小説 | ナノ


▼ 36

「糸ヶ丘さん、今日事務所に寄っていただけますか」
「あら、新しい仕事?」
「詳しくは僕も聞いていませんが」

日曜日、東京での収録前にマネージャーからそう言われる。わざわざ直接呼出して伝えるということは、大きな仕事だろうか。ちょっとそわそわしながら、収録終わりを待った。


***


ピンポンピンポンピンポーン


「かのえさー……ん?」
「成宮だ!それお土産?くれるの?」
「え、うん、そのつもりで来たんだけど」

扉をあけた先にいた成宮が、キャンプのお土産だろうか、何やら箱を持っている。

「成宮それ中身なーに?」
「北海道のラム肉、しゃぶしゃぶ用だってさ」
「そんなのあるんだ? 今から食べましょ!」
「えっいいの?」

どうせ上がり込むつもりだったろうに、上がれと言えば逆に遠慮し始める。面倒なやつだ。

「……かのえさん、酔っぱらってる?」
「素面に見えるー?」
「見えないけど……ヤケ酒?」
「ちがーう、祝杯です!」

色々言いつつ、成宮は私の部屋に入ってきた。羊肉をキッチンに置き、いつものようにソファへ向かうかと思いきや、おもむろに冷蔵庫を開ける。喉が渇いているのかと視線で追えば、ミネラルウォーターのキャップを開けて、私に差し出してきた。

「ほら、かのえさん」
「ん?」
「水飲んで」
「大丈夫よ、吐いてないし」
「どうせ後で後悔することになるよ」
「あら、経験者は語る?」

せっかく空けてもらったのでペットボトルを受け取り一口飲んで、また冷蔵庫に戻す。それよりも今は開けたシャンパンが大切だ。

「ガスコンロはここだと思うのよねぇ」
「あーもう取るから!取るから座ってて!」
「ほんと?助かるー」

上の戸棚を開けようとすれば、成宮が手助けをしてくれる。ありがたくお願いして、私は木箱に入った羊肉を取り出した。

「あら、いいお肉」
「すぐ食べれる?」
「タレだけ作ればすぐよー」
「コンロどこ置く?」
「ダイニングテーブル〜」

別にどっちのテーブルでも良かったんだけど、ローテーブルには私のおつまみとシャンパンが放置されている。片付けるのも面倒なので、ダイニングテーブルの方にしよう。


「ささっ成宮も座って」
「……かのえさん、ほんと酔ってるよね」
「ふふっ今日は特別なの、成宮も飲む?」
「俺はいいや」
「じゃあワインにしよ」
「聞いてる?」

シャンパンもなくなるし、私も次に行こう。下の棚からワイングラスと、寝室を開けて去年の誕生日にもらっていたお高いワインを持ってくる。

「じゃ、かんぱーい!」
「いただきまーす」

成宮より大きい声で言ってしまったのが少し恥ずかしくなったが、しかし、今日はお祝いだから仕方がない。

「っこれ美味しい!」
「でしょ? 高いの買ってきたんだから」
「成宮って舌は信用できるよね」

何だかんだで、彼の持ってきてくれる物は絶品だ。初めて会った店もそうだし、美味しい物を知っているし、良い物が分かっている人間である。

「舌以外も信用してほしいんだけど?」
「手出さないってことは信用してるけど?」
「……他の言葉も信用してほしいなー」
「それは追々」

彼の本音だとか、男女のどうのこうのは、正直今は考えられない。それはここ数年ずっとそんな素振りを感じていなかったというものあるし、何よりも、昔の記憶が思い返されるから。

(まさか、あの”稲実の成宮”と仲良くすることになるなんてね)

ふと思い出しては勝手につらくなってしまう。しかし今は、この美味しいしゃぶしゃぶを堪能すべきだろう。


「というか、かのえさん何に祝杯あげてたわけ?」
「それは言えない」
「なんで!?」
「ふふっそのうち分かるよ」
「仕事のこと?」
「そ!」

流石に詳しくは言えないから、ここまででストップ。だけど成宮くんはよっぽど気になるのか、思いの外切り込んできた。

「アナウンサーの仕事?」
「まあそうね」
「ずっとやりたかった?」
「うーん、まさかこんな仕事が回ってくるとはって感じ?」

予想外の仕事内容ということで、成宮も想像が難しいようだ。うーんと首を傾げながら箸を加えている。かと思えば、「あ、」と小さく声をもらす。

「そういえば、かのえさんってなんでアナウンサーになったの?」

ふいに振られたのは、普段だったらやんわりと逸らしていた話題だ。だけどゆるくなった口は、ついこぼしてしまう。

「……私、何かを伝える仕事がしたくてさ」

ブクブクとお湯の煮える音だけが響く。成宮は、私の言葉を待っているようだ。

「元々はライター志望で、出版社や広告業界を考えていたんだ」
「雑誌のインタビュー書いたり、ニュース書いたりする人?」
「そうそう、そんな人」
「じゃあなんでアナウンサー?」

