▼ 03
「あっ糸ヶ丘さん!こっちです!」
「おー!糸ヶ丘アナだ!」
「えっ本物?マジで呼べたの?」
「……帰ります」
「わーん!糸ヶ丘さん待ってくださいってばー!」
約束された5分前にたどり着いた店には、例の失恋ちゃんと、彼女と同じ局のアナウンサーたち。そして、彼女たちと同じ人数のプロ野球選手が並んでいた。
本当に来た。糸ヶ丘アナだ。なんて小声が聞こえてくる。本当にくると思われていなかったのなら、いなくてもいいんじゃないか。瞬時に判断した私はきびすを返したが、失恋ちゃんに腕を引かれ、個室から出たすぐの廊下で、これまた小声で説明された。
「女子会じゃなかったのかしら」
「男子がいないとは言ってないですもーん!」
「……確かに」
「それに糸ヶ丘アナが来るならって、向こうの幹事さんに選りすぐりのメンバー集めてもらったんですから!」
ここまではっきり開き直られると逆に冷静になってしまう。揚げ足取るように私を納得させようとしてくる。しかし、私も「そうですか」とはならない。
「私はあんたの餌しに来たんじゃないんだけど」
「恋の傷は!恋で癒すんです!」
「はいはい、じゃあ頑張って癒してきて」
「ま、待って!糸ヶ丘さんいないと困るんです!約束ですから!」
ったく、誰なのよ私を呼びつけた幹事は。そう思いながら一瞬みた顔ぶれを思い出してみる。しかし、つい最近までプロ野球関連の仕事は受けたことがないので、初対面ばかりだ。おおかた、”お堅い糸ヶ丘アナ”と飲んでみたかっただけだろう。
あれ、そういえば。
「そもそも、私が来る前の段階で男女の人数揃っていたじゃない」
「向こうの幹事が遅れてきてて」
「なら遅れてきたヤツが悪いってことで、女の人数減らしましょ」
あらためて、帰るために鞄をかけ直す。失恋ちゃんも私が本気で帰ろうとしていると気付いたらしい。だんだん声が弱くなる。ちょっと強く言いすぎたかな、でも、合コンなんて面倒なだけだ。「またね」と声をかけて、歩き始めた。
が、すぐに衝撃がくる。誰かにぶつかった。
「す、すみません。前見ていなく……て?」
こんな個室しかない通路を歩くとなれば、店員だ。そう思い丁寧に謝ろうとしたのだが、思いの外、視界が塞がれている。この体格は。
「理由も聞かずに、悪者扱いは酷いんじゃないですかねー」
きゃ!と小さな悲鳴を失恋ちゃんが挙げた。私は心の中で悪態ついて、すぐに笑顔をつくる。
「あら、成宮選手もこのお店にいらっしゃったんですね」
「つーか俺が予約したし」
「……はい?」
予約した、とは。疑問を浮かべるも、一切説明なく成宮は失恋ちゃんに話しかける。おいこら無視か。
「いいメンツ揃えてあげたんだから、感謝してよね」
「はい!成宮さんも、”連れてきたらOK”って言いましたもんね?」
「まあ、及第点かな」
「いやあの、ふたりで何を、」
「糸ヶ丘アナ、もう合コン来なくていいですよ〜?」
「はい!?」
今までのやりとりは何だったんだ。来なくていいと言ってもらえたものの、突然のことに反応できずに止まっていれば、成宮から声をかけられる。
「糸ヶ丘アナはこっち」
腕を引かれ、そのまま階段をあがっていく。まだ上に部屋があったのか。なんて感心している場合じゃない。
「ま、待って!」
狭い階段で、掴まれていた手を振り払う。成宮は驚いた顔をしてこちらを振り返ってくるが、ビックリしているのはこちらの方だ。
「なに!?何なの!?」
「何なのって……個室のがいいでしょ?」
「何と比べているのか分からないけど、帰宅一択です」
トントンと、のぼってきた階段を下っていく。流石にこんな場所で腕を掴み直そうとはしてこなかった。しかし。
「帰ってもいいけど、記者張っているから止めた方がいいよ?」
後ろから、というか、階段の上からそんな声が降ってきて、思わず振り返る。
「は?」
「多分若手のピッチャー狙いだろうねー、あいつ全然撮られないし」
「……最悪」
流石は週刊誌に撮られ慣れているだけはある。入店の段階から、記者がいるのかどうか気付いたらしい。むしろ気付いたならさっさと解散させてくれたらよかったのに。他のメンバーも可哀想だ。
「糸ヶ丘アナは知らないだろうけど、ああいうのってお目当ての人間が出てきたらすぐ追いかけていくんだよ」
「詳しいわね」
「ってことで、俺のチームの若手が出ていくまで居た方がいいんじゃない?」
つまり、下の階で開催されている合コンが終わるまで店に籠城した方がいいとのことだ。
「そうね、カウンター席もあったみたいだし」
「カウンター席、入り口近いから外から見えちゃうんだよなー」
「……じゃあ別室を」
「花の金曜日に、今から個室なんて取れると思う?」
ニヤッと笑って、既に階段を登り切っている成宮は、うんと明るい笑顔で、私の方を見下ろしていた。
「俺とごはんして、合コン終了待つのが最適解だと思うよ」
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