小説 | ナノ


▼ 91

「なんで今日に限って……!」

何とか飛んでくれた飛行機によって東京の空港に降り立った私は、絶望していた。連休明けでもないのに、やけに人の多い空港に違和感を覚えはしたが、まさか。

「(電車遅延って、一体いつまで)」

まさか、このタイミングで電車が動いていないとは。

悪天候も落ち着き、何とか飛んだ飛行機が着いたのは試合開始時刻を少し回ったところ。今から急げば、後半くらいなら見られる。そう思っていたのに、まさか電車が動いていない。

僅かな希望を持ってタクシーを拾おうとロータリーへ向かおうとするが、同じ考えの人が多いのか、とんでもない行列ができていた。バスも待ち合いスタッフに確認したが、1時間以上かかるということだ。

「……成宮に、連絡入れておくかな」

ロータリーやバスも人だかり、電車は動かない。手段のなくなった私は、飛行機を降りてすぐのロビーへ戻った。ここが一番情報が分かるから。

せっかく成宮が準備してくれたのに。今日だからこそと思って、わざわざ呼んでくれたのに。そう思うと悔しくて泣きそうになってきた。俯きながらケータイで路線情報を眺めていると、声がかかる。

「おい」

乱暴な口調に、自分が呼ばれているのか分からず無視を決め込もうとしたが、次は名前を呼ばれた。

「おい、糸ヶ丘」

顔をあげると、そこにいたのは。

「……原田?」
「荷物はそれだけか」
「え、ちょっと何して、」
「早く行くぞ、駐車料金たけぇんだよ」

わけが分からないまま、私の大きなボストンバッグを持って歩き始める原田。たすき掛けできるバンドが着いているのだが、どうやらそれが絡まって持ちにくいらしい。舌打ちをして、鷲掴みにして持ち上げ歩いていく。

「ねえ!私持つから!」
「いいからさっさと歩け、こっちだって暇じゃねえんだ」
「そもそもなんでいるの?何の用事?」

歩いていく方向は、先ほど私が走り回っていた駅でもロータリーでもなく、駐車場の方面。エレベーター待ちの列が煩わしかったのか、原田は階段を選ぶ。私も急いでその後を着いて行く。着いて行きながら、疑問を口にする。

「ねえっ、なんで原田が、!」

よく分からないけれど、駐車料金と言っていたので、車で来ているらしい。私を連れて行っているということは、車に乗せてくれるのだろうか。その予想は当たっていたらしい。原田はカンカンと階段を降りながら、返事をくれる。


「言っただろ、空港から球場くらいは案内できるって」


だから来てやったんだよ。一瞬だけこっちを見た原田は、またすぐ前を見る。もしかして、迎えにきてくれたのか。でも、なんで。

「え、でもなんで、今日試合じゃ」
「終わってすぐにあのバカからメール入っていたんだよ、「一生のお願いだから迎えに行って!」ってな」
「……それは、なんと言いますか……」
「ったく、あいつの一生は何回あるんだよ」
「来世でもよろしくしてやって」
「お前もな」

連れて来られたのは広い駐車場だったが、思いのほか原田の車は近くにあった。プロ野球選手、というか、こんなガタイの男が乗るには小さくて似つかわしくない、ピンクの小さい自動車。

「……可愛い車ね」
「母親の車だからな」
「なるほど」
「俺の車は向こうにあるんだよ、迎えに行けつってもどうすんだって話だ」
「それは確かに……すみません、お願いします」

今思うと、別に原田じゃなくて良かったと思う。というか、今日試合を終えたばかりで、明日も試合があるはずの人に頼む用事ではない。他に知り合いもいなかったのだろうか。

「……成宮って、友達少ないの?」
「あ?」
「だってわざわざ原田に頼むなんて」

そう言いながら、私は助手席に乗り込みシートベルトを締めた。

「女子アナと顔なじみの知り合いなんて、俺も多くねえよ」
「別に原田とも仲良いわけじゃないのに」
「つっても、いきなり吉沢がきてもお前ついていかねぇだろ」

随分と懐かしい名前が出た。同じ学年だった、稲実のレギュラー。今は結城と同じリーグで社会人野球をしている。顔は知っているが、会話したことはない。

「確かに、絶対着いて行かない」
「なら俺しかいなかったんだろ」
「でも着いて行ったら成宮怒るだろうだから、ちょっと面白そうかも」

仮に今私の隣にいるのが吉沢だったとしたら、自分の指示だろうが「なんで着いて行くの!」なんて後で言ってきそうだ。すぐに想像できてしまって勝手に笑っていたら、原田も笑っていた。でも、私とは違う理由。

