小説 | ナノ


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「……最悪だ」

寝室のスタンドミラーの前で、私は絶望していた。うなじと背中に化粧水を付けて、シュシュを使い髪をサイドでゆるくまとめた。




「……かのえさん、テンション低くない?疲れてる?」
「疲れていると思っているなら、夕飯せびるのやめてくれないかしら」
「それはそれとして」

オムライスが食べたい。成宮から届いたそんなメールを無視しようかとも思ったが、お土産もあったので了解の返事をした。

「そういえば今日は高校の取材行ったんだっけ」
「うん、高校生すごく元気だった」
「俺のが元気じゃない?」
「成宮よりうるさいやつは早々いないわね」
「へへっ」
「褒めてないから」

今週からいよいよ、スタッフに同行してもらっての全国各地の高校取材旅が始まった。8月から始まる、夏の甲子園の特番に向けた取材旅だ。

「今日はどこ行ったの?」
「春の東京代表」
「稲実!?」
「そ。あの子いたよ、背番号20の子」
「今の部員とか知らねーって」
「今のじゃなくて、あの夏の」
「……あー樹か」

少し考えて、成宮が名前をあげる。そういえば、正捕手になったんだっけな。私は現役の時しか覚えていないから。”あの夏”って言ってしまうことは、少し寂しい。

「はい、オムライス完成」
「やったー!オムライ……ス?」

トントンとしっかり焼いた玉子でチキンライスを包む。ダイニングテーブルにいた成宮に差し出してあげれば、嬉しそうにキッチンを覗き込んできた成宮。だったが。

「卵固まっているじゃん!」
「え、駄目?」
「俺トロトロのが好きー……」
「そうなんだ、男の子ってしっかり焼いたの好きなんだと思ってた」
「……どこの男さ」
「ん? 御幸」

昔、寮の食堂を借りてマネージャーの食事を作っていたことがある。その時に「火通ってなさそうで怖い」と文句言われたことを思い出した。それを思い出しながらカウンター越しにやり取りをすれば、成宮の眉間にキュッと皺が寄る。

「そうやって性別で一括りにするのは良くないよ」
「確かに……ごめんね」
「別にいいけどー!俺は一也と違って何でも美味しく食べますしー?」
「でもせっかくトロトロ好きならそっちを食べてほしいな」

御幸には文句を言われたことがあるけれど、とろとろ玉子のオムライスは結構自信がある。どうせなら誰かに食べてもらいたい。

「でも今作ったのはどうすんの?」
「私が食べる。でも多いから半分くらいは成宮食べて」
「よしきた!」

元気な返事をもらったので、先ほどキチンライスを炒めていた木へらを持ち、綺麗に包んだオムライスを2つの皿に分けた。両方ともカウンターに置けば、成宮がダイニングテーブルに移してくれる。崩れてしまった方を自分の前に置く辺り、気遣いは出来るんだよなあ、この子。

「……固いのも美味しいかも」
「それはどうも」

溶いた卵をまたフライパンにたらす。トントンとフライパンを叩けば、ぷるぷると震える塊ができた。

既に準備してあったチキンライスにそれを乗せて、卵の固いオムライスを頬張っている成宮の前に差し出してあげれば、また目をキラキラさせてこちらを見上げた。

「ふぉれがふぃるの?」
「食べてから喋りなさい」
「……っ俺が切っていいの?」
「どうぞ」

左手に持っていたスプーンで、丁寧に玉子に線を入れる成宮。こちらも少しドキドキしていたが、無事に玉子はとろりと割れてくれた。

「っうわー!これ!これだよ!」
「ふふん、どうよ」
「すごいよかのえさん!天才!最高!」
「……そこまで言われると流石に照れるわね」
「照れてないじゃん!顔色変わらないじゃん!」

酒を飲んでなんかいないので、素面というのは間違いだが、顔色が変わっていないことは事実だ。なぜなら、今日はファンデーションを念入りに塗ってあるから。

「今日化粧濃いからね」
「なんで? 年齢気にし始めた?」
「うっさいわね、外取材だったからよ」

荒い物を先に済ませようかと思っていたが、美味しい美味しいと食べる成宮を見たら、私もお腹が空いてきた。スプーンだけ取りにキッチンに戻り、成宮の正面に座る。

「東京は晴れてたんだね」
「今年一番の暑さだってさ」
「それで変な日焼けしているんだ」
「げ……やっぱり目立つ?」
「割と」

そう、私が沈んでいる理由はコレだ。高校野球の取材、当然炎天下であるので、いつも以上にしっかりと日焼け止めを塗ったつもりだった。しかし、うなじについたのはくっきりとした指の跡。

「……ちゃんと塗ったつもりだったんだけどなあ」
「髪あげなきゃいいじゃん」
「暑いのよ。それにポニーテールの方が高校生受けいいし」

言いながら、自分の首筋を撫でた。触るとやっぱりヒリヒリしてくる。

「そんな理由でポニテしてたの?」
「そうだけど」

楽な髪型が「似合う」と言われたら、ありがたくそうする。スタジオ収録なら色んな髪型をするが、食レポがある時や夏場なんかは上げていることが多い。

「えー……かのえさんあざとい」
「あざといって……似合うって言われたらそうしない?」
「誰かに言われたことあるわけ?」
「青道メンバーから割と、あの小湊や御幸ですら褒めてくれたし」

小湊から褒められたことってあんまりないから、「髪あげているのいいね」と言われた時は驚いた。もう一回とアンコールしたのは無視されたけど。それでも、今もその髪型をしてしまうくらいには嬉しかった。

「あと今日インタビューした子も褒めてくれたわよ」
「は?女子アナにナンパしているとかありえないんですけど」
「マネージャーをナンパし続けていた男が言うの?」

食べ終わった皿にカランとスプーンを置き、成宮が怒りだす。飲み物を出していなかったことに気付き、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してグラスに注いでやる。

「ほら、お水」
「でも俺はかのえさんに声かけていただけだから!」
「その子も”糸ヶ丘さん最近よくその髪型してて嬉しいです!”ってさ」
「なんでかのえさんそんなに嬉しそうなわけ!?」
「だって、女子高生のファンなんて喋る機会ないもの」

そこまで聞いて、ようやく成宮の怒りが止まる。

「……女子?」
「やっぱり勘違いしてた」
「だ、だって俺たちの時女子マネいなかったもん!」
「そうねー、いたら私も稲実行っていたのに」
「っ!?」

突然むせ返る成宮。飲んでいた水が変なところに入ったらしい。ゴホゴホと苦しそうにする彼の背中をさすりながら、話題そのままに口を開く。

「言っていなかったっけ?稲実の方が偏差値高かったし」
「……っ知らない!言ってよ!」
「いや、言っても何にもならないでしょ」
「そうだけどさ!」

ようやく成宮の咳が収まったので、私もまた座る。しかし、成宮の怒りはまた出てきてしまったようだ。なんとも喜怒哀楽の激しい男。

「かのえさんと同じ学校、いいなー……」
「学年違うから、さほど交流もなかっただろうけどね」
「あるよ!部活で一緒に居られるし、学園祭でデートしたり!」
「同じ学校だからって、成宮と学園祭回るとは限らないわよ」

私が冷静にツッコミを入れるし、成宮は気にせず願望を伝えてくれる。

「あとあと!放課後に買い食いしたりしたかったなー……」
「稲実も寮でしょ?買い食いも何も」
「でもかのえさんとコンビニ寄りたかった!」
「そう言われても」

「それに、小学生からの付き合いで、高校同じ部活で、プロになってからも顔合わせているなんて、もう俺たちのラブストーリーは完璧じゃん!」
「いや、何のストーリーにもしないけど……あ、そうだ」

買い食い、と聞いて思い出しす。成宮を招き入れた目的を忘れるところだった。私はもう一度立ち上がり、キッチンの隅に置いてあった紙袋を持って、カウンター越しに成宮へ声をかける。

「何これ」
「今日のデザート」
「ふーん、食べていいの?」
「いつも成宮にはお土産もらっているからお返し」

随分安いけど。というのはあえて言わない。袋を開けた成宮は、キラキラした笑顔でこちらを見上げた。

「今川焼き!」
「そ。稲実の近くのお店ね」
「懐かしー!おばちゃん元気だった?」
「うん。温める?」
「俺カスタードがいい!」
「はいはい」

昔話した時は、「和菓子なんだからあんこ」と譲らなかったのに、原田が言っていた通り、本当に私の影響でカスタード食べるようになったんだな。ちょっとだけ、ニヤけてしまう。



それにしても。


(小学生からの付き合いで、高校同じ部活で、プロになってからも顔合わせせているなんて――まるで御幸ね)


先ほど成宮に言われたセリフを思い出す。御幸とは彼が中学入学直前の、シニアの公開練習で初めて顔を合わせたからギリギリっちゃギリギリだけど、御幸が小学生の時からの付き合いなことは変わりない。成宮からしたら「あとは高校だけ一緒だったらなあ」という話題だったんだろうけど、私はなぜか、御幸が頭をよぎってしまっていた。


(ま、どっちにしろラブストーリーなんて起こらないんだけどさ)

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