小説 | ナノ


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『かのえさん、いつからこっちですっけ』
「今日の午後には」
『引っ越しじゃなくて、番組です』

引っ越し業者の作業も終わり、ガランとしてしまった部屋を背中に、こっちの地方へ越してきた日のようにベランダで電話をする。あの時と同じように、相手は後輩の御幸。

「報道番組は3月下旬からよ」
『ならデビュー戦見ますね』
「デビュー戦って」

まるでプロ野球選手かのような言われ方に、ちょっと笑ってしまった。多分、御幸も笑っていると思う。


地元で会って、御幸の気持ちを聞いてから数カ月。何だかんだで私たちは昔みたいに電話をするようになっていた。1つ目の理由は私が東京に戻ること。もう1つは、成宮との関係を心配されていること。

『結局鳴とは何ともないんですか?』
「なんともというか……私、引っ越しちゃうし」

何も起こっていないどころか、むしろ悪化している。気持ちはほぼ伝えたようなものだ。だけど、結局付き合うに至らないまま、私はこの地を離れる。

『――その言い方するってことは、やっぱ鳴のこと好きなんですね』
「あ、」

そういえば、御幸には何も言っていなかった。というか、私の気持ちなんて、誰にも言っていない。指摘されて、思わず黙り込む。が、電話口からは笑い声が聞こえた。

「何笑ってんのよ」
『すみません、かのえさんは今きっと眉間に皺寄せているんだろうなーって』
「よ、寄せてないし!」

御幸に言われて、思わずケータイを持っていなかった方の手を顔に乗せる。言われて意識してみると、確かに眉間に皺が寄っていたかもしれない。

『かのえさんって、照れると眉間に皺寄るんですよ』
「それ、すごく不細工じゃない?」
『俺はすっげー可愛いって思っていましたけど』
「……アリガトウゴザイマス」

片言になりつつ、礼を伝える。なんだか最近の御幸は成宮に似てきたな。

『引っ越してすぐは忙しいだろうし、落ち着いたら鳴にも連絡してあげてよ』
「御幸はどういう立場での発言なの?」
『んー、好きだった先輩が変な男に引っかからないか心配してる立場』
「成宮も充分変な男だと思うけど」
『変っつーか、不誠実? その点だけは、鳴への信用あるんで』

さいですか。言いながら、また眉間に皺が寄ってしまう。いけない、跡になっちゃうじゃない。ぐりぐりとおでこを抑えながら遠くを見た。

「……これからのことは、成宮の気持ちもあるし」
『ま、平和にまとまってくれることを祈りますよ』

結局、ベランダに出たのって数える程度だ。成宮が隣にいるせいで、週刊誌に撮られないか気を遣っていたから。やっぱり良い景色。よく通った店も、通勤で使う電車も、全部見渡せた。だけどまだまだ訪れられなかった場所もある。


(この土地も、もっと堪能すればよかったな)


そんなことを考えていたら、ロビーからの電話が鳴る。管理人さんが来たのかもしれない。

「じゃあ御幸、そろそろ切るよ」
『はい、東京で待ってますね』

ケータイの通話を終了させ、玄関近くのモニターをフロントと繋げる。やっぱり管理人さんだ。こちらの引っ越し作業が思ったよりも早まってしまっただけなのに、遅れて申し訳ないとひどく謝られた。


ふと思い出す。そういえば、靴がまだ1足残してあった。
今から履くのとは別に、自分で持っていこうと業者に頼まなかった靴。成宮にもらった、大事なピンヒール。チェックが入る前に玄関から移動させよう。

そう思って玄関まで行くと、ドアノブがガチャリと揺れた。少し驚いたけど、すぐに隣の部屋のドアが開閉する音もした。


「……成宮ー……?」


そっと玄関を開けるが、成宮はいなかった。少し落ち込む。いや、私が言い出したことで、成宮はそれを律儀に守ってくれているだけだ。虚しく響いた私の声が消えたところで、扉裏からガサリと音がした。

扉の外をみれば、ドアノブに何かがかかっている。


「――花?」


ビニール袋がかかっている。その中にあったのは、小さな花束。隣のドアを見るも出てくる気配はないので、成宮がかけてくれたんだろうか。取り出して見る。黄色ばかりの、明るい花束。

「ヒマワリと……これは、ミモザかな。ミモザってこんなだっけ」

小さいヒマワリを中心に、丸い花びらの花が囲んでいる。今の季節だっけ。あまり花は詳しくないので分からない。ケータイで調べようとしていたら、管理人さんが上がってきてしまった。ケータイをポケットにしまい、頭を下げる。

「おや、綺麗な花束ですね」
「え、ああ、ありがとうございます」

ドアノブにかかっていました、なんて言えないので挙動不審になってしまった。だって管理人さんは私が隣の部屋の住人と仲良くしていたなんて知らないんだから、そんなこと言ったらセキュリティに問題があったかのように聞こえてしまう。

「ヒマワリと、そちらはミモザ……いや、エニシダですかね」
「エニシダ?」
「ええ、ちょうど今の季節なんですよ」

綺麗ですねえ。やわらかい笑みを浮かべながら、管理人さんは花束を見つめる。エニシダ、初めて聞いた名前だ。気になった私は、管理人さんが部屋のチェックをしている間に、ケータイを取り出し検索する。ミモザ、エニシダ、違い。

調べてみると、確かにミモザと似た花の画像が出てきた。花びらの大きさをみるに、この花束は、どうやら「エニシダ」の方らしい。


(――エニシダ、漢字で書くと「金雀枝」なんだ)


どことなく、金糸雀(カナリア)と似ている。成宮がどういう意図でヒマワリとエニシダの花束をくれたのか少し考えて、でも、恥ずかしくなってやめた。

(……エニシダみたら成宮のこと思い出しちゃうじゃない)

どうやら、毎年夏前に咲くらしい。毎年思い出してしまう。エニシダ、その名前を心に刻んで、玄関にあった靴を持ち、私は管理人さんと最終確認に入った。

さて、これで本当に、この部屋とはさよならだ。

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