まあ、そうなるよね。ここから先をあまり言いたくなくて、この話をしたことがなかった。


「昔ね、御幸に声が綺麗って言われたの」

成宮くんの動きが、また止まる。

「……は?」
「練習試合の時にウグイス嬢しててさ、そしたら声綺麗ですよねーって」
「一也、そんなこと言ってきたわけ……?」
「まあ正確にはちょっと違ったけど、」


――さっき喋っていたんですよ、かのえ先輩の声いいなって


久しぶりに思い出した。私がアナウンサーを目指すきっかけとなったやりとり。成宮が言う通り、御幸はそんなことをいうキャタクターではない。だから多少の違和感はあったけれど、その分よく覚えてしまっている。

そうして振り返っていると、ふと、引っかかることが出てきた。


(そういえば、誰と喋っていたかは聞いてないな)


言っていたっけ。なんて考えながら肉を湯にくぐらせていると、成宮の箸が止まっていることに気付く。


「成宮、お腹いっぱい?」
「かのえさん……それっていつ?」
「まだ私が2年生の時かな? 東先輩の名前噛んだ記憶あるし」
「どこでの練習試合?」
「……あ、成宮から近所の今川焼屋さん教えてもらった日だ、稲実ね」


タレに浸して、咀嚼する。いつものラムよりも柔らかくてすぐに飲み込んでしまう。舌に残る感覚を堪能しながら、ワインを飲み干す。追加で注ごうとすれば、成宮のグラスも空になっていた。ミネラルウォーターは冷蔵庫だし、ワイン注いじゃってもいいかな。

「成宮もワイン注ぐね」」
「あ、ありがとう」
「やっぱりお酒って美味しいよねぇ」
「そだねー」
「……成宮、あんたも酔っているでしょ」

なんだか返事が弱々しいな。そう思いグラスに注ぎ終わったところで彼の顔に視線を映せば、おでこが赤くなっているのが見えた。


「よ、酔ってない!」
「でも真っ赤よ」
「っこれは!」
「いいじゃないの、男がアルコールに弱くても」

よく分からないプライドが、きっと成宮にもあるのだろう。そう思って慰めてあげたのに、成宮はどうしても否定している。最終的に諦めてくれたけれど。

「あーもう、じゃあそれでいいよ!」
「はいはい」
「というか一也に言われて仕事決めたわけ!?」
「一つの判断材料にしただけよ」

別にそれだけじゃない。誰かの言葉を伝えたり、広めたり、そういうことも考え始めただけだ。結局この道に進んでも文章を書く仕事がもらえている。

「もう、成宮ってすぐ怒るよねー」
「だってかのえさんすぐ一也の名前出すじゃん!」
「だって付き合い長いんだもの」
「一也より俺の方がリードしてることないの!?」
「えー、そんなこと言われてもなあ……」

考えてみたけれど、そもそも何がリードなのか分からない。成宮もようやく肉を掴み、ガシャガシャと湯がいている。もっと丁寧に茹でてほしい。

「手料理作ったことは?」
「ある」

「家に呼んだことは?」
「大学生の時に」

「お酒飲んだことは?」
「年に一度は忘年会で」

「……っじゃあ俺とキスしてよ!」
「なんでそうなるの」
「流石に一也とはキスしてないでしょ!?」

どっちともするわけないでしょ。そういいながら、いい具合にしゃぶしゃぶした肉を食べる。成宮も大きく取った肉を食べているので、ちょっとした静寂が生まれた。


「あ、」
「何? 俺のが勝っていること思いついた?」
「それはないんだけどさ」
「ないのかよ!」
「御幸にも、誰にも言っていないことが1つ」

美味しいお肉と、アルコールがまた私の口を軽くする。


「ずっと憧れている靴があるんだ」


頬をお肉でいっぱいにした成宮が、こっちをまっすぐ見る。急いで飲み込んで、ワインも流し込んだ。

「……靴?」
「うん、靴」
「そんなのより、もっとこう……シークレット感ある話ないの?」
「失礼ね、私が長年ずーーーっと欲しい物の話なんだから」

そういえばようやく、成宮は聞く気になってくれたらしい。

「で、どんな靴?」
「それは内緒」
「はー!?ここまで言っておいて!?」
「んふふ、もっと仲良くなったら教えてあげる」

ぶーたれている成宮。でも私からしたら、こんな話は今まで誰にもしたことがないので、随分心を開いた気がする。

「しょーもないって思うでしょ」
「まあ、ぶっちゃけ」
「あはは、正直ね」
「でもかのえさんがずっと憧れているっていうのは、ちょっと気になる」

私に興味を持ってくれているんだって分かると、ちょっとした優越感が湧いてくる。酔っぱらっているから、浮かれても仕方ない。

「しょーもないけど、ずっと大事にしている気持ちなの。だから内緒ね」
「俺以外に知っている人は?」
「ううん、誰も」
「一也は?」
「御幸だって、貴子だって知らないわよ」

それだけ確認して、ようやく成宮は満足したらしい。うんうん、と頷いている。


「どう? 成宮だけの特別」
「……案外嬉しいかも」
「じゃあお肉食べよ」
「ていうかかのえさん食べすぎじゃない? 太るよ?」
「……何か言った?」
「言ってないでーす」

文句を言われようとも、今日は特別な日だ。成宮のお土産をどんどん食べていって、どんどんお酒をあおった。


そして私は、いつの間にか眠りについてしまっていた。

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