小説 | ナノ


▼ 35

「やった糸ヶ丘アナじゃん!」

「糸ヶ丘アナまた会ったね〜」

「糸ヶ丘アナってば、俺に会いに来たの?」


もう嫌だ。

年末特番の収録で飛び回っていることがじゃない。行く先々で、例のベテランエースと遭遇してしまうことがだ。


「糸ヶ丘さん、気に入られちゃいましたね〜」
「なんで私が……」
「普通のアナウンサーに飽きたんじゃないですかぁ?」

平日のレギュラー番組の収録が終わり、ようやく落ち着いた時間を過ごす。生放送の緊張感はあれど、慣れたメンバーとの共演ほど心安らぐものもない。反省会も手早く終え、後輩ちゃんと局の自販機でコーヒーブレイク中だ。

「やっぱり御幸選手と付き合っておけばよかったのに〜」
「……私と成宮を会わせておいてその発言?」
「私も流石に付き合っているなら紹介しませんって!」

そう、どうやらこの後輩ちゃんは私が御幸と付き合っていないと元々気付いていたようだ。だからこそ合コンを開いても問題ないと判断して、私をダシに成宮の誘いに乗ったらしい。どっちにしろ私を餌にしてきたことは怒ったけれど。

「……察しのよろしいことで」

とはいえ、こうして気軽に相談できるのはありがたい。「御幸のチームのエースから言い寄られている」なんて、この子以外に喋る相手なんていないから。

「そういえば、今日別スタジオで特番撮っているらしいですよ〜?」
「何の?」
「さあ? ただ、甲子園特集だとか」
「……さっさと帰るわ」

お疲れ様でーす。いつものゆるい挨拶を後輩ちゃんから受け、私はさっさと局を後にしようとした。



はずだった。

「あっれー!糸ヶ丘アナじゃん!」
「……お疲れ様です」

なるべく人と会わないように、エレベーターではなく階段から退勤しておこう。そう考えていたのが裏目に出てしまった。上の階の踊り場にいたらしい、ベテランエースの声が降ってくる。

「どしたの、こんなとこで」
「……仕事が終わったので帰ろうかと」
「エレベータも使わずに?」
「最近運動していて」

苦しい言い訳だったかもしれないが、ベテランエースは「へー、偉いじゃん!」なんて言いながらカンカンと階段を降りてくる。降りてくるな。

「でも糸ヶ丘アナは痩せる必要なくない?」
「気を付けないとすぐ太ってしまうんです」
「えー!全然みえないって!」

私と同じ階まで降りてきて、じろじろと見られる。ほんと、不愉快。嫌悪感が少し表情にも出ていたはずなのに、彼は怯む様子もない。

「ごはんでも行く?」
「……はい?」
「俺も収録終わったんだよねー!」
「いえ、あの、」
「あ、ヘルシーな料理出すとこ知っているから!」
「結構です」
「糸ヶ丘アナってば連れないね〜!」
「お気遣いありがとうございます。ですが、」

そういっているのに、なぜか私の手を取り、指を絡ませてくる。そのまま歩き出そうとしてくるが、立ち止まって、反抗した。

「だから行きませんって……!」
「ならせめて送っていくよ、ね?」

断った時は少し驚いた表情をした彼だったが、すぐににんまりと笑って、手を引いてくる。

「すみませんがお断りさせていただきます」

私が抵抗すると、私と繋いでいる手を壁に押し付けた。そのまま、背中に衝撃がくる。思わず悲鳴をあげそうになるが、弱みを見せたくなかった私は何とか耐えて、冷静に睨みつける。

「……何するんですか」
「糸ヶ丘アナさあ、俺じゃ駄目なわけ?」
「誰とでも行きません」

睨むけれど、彼は怯まない。無意味だとは思いつつも、A4サイズが入る大きなバッグを、開いている手を使って胸の前で抱きかかえる。

「でもせっかくだから食事くらい行こうよ」
「結構です」
「自分で言うのもなんだけど、結構優良物件だと思うよ?」

押し付けられた手に、力が入る。じりじりと彼が覆いかぶさるように近づいてきた。

「それでしたら、私ではなく他をあたってください」
「ううん、糸ヶ丘アナは特別だから」
「……へー」
「あっ信じてないでしょ」

信じられるはずもない。こんな突然好きだのなんだの言ってきて、壁に押し付けてくるような男。でもこのベテランは私の手を離す気配もなく、つらつらアピールを続けてくる。

「少しは考えてみてくれない? 金あって、顔もなかなかだって言われて、プロ球団でエース張っている男だよ?」
「中身の利点はないんですか」
「ははっこれは一本取られたなあ」