「……好かれている自覚、ようやく持ったんだな」
「ん?」
「鳴があれだけ騒いでいるのに、お前は全然分かっていなかっただろ」
「確かに、高校時代はふざけていると思っていたけど」

あの頃は単純に女子が好きなだけだと思っていた。だけど今は違う。

「前に仕事一緒になった時も、だ」
「えーそうかしら」
「そうだったんだよ、あいつが可哀想に思えるくらいにはな」
「原田がお節介焼いちゃうくらい?」
「ああ、そんくらい」

一緒にロケをした日、随分と気にかけてもらった。私が、というよりも、成宮を気にしての行動だったんだろうけど。


「そういえば、原田に連絡したってことは成宮のケータイ無事だったんだ?」
「いや、データ飛んだってよ。俺も先月会った時に聞かれた」
「あ、やっぱり駄目だったのね」

ケータイを叩き壊して、データカードくらいなら生きているかと思ったんだけど。やっぱり駄目だったらしい。流石本格左腕に投げられただけはある。

だけど、これで分かった。


今日の試合が終わったら、私から連絡するしかなさそうだ。



***



「着いたぞ」
「ありがとう、助かりました」

まさかこんな可愛らしい自動車に原田選手が乗っているなんて誰も思わないだろう。球場すぐの場所に停車してもらって、私は助手席から急いで降りた。

入場口の係員さんが驚いた顔をしていたのは、こんな時間にようやく入場するからか、それとも私のことを知っていたからか。どちらでも構わなかった。ともかく急いで観客席に入りたい。

「げ、もう終盤じゃないの」

私が観客席への入り口をくぐったのは7回表。2アウトのタイミングだったので、ボストンバッグを抱きしめながら、もう1つアウトを取るまでそのまま邪魔にならない場所で立っていた。御幸と組むベテランピッチャーが渾身のストレートを決めたところで、チケットに書かれた席まで急ぐ。随分と良い席で、このタイミングから座るのは肩身が狭かった。

「おっ糸ヶ丘アナウンサーじゃん!」
「マジ?本物!?」

席にたどり着くと、周囲の観客から容赦なく名前を呼ばれる。頭を下げながら席につくと、隣のおじさんが「仕事終わりに駆けつけてくれたのか、ありがとさん」なんて言ってくれた。つい最近までよく耳にしていた方言混じりの慰労に、少し、心が軽くなった。

選手の交代をみていると、バチリと目が合う。――成宮だ。


「おー、やっぱり糸ヶ丘アナのこと探してたんだな」
「?」
「今日やたら成宮がこっち見ると思っていたんだよ」

ずっと空席だったから、気にしてたんだなあ。方言の隠しきれない口調でそう言いながら、隣のおじさんはビールを傾ける。三塁側だから、成宮の顔はもう見えない。

スコアから見るに、どうやら今日は投手対決のようだ。点が入ることないまま進んだ9回表の攻撃で、ようやく成宮のチームの4番がホームランをかました。周囲の盛り上がりに、私も熱くなる。

9回裏、試合は1点差で成宮のチームがリードしている。ランナーが3塁に一人だけ、2アウト。次のバッターを抑えれば、成宮が勝つ。

「(まあ何とも……舞台が揃ったものね)」

成宮と対面する御幸が、バッターボックスで苦しそうに笑っている。成宮もきっと、似たような表情をしていると思う。


「(アウトを取れば、成宮の勝ち)」
「(御幸がランナーを帰せたら、試合はまだ分からない)」


成宮の手から、ボールが放たれる。

球場にボールの音と、大きなどよめきが響いた。

prev / next

[ back to top ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -