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ピンポンピンポンピンポーン
「あら、久しぶり」
御幸と電話してから一週間、朝から成宮が訪れてきた。中途半端なメイクのまま出てしまったけれど、まあいいかな。
「かのえさん、話したいことがある」
「玄関のまま? 入れば?」
「……入らない方がいいんじゃないの」
「え、なんで」
何を今更。そう思ったが、普通に考えたら今まで当然のように行き来していたのがおかしいんだと思う。とはいえ。
「すぐ済む話ならこのままでもいいけど」
「……すぐだと思う」
「ではどうぞ」
「えっと……その、」
「……」
「あー……駄目だ、ちゃんと考えてきたのに……!」
「……やっぱり上がれば?」
メイクの続きもしたいし。軽い調子でそう口にすれば、成宮は目線を下げたまま頷いた。
「考えまとまったら声かけてね」
グラスに麦茶を注いであげて、成宮をソファに座らせる。それでもまだ口を開く気配がないので、私は寝室の扉を半分開けたまま、メイク台に座った。扉に背を向ける形になるけれど、さほど広くもないので会話はできるだろう。
と、思ったものの、一向に成宮が話しかけてこないので気になってしまう。「考えて」なんと言いながら、こちらから話しかけてしまった。
「そういえば成宮、今日の夕方にテレビ出るんでしょ」
「うん」
「事務所の子がね、稲実野球部のファンらしくて楽しみにしているわよ」
そう、前回原田との屋外ロケを担当するはずだった子だ。結局私が代打でロケに参加したので、彼女は原田と会えぬまま。随分意気込んでいたので、ちょっと可哀想だなあと思っていたので今日はちょうど良かった。
「第一次鳴ちゃんフィーバーの頃に中学生だって、そんな子が社会人なんて」
「中学生と高校生なんてそんなに変わらないじゃん」
「そう? 若いなーって思っちゃう」
「じゃあ、1つ下は?」
「……年下なんだなーって思うかな」
誰を指して言っているのか分からないけど、成宮にしても、御幸にしても、「そういえば年下だった」と思うことが絶対にある。
「……かのえさんさあ、」
「んー」
「本当に結婚する気ないの」
「どうしたの、急に」
今日は外からの中継もあるから、日焼け止めも塗らないと。顔に塗ったのとは別の物を、首から肩から塗りこんでいく。
「俺、結婚するならかのえさんがいい」
「それはありがたいお言葉ね」
「本気だよ、かのえさんじゃないと嫌だ」
突然何を、そう思い日焼け止めを塗る手を止めないまま振り向けば、なぜか成宮は寝室にまで入って来ていた。そして、私の書斎机の前にいる。
「ちょ、なんで入って、」
「これ何」
成宮を追い出すべく、立ち上がり私も書斎机の前に向かう。彼の視線の先には、私が勉強させてもらっている結婚式司会の資料だ。
「げ、」
「この写真、前に会っていた大学の男じゃん。今も会っているわけ?」
「……会ってはいるけど」
「何で俺に黙ってそういうことするのさ」
「別にわざわざ言うことでもないし」
だってそうだろう。私としては滅多にない機会で意気込んでいるが、他の人からしたら「結婚式の司会の勉強させてもらっています」だなんて、特別おもしろい話題でもない。
だけど、この言葉が成宮の何かに触れた。
トンッ――
突然肩を押され、そのままベッドに背中から落ちていく。あまりにも不意打ちの出来事だったから、ケホケホと、少しむせてしまう。何とか息を整えて起き上がろうとすれば、成宮の両腕に、私の両肩を抑え込まれた。
「ちょ、何すん……の、」
見上げた成宮の顔は、今にも泣き出しそうだった。
「な、るみや……?」
「……なんで俺じゃ駄目なんだよ」
何を言い出すんだ。まったく状況が理解できなくて、そのまま停止してしまう。
「俺の方がずっとかのえさんのこと見てきたのに、なんで俺じゃないの」
「成宮、何の話を、」
「絶対イヤだよ、かのえさんが他の男といるなんて」
「あの、だから、」
成宮の手が離れていき、肩にかかっていた力がなくなった。しかし成宮は離れる様子はなく、肘をベッドに乗せそのまま私の肩口に顔をうずめるように俯いていく。触れるか触れないかの、ギリギリの距離。
トントンと彼の背中を叩いてみるが、一向に退く気配はない。
「……俺、諦めたくない。かのえさんが籍を入れるまで歯向かいたい。まだ1ミリでもチャンスがあるなら、いくらでも足掻きたい」
表情は見えないが、いつもよりもゆっくりと、噛みしめるようにそう伝えてくる成宮。私を心配しているのか、それとも他の男と会うのが気にくわないのか、理由は分からない。でも。
「――成宮がどうして突然そう言い始めたのかは分からないけど、
私の中途半端な態度が、そんな表情をさせているの?」
多分、今はっきりさせておかないと駄目だ。
「違う、そうじゃない」
「ならどうして、」
「嫌なんだよ、ただ単純に、かのえさんが誰かのものになるのがイヤだ」
「そう言われても、」
別に私は、誰かのものになる予定はない。前から結婚願望はないと言っているし、そもそも相手もいない。何が、一体何が成宮の心に引っかかったんだ。
「でも、私は結婚する気ないよ」
そうこぼせば、ようやく成宮と目が合う。押し倒された体勢のままだから、彼の顔は、目は、よく見えた。
「……帰る」
そういって、成宮は振り返らずに立ち去ってしまった。成宮の息が触れていた肩口を撫でて、何とも言えない気持ちになる。
(なんで突然、成宮はそんな話したんだろう)
そう思いながら立ち上がり、先ほど成宮が立っていた書斎机の前に立つ。今日もまた、仕事終わりに結婚式の打ち合わせに参加させてもらう予定だ。その前に資料を確認していたから、雑誌だの写真だのが散らかっている。片付けてから行かないと。そう思って書類を整えていたら、ふと気づく。
「あ、」
もしかしたら成宮は、とんでもない勘違いをしているのかもしれない。
いやしかし、まさかそんな考えになるだろうか。……なったから、この結果なのかもしれない。
「私が大学時代の男と、結婚するって勘違いしているんじゃ……」
自意識過剰かもしれないが、あの口ぶりからしたらそう考えざるを得ない。ああでも違ったら私はすごく恥ずかしいことになる。
だけど、今日は成宮も同じ局で仕事だ。下手に騒がれたりする前に、「私は結婚式の打ち合わせで前の男に会う」と連絡しておくに越したことはないだろう。しかし、連絡先を知らない。成宮のようにSNSで伝えるわけにもいかないし。
少し考えてから、確実に連絡先を知っているであろう後輩へ電話を入れた。
「――あ、御幸?お願いがあるんだけど、」
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