そう言いながらも、彼は一切身を引く気配がない。本当にどうしよう。逃げ場が、ない。

「でもかのえちゃんのこと昔から気に入っていたし」
「すみませんが私は、」

断ろうとしているのに、全然聞く気がない。掴まれている手に気持ち悪さを感じる。

「結婚考えても、ちょうどいい年齢差だしさ」
「だから別に結婚とかは、」
「とか言っても、考え変わるかもしれないじゃん?」

じわりと近づいてくる。彼の影が、私の視界にまで落ちてきた。不味い、流石にこの距離は、不味い。

「こんな男、他にいないって」

いよいよ駄目だと思って目を閉じうつむいていたら、澄んだ声が聞こえた。



「いるけど」



コツコツと、廊下を歩いてくる足音と共に、聞きなれた声が近づいてくるのが分かった。私は伏せていた瞳をひらき、顔をあげる。


「ガンガン稼いで、」

「顔もちょー良くて、」

「日本球界を背負って立つ男」



ベテランエースの背後から、見慣れた姿が見えた。


「……な、るみや」


零した声に、手を掴んでいた力が緩む。


「え、もしかして成宮とデキてる?」
「そういうわけじゃ、」

「いいから手ぇ離せっての!」


そう言って、私たちの元まで来た成宮が、私の指と絡ませていた彼の腕を握る。利き手ではないとはいえ、流石に敵チームの投手の腕を本気で掴むことはないだろうけれど、ベテランエースはようやく怯んで私から離れた。


「……成宮も糸ヶ丘アナ狙い始めたんだ?」
「狙い始めたんじゃねーよ、昔から一筋だっての」

イライラしているのがすぐ分かる。私が数歩下がって距離を開けたのを横目でみた成宮は、ようやく相手の腕を解放した。

「……なんだ、成宮のお手付きか〜」
「そういうこと!もう手出さないでよ!」
「手はつけられていませんが」

そこはちゃんと否定する。が、あんまり聞いてもらえていない様子だ。

「あーあ、結構ガチで好きだったのになあ」
「お前にゃかのえさんは勿体ないよ」
「……確かに、俺みたいにすーぐ週刊誌にスッパ抜かれる男じゃ駄目だよなあ」
「はあ!? それどういう意味だよ!」

ガンガンに稼いで、顔もイケメンだって騒がれて、プロ球団でエースを張っているという共通点のある2人だが、それだけではない。”球界きっての女子アナ好き”としても有名である。

「今の成宮にも糸ヶ丘アナは勿体ないって話だよ」

笑いながら、はっきりと成宮にそう言う。余裕たっぷりな相手に大して、成宮は地団駄踏みながら怒り散らした。

「〜〜〜っうるさいな!」
「もっと良い男になれよ、俺みたいに」
「お前なんて絶対見習わねーし!」

それだけ言ったら満足したのか、ベテランエースはようやく私たちの元から去っていった。去り際に投げキッスしてきたのはあきれてしまったけど、ひらひらと手をふる様子は確かに大人の余裕たるものだろうか。



「……ったく、やっと帰った」
「成宮も収録?」
「あいつと一緒にね」

彼が去っていく方向をずっとみているが、声だけでもイライラしているのが分かる成宮。そんな彼に対して、私は逆に落ち着いていた。

「……気を付けてって言ったよね?」
「ご、ごめん」
「俺がいなかったらどうするつもりだったわけ?」
「うん、どうしようかと思ってた」

ありがとう。そう続ければ、成宮は目を丸くした。せっかくセットしてもらった髪型をガシガシと掻いて、ぼさぼさにしてしまう。


「……あーっもう!」
「なっ何?」
「”男と二人きり”なんだから気を付けてよね!」

成宮はおでこを赤くしてぼやく。今度はこちらが目を丸くしてしまう。

「成宮は大丈夫でしょ」
「何が!?」
「成宮は私の嫌がることしない」

そうでしょと、念を押すように伝える。成宮は唇を尖らせてはいるものの、頷いてくれた。

「……まあ、かのえさんの隣に居られるのなら」

それでもいい。そう言ってくれる成宮。流石に少し、彼の優しさに甘え過ぎているかもしれない。今日は確かに、成宮がいなければ危なかったし、お礼はきちんとすべきだろう。


「ねえ、成宮」
「んー?」
「今日このまま帰る?」
「そうだけど。乗ってく?」
「乗っていかない」
「ちぇ」

「だけど、帰ってから合流しようよ」
「……ん?」

不貞腐れていた成宮が、ゆっくりと顔をあげる。

「え、かのえさん、つまりそれは」
「助けてもらったお礼」
「本当に!?」
「何食べたい?」
「肉!ガッツリしたやつ!」
「分かった。買い出しするから、遅くなるけどいい?」
「じゃあ俺デザート買ってくる!」
「それだとお礼にならないじゃないの」
「いーの!これは点数稼ぎだから!」
「……うーん?」


そう言われてしまっては、逆に受け取りにくい。まあ成宮の単なる優しさとして、ありがたく買ってきてもらおう。

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