小説 | ナノ


▼ 054

「糸ヶ丘、はい」
「?」
「もー分かってよ!爪やって!」
「分かるわけないでしょ」

背中をつついてきた成宮くんの方を振り返れば、手を差し出してくる。さながらお手をする犬のようだ。本人には絶対言えないけれど。
机に置かれているのは……マニキュア?

「なんでマニキュア?文化祭で目覚めた?」
「何にだよ!ちげーよ爪の保護!」
「なるほど、楽器する人も塗っているよね」
「そんな感じー……ってことで、やって」

ん、と手を更に近づけられる。でもマニキュアなんて塗ったことないから、全然分からない。そう伝えれば「仕方ないなー」と言いながら成宮くんは自分で右手を塗り始めた。私はともだちがメイクをしていたりすると珍しくてつい見てしまうタイプだ。その雰囲気で、ついじぃっと見つめていてしまった。成宮くんは慣れたように塗って、ふっと息を吹きかけた。

「こんな感じ」
「おおー」
「てことで、はい」
「えっ私がするの」
「なんの為にお手本見せたと思っているのさ」
「えー……失敗しても許してね」
「許さん」
「プレッシャーかけないでよ」

先ほど成宮くんがやっていたように、蓋をあけてトントンとはけを整える。マニキュアにしてはあんまり可愛いパッケージじゃない。スポーツ用なのかな。そもそもスポーツ用ってあるのかな。

「……何か喋ってよ」
「いやあ、糸ヶ丘が真剣だと思って」
「私はいつも真剣だよ」
「俺だってそうじゃん」
「……それよりもさあ」
「無視!?」

ふと、昔成宮くんの言っていたことを思い出す。自分の左腕は大事な大事なものだから、握手を頼まれた時も右手でするんだとか。神谷くんは「何様だよ」と言っていたけれど、徹底していると少しだけ関心したことがある。少しだけね。

「左手、普通に触っているけど」
「? 持たなきゃ塗れないじゃん」
「成宮くんの左手は国宝なんでしょ?」
「糸ヶ丘は例外だから許す」
「それは光栄でございます」
「あ、そこ端までちゃんと塗ってよ」
「うん」

親指、人差し指、中指。順番に塗っていくと、なんだか楽しくなってきた。だんだんと爪も小さくなるので集中してしまう。私に失敗されたくない成宮くんも、黙ってその様子を見守ってくれている。気がする。

「……鳴と糸ヶ丘は何してんの」
「糸ヶ丘が頑張って爪塗っているとこ」
「何させてんの」

席に戻ってきた白河くんが、私たちに声をかける。私はちょっとだけ顔をあげて、あとの会話は成宮くんに託した。あともう一本だ。

「めずらしいね、鳴が他人にやってもらっているの」
「そう?お前ら下手だから頼まないだけだし」
「糸ヶ丘はマニキュア塗るの上手いんだ?」
「ううん、初挑戦」
「……ほら、糸ヶ丘って器用だし」
「……もう何も言わないでおく」

小指の爪って小さいな。自分の爪よりも四角くて平べったいそれを見て、そんなことを考える。成宮くんは大きい手の割に、爪は小さかった。ずっと短くしていると、爪って小さくなっていくらしい。ずっと野球してきたんだろうな。

ようやく端まで塗り終わった。無意識に、成宮くんの真似をして息を吹きかけてしまう。


「っ!?」
「あ、ごめん」
「なななにすんの!バカ!」
「成宮くんのやり方真似していたら、つい息かけちゃった」
「ついじゃないよ!バカ!アホ!えっち!」
「ごめんごめん、最後のはよく分かんないけど」
「ぞっとしたじゃんかー、もーやめてよね」

ぞっとしたまで言われてしまうと、ちょっとショックが大きい。そこまで気持ち悪がられてしまったのか。そりゃあ他人から息吹きかけられたらそう思うかもしれないけど、ぞっとしたって。そこまで言わなくてもいいじゃないか。

でもこんなことで拗ねていたらそれこと成宮くんのことをバカにできないので、マニキュアの蓋を締めて、何でもない風に次の授業の準備を始める。ぞっとしたかー。頭の中で何回も反芻してしまう。


「……ねえ、」

つやつやになった左手で、私の背中をつついてくる。振り返れば成宮くんがへらへら笑ってこちらを見ている。

「結構上手いじゃん、またやってよ」
「……次もふーってしちゃうかも」
「それはやだ!ちゃんと言ってからならいいよ」
「『息吹きかけます』って?」
「うん。そしたらOK出してあげる」
「……じゃあ、例外の糸ヶ丘さんは次も頑張るよ」
「うん、よい心がけだね」

なんでこんなに偉そうなんだとも思ったけど、そう言われるとちょっとだけ気持ちが晴れた。ああ、こうしてみんな成宮くんのわがままに付き合っちゃうんだなって、悔しいけど気付いてしまった。



(鳴さんなんでずっと手見ているんですか)
(糸ヶ丘にやってもらった!爪!)
(誰にもさせないって言っていたのに、糸ヶ丘さんは例外なんですか)
(糸ヶ丘は特別!)

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