよく飛んで行ったような球は来ないと思う。まっすぐ飛んできたら、フェンスがあるし。それを聞いてようやく一息つく。
(山なりでも危ない気もするんだけど、まいっか)
「あ、さっきホームラン打った子だ」
「ランナーいるし、勝負するだろうなー」
たまに一也が色々ボヤいていたりするけど、正直分からないことも多い。多分聞いても理解に時間がかかるだろうから、大体は聞き流す。
聞き流しながら、視線はピッチャーに向けていた。カキンと小気味いい音がしたけれど、ボールは前に飛ばない。ファールらしくて、バッターの子が足場を整えて……ちょっと待って、こっちにボールが来ている。
「かっか、かかずや!!ボール来てる!」
「やべ」
「来てる来てる来てる怖い怖い怖い」
高く上がった打球はこちらへ向かって飛んできた。随分と山なりで、屋根に当たるんじゃないかって思ったけど当たらずにそのまま落ちてくる。
(待ってよ本当にこっち来る来てるどうしよう待って怖いこわい……!!!)
見ていても避けられる自信がない。私はギュッと目を閉じて、頭を下げた。ああもう嫌だ観に来るなんて言わなきゃよかった。
しかし、突然左側にぐいと引っ張られる。
――ぽすっ
流されるままに傾けば、なぜか私は一也の腕の中にいた。こんな公衆の面前で抱きしめてもらうなんて、初めてだ。
「……おーい、もう大丈夫だぞー」
逆にパニックになって固まっていれば、突然周囲から歓声と拍手が聞こえてくる。それと、一也の声。
「……ボールは?」
「ここ」
そういって、一也はキャップの中に入っているボールを見せてくれる。いつの間に脱いでいたのか。というか、そんな帽子で取れるものなのか。
首を傾げていたら、するっと腕が離れてしまう。一也は立ち上がって「どうも、どうも」と言いながら、色んな方面に軽く頭を下げていく。
ようやく拍手が止み、一也も座る。
「まさか本当に飛んでくるとはなー」
「……すご」
「ん?」
「うそでしょ、取ったの?」
「そうだけど」
しれっとして「いる?」なんて聞いてくる一也。ファールボール、貰ってもいいんだ。せっかくなのでと思い頷けば、差し出した両手のひらの上に帽子からコロンと転がされる。
「重っ」
「はじめて持つっけ」
「うん」
「ならちょうどよかったな。前まで硬球触れる場所あったけど、今ないし」
そんな場所があったんだ。別に一也の部屋にいけば触れるんだろうけど、でも、一也のキャッチしたボールをもらえるなんて、二度とない。
「えへへ」
「どうした突然」
「なんでもない、えへへ」
「……頭打ったか?」
失礼なことを言ってくる一也にちょっとイラッときて、硬球を持った手で一也を殴る。「痛ぇよ!」と言ってくるけど、表情は相変わらずいつものムカつく顔をしているから、全然怖くなかった。
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