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『せーのっ!』
『『『鳴ちゃーん!』』』
日中の沖縄で黄色い歓声が上がる。その様子を私は、夜になってようやく画面越しに見ていた。
「今年のキャンプも、盛り上がっているわね」
どうやら私にもキャンプ取材の仕事は声がかかっていたらしいのだが、今年は他の仕事が立て込んでいたので、マネージャーが断ってくれたそうだ。行きたい気持ちもあったが、年度末に向けた忙しさを考えると正直助かる。
『成宮選手、例の一件からすごい人気ですね!』
『いやあ、ありがたいですね』
『やはり女性からの応援は嬉しいものですか?』
『そりゃあモチロン!』
成宮にインタビューしているのは、私の事務所の後輩。一年前、彼女の代わりに原田とロケに行ったのは記憶に新しい。原田のいう(というか、球団から説明されていたらしい)言葉を使えば、「ピッチピチの清純派アナウンサー」である彼女は、昔から野球好きだったようで、事務所が気を利かせたらしい。
(――デレデレしちゃって)
去年、私は成宮のチーム取材は担当しなかった。だから成宮がどんな様子でコメントをしているのかは知らない。
だけど少なくとも、男性アナウンサーが取材へ行ってもこんな表情は見せないだろう。
成宮が言われている”例の一件”というのは、もちろん週刊誌に載った”立て膝写真”のことである。
芸能リポーターからは「ただの食事でつまらない」と軽く流されてしまった記事だったが、ファンの間ではとんでもない話題性となった。「プリンス再来」「私は鳴ちゃんを信じてた」「イブに食事だけなんて、紳士が過ぎる」――なんて、SNSでは成宮の人気が爆発していた。
俗にいう、”第三次鳴ちゃんフィーバー”の勃発である。
『すみません、今日のインタビューが私で』
『別に失礼しなきゃ誰でもいいって』
『嬉しいです、ありがとうございます!』
嬉しそうにする清純派アナウンサー。そりゃあそんな言い方されたら成宮もそういうしかないじゃないか。頭が回る子だこと。
本来、週刊誌にスッパ抜かれた出来事なんてよほどの手腕がないと触れられない。だけど成宮は何度もツッコまれている。どうやら球団側が第三次鳴ちゃんフィーバーに味を占めたらしい。前もって記者側にも「話題を振ってもOK」との通達がきていたようだ。
プルルルッ――
ソファでぐーたらしていると、ケータイが鳴った。わざわざ電話をかけてくるなんて、仕事関係の人しかいない。急いで起き上がり、テーブルのケータイに手を伸ばす。表示を見て、驚きつつもそのまま出た。
「……成宮?」
『かのえさんやっほー!元気してる?』
「あんたは相変わらずね」
『沖縄すっげー暖かいの!やっぱ寒いのはヤだよね〜!』
つい先ほどまでテレビから聞こえていた声が、耳元から聞こえる。慌ててテレビの方を消した。
「で、成宮は何の用事?」
『かのえさんの声を聞きたかっただけ〜』
「切るわよ」
『わーっひどいよ待って!それもあるけど別の用事もあるから!』
ひどい、と言われて思わず空を扇いでしまう。ダメだ、成宮に対してこんな態度しか取れなくなっている。
『お土産何がいいかなーって』
「お土産?」
『今年は沖縄来てないんでしょ? 紫いも好きだっけ?』
「まあ、好きだけど」
『じゃあなんかお菓子買っていくね〜!』
こっちのゴマ団子って餡子じゃなくて紫いもなんだって。毎年行っているのにようやく知ったらしい成宮がペラペラと今日もらった差し入れの話を続ける。随分と楽しそうだ。
『あ、そういえば清純派アナウンサーいたじゃん?』
「うん?」
『あの子ってかのえさんの事務所なんだってね!』
「そうだけど」
相槌を打てば、成宮はそのままの調子で喋り続ける。
『今日取材終わってから喋りに行ったんだけどさ、』
そう言って、またペラペラと喋る成宮。取材が終わってから、女子アナウンサーとプロ野球選手が会話をすることくらいある。まあ、それも選手に寄るんだけど。成宮はそういうタイプだったんだ。なんだか他人事のように聞いてしまった。へえ、ふうん、そう。
『ってな感じだったんだけどー……』
「ん?」
『かのえさん、話聞いている?』
「え、うん」
ちゃんと聞いている。その子も小さい頃から野球が好きだったとか、私よりも3つも年下だとか、それと。
『本当に〜?返事がすっごくテキトーな気したんだけど』
「本当だって。むしろ電話苦手な私としては、頑張って返事している方よ」
『うっそだー!一也の時はもっと普通に喋っていたじゃん!』
「そうかな?」
顔が見えない相手との会話は苦手、という自覚はあったのだが、御幸と通話する時はまだマシだったのだろうか。単純に回数の差からくる慣れだろう。
しかし、私の頭は成宮の口から今聞いたばかりの情報に浸食されているくらい、しっかりと話を聞いている。
『御幸とは散々電話でやり取りしてきたから、慣れたのかもね』
「じゃあ俺ともたくさん電話しよ?」
『わざわざ電話する内容もないでしょ』
隣の部屋に住んでいて、何かあるたび逐一チャイムを押してくるというのに。至急の連絡なんて、それこそお土産何がいいか聞くくらいだ。それも電話じゃなくてもいいんだけどさ。
『……かのえさん、俺が他の女の子といてもいいの?』
「は?」
『だって俺が清純派と仲良くしていても普通だし』
「別に口出す立場でもないし、」
『でもかのえさんと一番仲いい男は俺でしょ?盗られてもいいの?』
「盗られてもって……」
私は一体、なんと返事をすればいいんだ。
成宮のことは好きだって自覚した。でも付き合っていない。ここで「イヤだ」と言えばいいのだろうか。でも、さっきの会話から成宮が例の清純派アナウンサーを気に入っていることは分かってしまった。だって、成宮自身も「仲良くしている」という自覚があるみたいだし。つまり。
既に目移りしている可能性が、ないわけでもない。
なんて考えをぐるぐる巡らせていたら、それが長すぎたのか、成宮の我慢がプツンと切れた。
『……もー分かった!かのえさんは俺のことどうでもいいんでしょ!』
突然大きくなった彼の声に、私は驚いて反応が遅れてしまう。
「え、いや、そんなことはないけど、」
『どうせ数いる男の一人としか思っちゃいないんだ!もういい!』
「ちょ、成宮待っ……」
ブツッと音がして、電話が切れた。まさかこんな展開になるだなんて。とはいえ、あちらが沖縄にいる間は会えもしないし、どうしようもない。帰ってきたらちゃんと話し合えばいいか。なんて、その時の私は気軽に考えてしまった。
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