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「最後に教室行こ!」
「許可は、」
「さっき職員室に連絡してもらった!」
本当かなあとちょっと疑いながら廊下を歩いていたけれど、すれ違う先生が気軽に手をあげてくれたから、大丈夫らしい。
「……つーかかのえ、男子高校生と喋って浮かれてなかった?」
教室までの廊下で、ちょっと不機嫌そうに鳴くんが言ってくる。さっき、鳴くんが多田野くんと喋っていた時、暇そうにしていた私に現役野球部くんたちが声をかけてくれた。
「うん。鳴くんのファンと喋る機会、あんまりないもの」
「ほんとに?ほんとにそれだけ?」
「そうだよ。あ、それと今の稲実の話聞けて楽しかったよ」
「かのえが何か聞くたびすげー勢いで返事されているのはちょっとウケた」
「えーそんなだった?」
「うん、女王様って感じでね」
「もう、いつまでその呼び方引っ張るの」
「俺が王様じゃなくなったらかなー……お、3年6組はっけん!」
ガラッと開ける勢いは、昔と何ら変わらない。ずっと同じクラスな気分だったけど、最後のクラスだけだったんだな。
「俺ねー、この席の時が一番楽しかった」
「……いつだっけ」
「付き合う直前じゃんバーカ」
「よく覚えているね」
鳴くんは我が物顔で入ってすぐの席に座る。一番廊下際の、一番前の席。私もその後ろに座った。
「うわ、こいつ机ン中きたねーな」
「そんな勝手に、」
「こういうのは性格が出るんだよ、俺はすげー綺麗だったし」
「何も入れていなかったもんね」
鳴くんは机に何も入れない。掃除の時に運びにくいって言って、教科書はいつもロッカーに全部入れていたからだ。授業の始まる前か、始まってからようやく取りに行く。ちなみに3年生にあがってすぐの頃は後者が7割ほどあったが、私の粘り強い努力のおかげで、最終的にはきちんと準備して授業に臨めるように成長した。実際、きちんと授業に臨んでいたかは別であるけれど。
「あーでも英語くらいはちゃんとやればよかったな」
「だから言ったのに」
「かのえが隣にいてくれるから、俺はいいかなって」
「あの頃付き合ってなかったじゃない」
「でも、あの頃から好きだったよ」
引き出しから勝手に取り出したノートを見ながら、なんてことない風に言う鳴くん。そうか。そうなのか。少しずつ、彼の言葉をかみしめる。
「……鳴くん」
「んー?」
「今度爪塗らせて」
「どしたの、突然」
高校時代を思い返してみて、ひとつだけ引っかかっていたことがあった。
「鳴くんの爪塗ったことあったでしょ」
「うん、結構上手かったよね」
「あの時、ふーってしたら気持ち悪いって言われたの、ショックだった」
「え、何さ突然。つーかそんなこと言った!?」
「言った。すごく落ち込んだ」
誰のか知らない引き出しに、元あったよりも一層乱雑に教科書を戻した鳴くんがようやくこちらを見る。ショックと言われて、ショックを受けている。
「えー全然覚えてない」
「言った。ショックだった」
「ごめんて」
「だから再チャレンジさせて」
「じゃあ、オープン戦はかのえにやってもらった爪で挑むかなー!」
「あと、多分その時から好きだったんだと思う」
短く、整えられた爪を見ていた鳴くんが、また顔をあげる。きょとんとして、動かない。
「……え、本当に何、どうしたの?」
「それまでだったら鳴くんに罵られても気にしていなかったなーって」
「俺が言うのもあれだけど、結構罵っていたのに気にされてなかったんだな」
しかし、その頃だったとしても、結局付き合うようになった数カ月前だ。
もっと早く出会っていれば、もっと早く付き合っていれば。色んな仮定があるかもしれないが、たぶん、現状が私たちの最速だ。
「……私の心残りはそれだけかな」
「えー?もっとないの?」
「鳴くんはある?」
「俺はねー、制服デートしたかったし、一緒に海行ったりもしたかったなー。結局プロ野球は観に行けないまま俺がプロになっちゃったからね」
どこかで聞いた願望だ。よっぽど制服デートしたかったんだな。
「流石に制服デートはできないけどさ、」
「今のかのえに制服は流石に厳しいよね」
「自分のこと棚に上げないでくれます?」
じっと睨めば、俺も?って聞いてくる。ユニフォームならまだ似合うかもしれないが、流石に制服は厳しいだろう。
「海は行こう。綺麗なとこがいいな」
「おっいいね!年越しハワイ行っちゃう?」
「有名人がよくする年越しだ」
「有名人だからね」
「プロ野球はー……日本で引退したらいけるかな?どうなの?」
「アメリカ行く時期にもよるんじゃない?そろそろ調べないとなー」
「それだけやったら、いよいよ日本におさらばだね」
「あっ!」
突然声をあげる。
「な、なに?」
「もういっこ!やり残したこと!」
どうしたのかと思えば、突然腕を引かれて立たされた。教室の真ん中まで、歩いていく。
「……変なことしないでよ」
「しないよ」
「じゃあ一体何を」
「……どっちにするか悩んで、結局やらなかったこと!」
手を離した成宮くんが、まっすぐにこちらをみる。
「糸ヶ丘かのえさん、ずっと前から好きでした。付き合ってください」
突然の告白に、驚いて固まってしまう。にこにこと笑顔を止めない成宮くんに、仕方ないなあと、茶番に付き合ってあげることにした。
「――はい、よろしくお願いします」
前と違ってすぐに返事をすれば、前と違って隔てる物も何もないのでそのまま抱き着いてくる。
「やったー!糸ヶ丘が彼女だー!」
「……どっちにするかって、告白のこと?」
「そうそう。誰もいない教室に呼び出して伝えるか、ちょっと悩んだんだ」
考えた結果、あの公開告白になってしまったらしい。
「こっそり付き合うのもいいなーって思ったんだけど、」
「どうせバレそうだもんね」
「だよね!だから俺の選択は正解だった!」
どんなことにも自信満々なのは、ずっと変わらない。でも、こうしてふたりきりで告白を受けて、すぐにOKして、手をつないで廊下を歩く高校時代でも、結局は同じ道を歩いていた自信は、私にもある。
(……間違えた、下駄箱に靴ねーわ)
(案外、高校時代のルーティーンって覚えているものね)
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