小説 | ナノ


▼ 試合前

「すごい!一也!すごい甲子園だ!」
「ははっ、またかよ」

一也は笑いながらも、私の手を引いてくれる。いちゃいちゃしてくれるというか、単純に通路で邪魔だから引っ張ってくれている様子だ。

通路をくぐって、階段を降りて、降りて、ほとんど一番下に近い席にたどり着いた。

「おわー……めちゃくちゃ近い」
「一番前は記者席なんだな」
「カメラも近い!すごい!」

もう何にでも興奮してしまう。そんな私の様子が面白いのか、一也はずっと笑いっぱなし。

一也が奥を譲ってくれたので、私はいそいそと先に座った。通路側を一也が譲ってくれたのは、十中八九、私がビール売りのお姉さんと話しやすいようにだと思う。


「あれ、」
「なんかあったか?」
「思ったよりも、椅子がふかふか」

それに、テーブルなんかも付いている。てっきり映画館のような、肘置きのところにドリンクを置くような形だと思っていたのに、サイドに開閉式のテーブルが付いていた。

「プロ野球だと場所によって金額変わるんだ」
「そうなの?」
「そ。そんで前は人気だから椅子もちょっといいやつってわけ」

なるほど、高校野球は別物扱いだから一般チケットで抽選に出されるんだ。そう考えると試合自体は観にくそうな席だけど、ラッキーだった気がしてきた。

「へー、高校野球は同じ値段なのにね」
「だから今回前の方取れてラッキーだったな」

見にくいんじゃないかと不安になっていたのを覚えてか、わざわざそんなことを言ってくれる。ちょっと照れくさくなって、流そうと思ったのだけれど、私の表情が我慢しきれなかったみたいで、一也はちょっと笑っていた。

そして、ラッキーだったのはそれだけじゃない。


「――青道側のベンチで、本当によかったね?」
「まったく、本当に」

今日の第3試合、一塁側はなんと青道高校が勝ち上がってきた。

「これだけ近いと、片岡先生気付いてくれたりするかな」
「どうだろ、監督ずっとベンチの中にいるし」
「そうなの? 残念」

きっと片岡先生は私のことなんて覚えていないだろうけど、流石に一也のことは記憶に残っているはず。こんなところで再会、ってなったら面白そうだと思ったのになあ。

「あ、先に飯買っておくか」
「賛成!」

第一試合の終わりがけに入場――の予定だったけれど、私の買い物や写真のせいで、結局到着したのは終わったタイミングだった。第1試合に出場した選手たちの退場や、第2試合に出場する高校の入場してくる様子も観たいけれど、試合が始まったら余計に食べている暇なんてない気がする。

「次の試合開始は……50分か」

呟く一也の視線を追っていくと、得点ボードに第2試合の開始時間が書かれている。本当だ、一也の言っていた通り、公式サイトに載っていた予定時間よりも遅くなっている。それでも私が寄り道するせいで間に合わなかったんだけどさ。

指定席だから場所取りも特に必要ないので、荷物を全部持ってもう一度入り口の方へと戻った。



「カレーだ!」
「有名なやつだな」
「あーでも焼きそば食べたいかも」
「おう」
「あ〜でも唐揚げ……!揚げ物絶対欲しくなる……!」
「食える分だけにしておけよ」

チケットをもぎった場所と、観客席に向かうまでの間の通路、球場をぐるんと囲うように売店があった。

「……一也、大変」
「ん?」
「ビール!ビール売ってない!」
「あ、本当だ」

ちょっと前に流行った感染症対策の名残が残っているらしい。一也が小さい頃と違って、アルコールの販売はないそうだ。つまり、座席でもビールは買えない。

「小銭、たくさん準備してきたのに……」
「悪い悪い」
「一也が言ったから、財布別にまでしてきたのに……」
「あーはいはい分かった、千円と交換してやるから」
「五千円分あるんだけど」
「どんだけビール飲むつもりだったんだよ」

呆れながらも、本当に五千円札を差し出してくる一也。とはいえ、こんなジャラジャラの小銭を渡すわけにもいかない。別にあって困るものでもないから、この小銭たちは別の機会に使おう。確かに今は多少邪魔だけど。

