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「――鳴の言いたいことは分かったけど、」
白河くんが静寂を破る。
「糸ヶ丘はそんなこと知らないわけでしょ」
「だから言わないっての」
「何も話さずに、糸ヶ丘がいつもまでも付き合ってくれると思うわけ?」
「かのえは俺がいなきゃ駄目に決まってんじゃん」
「逆でしょ、鳴が糸ヶ丘をほしいだけ」
突然何を言い出すのかと思えば、私がどうのという話題だ。私だって成宮くん以外にいないのに。
「糸ヶ丘の立場からしたら、人生変えてまで鳴に寄り添う必要ないだろ」
「……確かに糸ヶ丘って、国内の陸上大会じゃ今や負けなしだもんな」
「鳴の立場からしたら超優良物件かもね。世話焼いてわがまま聞いてくれて、大学でスポーツ科学専攻した料理好きの女」
「おまけに自分も運動神経バツグンで、鳴のファンにも応援されていて」
「……っさい」
「何?反論あるわけ?」
「うっさい!!!!そんなこと俺が一番分かってんだよ!!!!」
突然の大声に、肩が震える。
「俺だってわかってるよ!かのえが陸上続けるならもっといい人がいるって!でも仕方ないじゃん!好きなんだから!誰にも譲んねえし!」
「なら籍だけさっさと入れたら?」
「籍入れたらそれこそ記者が子供がどうの言ってくるじゃん!イヤなの!そりゃ俺とかのえの子供だから当然運動神経最高に良くて頭もよくてすっげーーーーできた子に生まれてくるけどさ!!!」
「鳴の遺伝子ある時点で頭と性格は期待できないだろ」
「できるわ!!ともかく!!そんなことかのえに意識させたくないの!!なのになんでみんなしてあーだこーだ言ってくんのさ!!俺のかのえの問題じゃん!!そりゃ子どもはほしいけどいなくても幸せになるし、入籍だっていつだっていいじゃん!!なのになんで週刊誌に好き勝手かかれて、同級生にこんなこと言われてしなきゃいけないんだよ!!俺はただ……っ!!」
「ただ、なに」
叫び声が、だんだん震えていくのが分かってしまった。問いただす白河くんの声は、反して冷静だ。
「俺はただ……かのえの隣に居たいだけなんだよ……っ!!」
制服デートしたかった。一緒に海行ったりもしたかった。結局プロ野球は観に行けなかったし、今だってあーだこーだ言われるから外出する時は気を使う。なんでこんなことになっちゃっているんだ。ただ、隣に居たいだけなのに。
こんなにもぐずぐずと、弱った成宮くんの声を聞いたのは、初めてだった。
ふすまを開ける。そんな勢い付けたつもりはなかったけれど、パンと良い音がした。3人がこちらを見る。
「成宮くん」
「……な、んで」
「寒い、上着貸してほしいな」
「いいけど……なんで、かのえが、」
「迎えに来たの、立てる?」
「た、立てるけど!だからなんでいるんだよ……いつから聞いてた?」
「とりあえず顔拭いて」
「な、泣いてないし!」
「あーはいはい、分かった分かった」
誰がどう見ても泣きはらした顔を、くるくる丸められたまま皿に積んであるお手拭きを手に取って拭いてやる。まだ酔っぱらっているせいか、されるがままだ。
「目閉じて、あーもう髪もぐしゃぐしゃ」
「んー……」
「財布どこにやったの?」
「こっち」
「ありがと白河くん」
いつもポケットに突っ込んでいる財布がない。本人に聞いていたら、白河くんが成宮くんのそれを投げてくれた。片手でキャッチして、もう片方で成宮くんを支える。
「ほらもー、ふらついているじゃない。腕持っていいから」
そういえば、ここは成宮くんの奢り予定だったっけ。ちょうど食費を下ろしてきたばかりのタイミングでよかった。自分の財布から多めに数枚出して机に置き、成宮くんのカバンを右肩で持って、彼の右腕を無理やり私の首に回す。
「手伝うか?」
「ううん、大丈夫」
「流石に鳴持っていくのは重いだろ」
「頑張る」
「いや、でも」
「神谷くん」
彼の気遣いは、ありがたい。素直に優しさで言ってくれているのは確かである。だけど、
「好きな人にあんなこと言われたら、早く二人きりになりたいものなんだよ」
だからここで見送ってほしい。はっきりそういえば、笑って手を振ってくれた。白河くんも、早く行けと言わんばかりと手を払う。
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