小説 | ナノ


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「はー……なんだかあっさり終わった」
「結局は単なる役所の届けだもんね」
「もー!かのえってばロマンティックが足りない!」

朝から区役所へ行き、書類を提出して、鳴くんの車で移動する。今日は忙しい。でも、嬉しい。

「つーかかのえ、本当に会見出ないわけ?」
「出ないって。何回言うの」
「せっかくの機会だから、仲良しアピールしたいのに」
「しません」

ぶー垂れる鳴くんは、まだ私が会見に出ないことを不満に感じている。そんなことを言われても、もう私は一般人なんだから。

「そもそも一般人が出てきたらおかしいでしょ」
「ちょっと前まで日本大会で優勝していたんだからいいじゃん!」
「でも今は専業主婦もどきだし」
「もう籍入れたんだから、もどきじゃなくて立派な専業主婦だってば」
「あ、そっか」

指摘されて、ようやく気付く。引退してから私は「専業主婦もどき」と名乗っていたのだが、いよいよ本当の専業主婦だ。とはいえ、今までの生活と変わることは何らないけれど。
どちらかといえば、「成宮くん」と呼んでいたのを「鳴くん」に変えたあの日の方が、よっぽど印象深い。そう思っていたのは、鳴くんも同じだったようだ。

「でも、呼び方も安定してよかった〜」
「成宮くんって呼んでいた時期が長かったもんね」
「ずっと名字で呼ばれるかと思って正直ビビってたよ」
「そうなの? 言ってくれたら良かったのに」

別に、名字で呼ぶことにこだわっていたわけじゃない。今だって”あの日”に言われなかったらずっと「成宮くん」と呼んでいた気がする。そのことを指摘すれば、赤信号で止まった鳴くんが唇を尖らせてこちらをチラリとみた。

「……だって、かのえがカッコイイって言ってくれることなかったから」

ハンドルにもたれるような姿勢でそんなことを言う彼に、思わず笑ってしまった。

「ちょっと!笑うなってば!」
「ふふっごめん、鳴くんが可愛くって」
「カッコイイって言われたいって言ったばっかだよね!?」
「あはは、鳴くん投げる時は格好いいから安心してよ」

嘘偽りなく、彼は投げている時は文句なしに格好いい。それを伝えたけれど、やっぱりまだ不満そうだ。

「……もっとさあ、奥さんしか知らない俺の魅力ってないわけ?」
「んー……ちょっと待って、考える」
「考えないと出てこないの!?」
「あ、このやり取り昔したよね」


(俺といる時全然笑わないし!)
(だって成宮くん、私のこと怒ってばっかりだから)
(そんなことないし!褒めるよ!)
(じゃあ褒めてよ)
(……っそれは、)


出会ったばかりの頃、鳴くんが私に突っかかってきていた時の話だ。全然思い出せそうになかった鳴くんに説明してやれば、ようやく思い出せたらしい。

「あーはいはい、あったねそんなことも」
「そういえば、結局褒めてもらってないけど?」
「好きなところは散々叫んだじゃん」
「……全校生徒の前でね」

呆れたように付け足せば、鳴くんはまた唇を尖らせる。過ぎてしまえば良い思い出だが、今思い返してもあの一件は大変だった。周りから騒ぎ立てられて、学外の人にもつつかれて、おまけに後輩を挟んで大喧嘩。まったく、楽しい思い出だ。

「そういえば、あの後輩何してんの?」
「ん? まだ出版社勤めじゃない?」
「そっちじゃねーって、ボブだよボブ」

話の流れから察するに、鳴くんの公開告白をネットに流した後輩かと思えば、そうじゃなく写真部の子のことだったらしい。そういえば、鳴くんには伝えていなかったっけ。

「今ね、ブライダルカメラマンしているんだって」
「ブライダル?結婚式の写真撮る人?」
「そうそう」
「へー、カメラで食っていくのすげーな」
「どこかの誰かさんに、『幸せそうな人撮るのが上手い』って褒められたのがきっかけだってさ」
「へー」
「……鳴くん、自分の発言は全然覚えていないよね」
「えっ俺!?」

今度は私の方が呆れてしまう。彼のことだから嘘をついて褒めたりはしていないんだろうけどさ。もっと、他人の人生変えてしまうような人間だっていう自覚は持ってほしい。よく分からないところで自信は持つのにね。

「でも他のヤツも褒めてんでしょ」
「うーん、でも鳴くんに褒められると嬉しいの、すごく分かるな」
「えっ」
「だって鳴くん、お世辞とか絶対言わないでしょ」
「あ、そういう意味?」
「でも素直に嬉しいよ、やっぱり」

ふふっと笑うと、鳴くんも同じように笑う。もうすぐ目的地だ。

「先に球団の人と合流するんだっけ?」
「そ。なんか打ち合わせ?口裏合わせ?」
「口裏は違う気がするけど……じゃあ私は買い物してから行こうかな」
「えぇっ!?一緒に会場前まで行かないわけ!?」
「だって鳴くんが球団の人と話している間、私なにしていたらいいのさ」

あとで私も控室行くから。そういえばまた鳴くんはちょっと不貞腐れたけど、「鳴くんが昔買ってくれたケーキ屋さんに寄りたい」と言えば、仕方ないなあと言いながら人通りの少ない道で止まってくれた。

「……買い物終わったら控室まですぐ来てよ」
「はいはい、分かってますって」

左ハンドルの助手席から降りるのも慣れたものだ。こっちが車道になるから急いで歩道に走り、鳴くんが走り去るのを見送るのがいつもの流れ。

「じゃ、また後でね」
「あ、かのえ待って」

だけど、今日は呼び止められる。運転席の窓を開けた鳴くんが、チョイチョイと手招きしてきた。

「どしたの?鳴くんチーズケーキ以外がいい?」
「ん−、かのえのセンスに任せる」
「あ、もしかして助手席に何か忘れてた? あとでもらうからそのまま、」

出発して構わない。そう言おうとしたのに、伸びてきた腕が私の手首を掴む。途端、ぐいと引っ張られた。

そして、唇が触れる。



「……へへっ忘れもの」
「〜〜〜っばーか!」
「後でまたもらってね〜!」
「もらわない!はやく記者会見の準備してきなさい!」

外でこういうことをされるのは、いまだに慣れない。やらなくていいと言っているのに、ハザードランプを5回光らせて、鳴くんは去っていった。


さて糸ヶ丘かのえ……もとい成宮かのえ、早々に買い出しを済ませて、彼の結婚会見が開かれるホテルまで向かわなくては。

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