小説 | ナノ


▼ 09

春、新生活の始まる季節がやってきた。

東京の朝レギュラー番組も卒業が伝えられ、ほぼ同時に地方レギュラーの発表もSNSで行った。収録で東京に行くこともあるとはいえ、いよいよ本格的な引っ越しだ。

つまり、成宮が隣に住まうマンションでの生活が始まったということになる。


「かのえさん!やっと会えた!」
「……おやすみ」

玄関のドアキーを開けようとガチャガチャしていたら、ちょうど隣の部屋から成宮が出てきてしまった。私とは正反対で元気ハツラツとした顔のヤツに、面倒くさい以外の感情が湧かなかった。無視してそのまま部屋に入ろうとする。が、ドアノブを掴まれた。

「なんで寝ようとするの!」
「眠いからに決まってんでしょ……」
「まだ21時だよ!?」
「こっちは深夜から起きてんのよ」

東京で朝のニュースに出て、そのまま新幹線へ飛び乗り打ち合わせ。既に起床から20時間以上経っている。当然眠い。

「ごはんは? 食べた?」
「明日食べる」
「よ、る、ご、は、ん!」
「……もう今から準備する元気ない」
「そういうと思った!」

むしろ、成宮はなんでこんなにも元気なんだ。プロ野球ももう始まっているはず。登板なかったんだろうか。経済新聞には毎日目を通すものの、スポーツ記事まで目を通す余裕がないのでそこはすっ飛ばしている。ああでも、御幸の記事は見ておかないと、怪しまれてしまうかもしれない。

「ということで、お邪魔しまーす」
「いやいやいや待ちなさい」
「なに? あ、スリッパ履いた方がいい?」
「出ていけ」

なぜかそのままドアを開け、当然のように侵入してくる。紙袋を持っているのは、今から買い物にでも行くんじゃないのか。どうし私の部屋へ入ってくる。内廊下のマンションで本当によかった。こんなの外から見えたらシャレにならない。

「いいからいいから!」
「(……もう何でもいいわ)」

どうにでもなれという気持ちで成宮を無視して、ソファに寝転がる。ちょっとだけ、休憩。


「かのえさん、レンジ借りるよー」
「んー」
「ポットないの? やかん?」
「……んー」

部屋の大きさが違うとはいえ、おおよそのインテリアは同じらしい。ばたばたと収納スペースを好き勝手開けて、成宮はキッチンで何か忙しなくしている。私は、マジで寝落ちる5秒前。

「かのえさーん、そのまま寝ると顔荒れるよー」
「んー」
「年齢考えなよー」
「……うっさいわね」

年齢のことを言われ、ちょっとイラッときた私はおとなしくソファから起き上がる。しかし言われたことは正論なので、せめてメイクは落として寝よう。そう思い洗面台へ向かって気付いた。


「……成宮の前でスッピン見せるのヤだな」

昔こそメイクなんてしていなかったが、今やもう、これが私の通常だ。いくら高校時代の真っ黒姿を知っていようとも、今のスッピンを見られるのは別問題である。ヘアピンとコンタクトを外し、ゆるいシュシュと眼鏡に変えてリビングに戻ってきた。


「……あれ、なんでメイク落としてないの」
「成宮にスッピン見られたくないなって」
「散々みたことあるじゃん」
「昔とは違うのよ」
「まーあとでちゃんと落とすならいいけど、ほら」
「……ん?」

コト、とダイニングテーブルに置かれたのは、野菜たっぷりのリゾットだった。トマトの優しい香りが、私の空腹をくすぐってくる。

「え、これ成宮が……?」
「湯煎で簡単!ってやつね」
「……お湯、沸かせたんだ」
「失礼すぎない!?」

スープ用のスプーンもあったのだが、カトラリーの場所が分からなかったのだろう。スープを飲むにはちょっと大きい、取り分け用のサービススプーンが置かれている。食べるのに使う物じゃないんだけどな。立ち上がるのは面倒だし、せっかくだから、そのまま使うことにした。


「食べてもいいの?」
「もち!」
「……いただきます」

パッとみただけで野菜の種類が多いそれは、私の胃をじんわりと癒してくれた。美味しい。

「……美味しい」
「球団の栄養士に聞いたオススメだからね」
「一流のリゾットだ」
「しかも、この俺が作ったし」
「成宮でも作れるくらい簡単だもんね」
「ねえさっきから何なの!?」

私の正面に座った成宮くんが、勝手に注いだ水のグラスをドンと置いて声を荒げる。

「うそうそ、ごめん」
「もー失礼なんだから」

「すごく幸せ。ありがとね」

一人暮らしの長い私は、誰かにごはんを準備してもらえる優しさに触れるのは久しぶりだった。素直に感謝を告げれば、成宮くんはきょとんとしてこちらを見る。そして、明後日の方向を見て水を飲みだした。

「……調子狂うなあ」

大きなスプーンゆえに、頑張って口を開けながらリゾットを食べていく。ひとくちが大きくなってしまうから、なかなかすぐに返事ができない。

「……それはこっちのセリフよ」

まさか、成宮くんがこんなことしてくれるだなんて、思ってもみなかった。私がしんどいタイミングで、しっかり栄養士にまで相談して決めた食事を出してくれるだなんて。これは、流石に頭が上がらない。

ようやく食べ終えた食器は、自分で下げる。食べたら元気が出てきたし、眠気も少し飛んだし。

「美味しかった、ごちそう様です」
「うん」
「じゃあ成宮、あとは自分でするから」
「うん」
「本当に助かりました、ありがとうございます」
「うん」

「……君はいつ帰るの」

にこにこして食器を持つこちらを見上げたまま、動こうとしない成宮。一体何を待っているんだ。

「お礼のちゅーくらいあるかなーって」
「あるわけないでしょ」
「ちぇ、残念」

本当に”お礼のちゅー”たるものを待っていたらしい成宮は、私がないと言えば、椅子からぴょんと降り玄関まで歩いていく。私も食器を下げて、見送りに向かう。そのついでに財布から数枚出して渡そうとしたが、ぺっぺと払いのけられた。

「お金はいらないから代わりにさ、」
「ちゅーはしません」
「今度、ごはん作ってよ」

食事のお礼は、食事で。
その程度なら、別に構わない。実際今日は助かったし、おかげで就寝前にお風呂も入れそうなくらい、ちゃんと目も覚めた。

「……やっぱ、ごはんもダメ?」
「……金曜日」
「ん?」
「金曜日なら、翌日仕事ないから来ていいよ」
「来ていいの!?」

サンダルを履いた成宮が、膝だけ廊下に上がり込んで前のめりに聞いてくる。流石にこれだけやってもらったら、借りは返したい。

「でも、食べたらすぐ帰ってよね」
「分かった!ゆっくり食べる!」

そういって、成宮は「おやすみ!」と元気に言い残して帰っていった。だけど、金曜日はすぐ帰るつもりはなさそうだ。どっちにしろ、きっとたくさん食べるから必然的に食事時間は長くなってしまうかもしれない。

久しぶりにスポーツ記事もちゃんと確認するかな。なんて思いながら、私はようやくメイクを落としに向かった。

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