「ね、両替しなくていいからさ」
「なんだ」
「帰ってから、バッティングセンター行ってほしいなー?」

わざとらしく語尾をのばし、甘えた声でそう言ってみる。一也は小さくため息をついたけど、結局私に弱い。

「ったく、仕方ねえな」
「やった!やっと一也のバッティングが見れる!」
「試合で見れるだろ」
「試合じゃ近くで見られないでしょ?なのに一也全然行ってくれないし」

わざわざ金払ってまで打ちに行く理由が分からない。そう行ってバッティングセンターに行ったことがなかったのだが、ようやく約束を取り付けることに成功した。私はすっかりビールを諦めて、また店を探して歩き始める。

トイレや喫煙所なんかもある。男性の方が行列できているトイレ、初めて見た。甲子園って感じだ。

「あ、グッズも売ってる」
「それは外で見た方が種類多いし、帰りにしとけ」
「外にあったっけ?」
「ついさっき夢中になっていた旗の近く」
「み、みのがしていた……!」

いつの間に通り過ぎていたんだろう。でも確かに、今買っても荷物になっちゃうし後で買えるんだったらその方がいいかも。

「じゃあやっぱり食べ物だね……クレープもある!」
「……5回裏終わったら休憩挟まるから、その時にもう1回来るか」
「そうなの?そうしたい〜!」

一也のありがたい提案を受けたので、とりあえず甲子園カレーとカップに入った唐揚げだけを買う。いつの間にか焼きそばを買っていた一也の元へ行き、もう一度観客席へと向かう。




「あれ、もう試合始まっているの?」
「これは練習」
「練習時間なんてあったっけ?」

座席についてグラウンドを見ると、もう選手がポジションに付いている。だけど練習をしているだけらしい。青道高校に通っていた時、甲子園まできた時の記憶を呼び戻そうとしたが、あんまり覚えていない。

「アルプス席入った時は、前チームの応援団と交代中だったんじゃねーの?」
「うーん、そうだったのかも」
「ほら、向こうのアルプスもまだ交代中だし」
「ほんとだ」

そう言われ、3塁側のアルプス席を見ていれば、確かに次の高校の応援団がてんやわんやしている。そういえば私が青道の応援に来た時も、吹奏楽部から順番に並んで―とか、前の列からつめてくださーいとか、色々指示出されててんやわんやしていた気がしてきた。その間に一也は練習していたんだな。もっとちゃんと、見ておけばよかった。


「あ、練習終わった」
「次のチームがこれからだな」
「そしたら試合開始?」
「その前にグラウンド整備が入るけど」

グラウンド整備。それはみた記憶がある。畑にありそうな小っちゃい車が出てきて、ぐるーんと走って土を綺麗にしていた。あとすっごく長いホースで水巻いたり。ベンチに戻ろうとしていた沢村くんがちょっと水かかっていて面白かった。なんだか、懐かしい。

「あれ」
「どした?」
「一也そんなタオル持っていたっけ」

席につき、荷物を置いてテーブルに先ほど買ったカレーを乗せる。飲み物も出そうとカバンを漁っていれば、一也が見慣れぬ水色のタオルを肩に乗せていた。

「ああ、さっき買った」
「さっき?売り場にそんなのあった?」
「いや、下の売店」
「えっ私を置いて一人で!?」

まさかそんな裏切りがあったなんて知らなかった。プラスチックのスプーンを握りしめながら一也に文句を言うも、一也は小さくため息をつく。

「誰かさんは球児の宿泊先みるのに夢中だったからなー」
「……あ、」

そういえば、数分一也と別行動をした。声をかけてもらっていたのに私が行かないっていったんだ。

「寄りたいって言ったのになー」
「す、すみませんでした」
「反省したならよろしい」

ばつが悪くなってゆっくりと視線をそらし、何でもなかったようにスプーンの封を開け、カレーの蓋を外す。

「ん、カレー美味しい!」
「それは何より」

買ったカレーを食べ始める。屋台って感じの、具材が全然ないカレー。初めて食べたのに、「そうそう、これだよね」なんて思ってしまうような味それを伝えたら、一也はちょっと馬鹿にして笑ってきた。

「一也、食後にからあげ食べるよね」
「デザートみたいに言うなよ」

唐揚げはあとで一也と食べよう。サイドに供えられたテーブルを前に出して、ドリンクホルダーに唐揚げを入れる。そうこうしていると、いよいよ試合開始時間となった。

prev / next

[ back to top ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -