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「あーーーー憂鬱」
車を運転してくれている鳴くんは、先ほどから何度も深いため息をつく。
「大丈夫だって、お父さん気にしないって」
「見知らぬヤツにノーコンって言われて気にしない人いなくない!?」
あーもうなんでそんなこと言ったのさ!鳴くんがハンドルを持つ手に力を入れる。
「でも”外野手はノーコン”って言っていたの、鳴くんだよ」
「あれはカルロのこと言っただけで、外野手みんなってことじゃないの!」
「でも鳴くんは外野手よりもコントロールいいんでしょ?」
「俺よりコントロールいいやつなんて、投手でもよっぽどいねーわ」
信号で止まり、ハンドルにもたれかかるようにして項垂れる彼。原因は、私たちが高校2年生の時の会話だった。
野球のポジションの決め方を喋っていた時、鳴くんも神谷くんも肩が強いけれど、なぜ二人は違うポジションなのかと聞いたことがあった。その時に鳴くんが”神谷くんをノーコンと罵っていたこと”を覚えていた私が、週末父親に聞いたのである。
――そういえばお父さんってポジションどこだったの
――ん?パパはセンターだぞ
――稲実でいえばカルロスくんね〜
――ふーん、じゃあもしかしてコントロール苦手?
――えっなぜ我が娘は突然弱点を指摘してくるんだ
――成宮くんが今日ね……あっピッチャーの人なんだけど――
そんなこんなで、鳴くんたちとのの会話を両親に伝えていた。というのを、ふと思い出して先日の飲み会で話したのである。そしたら、コレだ。
「なんで奇跡のバックホームの人って、早く言ってくれなかったんだよ……」
「知っているかと思って」
「知るわけないじゃん!つーか名字違うし!」
「婿養子だからねえ。ま、そんな緊張することないって」
「無理だろ……はー、かのえママの助け舟にかけるしかない……」
「(お母さんにそんな気遣いできるかなあ……)」
***
「はじめまして、成宮鳴と申します」
「やあ、はじめまして」
「うふふ、はじめまして〜」
「お母さんは全然はじめましてじゃないでしょ」
思った以上にガッチガチに固まった鳴くんが、玄関で出迎えてくれた両親に頭を下げる。お父さんも緊張しているのか声が小さいけど、お母さんだけは相変わらずだ。
「まさか本当に鳴ちゃんと付き合っているとはね〜」
「え、今更?」
「だって付き合いだしてからは会えていないもの」
「すみません、なかなか挨拶にも伺えず」
「いいのよ、プロの選手は忙しいって分かっているから」
母は未だに、鳴くんがテレビに出ると録画している。プロになってからはきりがないと思うのに、それでも嬉しいらしい。しかし、鳴くんはそんなことよりも件のことを早く解消したいらしく、父の方をちらりと見る。
「その、お義父さんも野球をされていた、とか」
「あーそうそう、ノーコンだから外野にいたのよ〜」
案の定、母は突然ぶっこんできた。鳴くんは固まってしまうし、父もどう反応していいのか困っている。だから言ったじゃないか、母に気遣いなんてものはない。
「そ、その件に関しましては!そういったつもりではなく!」
「気にしなくていい、実際私に制球技術はなかったからね」
「いや本当すみません……天狗になっていた高校生だったもので」
「パパの時代のエースもコントロール良くてかっこよかったものね」
「お前が夢中になるくらいにはな」
「ふふっ第二ボタンもらっちゃうくらいにはね」
「え、ボタンってお父さんにもらったんじゃなかったの?」
母はその頃からミーハーだったのかと、ちょっと呆れてしまった。だが、優しく笑って話を続ける。
「お母さんがミーハーなのは昔からなの。吹奏楽部でトランペット吹きに甲子園まで応援に行ったら、案の定ピッチャーの先輩に憧れちゃったりしたのよね〜」
「お父さんは?」
「その相談をされていた」
「うわあ……」
私は唖然とした声を出し、鳴くんも似たような表情をしている。まさかそんな絡まった関係性だったとは、思いもしなかった。
「でもね、甲子園に応援へ行って、この人の例のプレーみたら一目惚れしちゃったの」
にこにこと、母は言う。それでよかったのかと思い父の方を見れば、なんだか目じりを落として笑っているので、多分良かったのだろう。
「……成宮くん」
「は、はい!」
「私と妻はこんな調子から付き合い始めたからね、正直最初は不安だったんだよ。彼女がいつ他の男を好きになっても仕方がないと思っていたからね」
「あらやだ、失礼しちゃう」
「いや、お母さんが悪い」
「そう?」
「……続けていいかい?」
多分良いことを言おうとしているであろう父に、思わず女性陣が口を挟んでしまう。鳴くんは未だガッチガチでこぶしを握り締めているので、早く話を進めてあげなきゃ。
「話を聞けば、君と娘は随分と長いつきあいだそうだね」
「……お恥ずかしながら、言い争いばかりでしたが」
「いや、それでいいんだよ。充分話し合って、ここまで来ているんだから」
話し合い、と言っていいのか困るレベルのやり取りであったのだが、父はそこまで知らない。本人たちと父との間でちょっとしたズレが生まれていて、思わず鳴くんと顔を見合わせて笑ってしまう。
「テレビで観ていた成宮鳴という人は、礼儀正しくて、責任感も強くて、芯のある人間ではあるが、実際の本人はどういう人なのか逆に不安だったんだ」
「鳴くん猫被るの得意だもんね」
「ちょ、かのえ!」
「でも、きちんと娘のことを想ってくれているようで安心したよ」
これからも、娘をよろしくお願いします。そう言って父は座りながら頭を下げた。
「……かのえさんが、ご両親から大事にされてきたんだというのは、一緒に過ごしてきた中でしみじみ感じていました。気配りだとか、言葉選びだとか、そういったものが自然と丁寧なのは、ご両親の影響だと考えています」
「うふふ、嬉しいわねえ」
「今もこうして仲の良い様子をみて、すごく素敵だと思うと同時に、申し訳なさも感じています」
「申し訳ないというのは、どういう意味だい?」
「……数年したら俺は、メジャーに挑戦するつもりです。そして彼女にも、着いてきてほしいと考えています」
今度は鳴くんが頭を下げる。
「――いいんじゃないか?」
「え、」
「娘は幸い英語は問題ないし、今は働いてもいないし」
「言い方ひどいよお父さん」
「パパも出張でアメリカ行くことあるから、私たちも遊びに行くわね〜」
反対されないどころか、既に好き勝手旅行する計画を進め始める我が両親を見て、鳴くんは拍子抜けしたようだ。きょとんとして、こちらを見た。
「……ね、心配ないって言ったでしょ?」
「うん、よかった」
あとは鳴くんの猫かぶりがさっさと取れてしまえばもっと楽なのに。そう心配していたが、このあと父が「そうだ、息子とキャッチボールするのが夢だったんだ」と彼を引き連れて公園に行ったら、一時間後にはもう交流を深めてしまっていた。流石は鳴くんである。
(ねえかのえ!お義父さん本気で打ってきやがった!信じらんない!)
(はははっ俺もまだまだ打てるなあ)
(公園でキャッチボールしていたのでは……?)
(テンションあがったから投球ゾーンあるバッセン連れてってもらった!)
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