契約の紡


本編



光が収まり、ゆっくりと目を開くと、そこにはもう妖たちの姿はなかった。
別に彼等が逃げたという訳ではない。
それは、周囲に立ち込める煙と、焦げて露わになった土と、そこに影のように残っている黒ずんだ何かが物語っていた。
精霊との同化。
それが、人間にどれだけの巨大な力を与えることになるのかということが、今回、よくわかった。
こんな力が、当たり前のように蔓延ってしまえば、世界中大変なことになるだろう。
愁礼のように、本当に大事なものを護るために力を使いたい者たちだけに、それが授かることを願うばかりだ。

「さて。」

そう言って、久々宮は、視線を寿々波に向ける。
立っているだけでやっとの彼は、身体も、手に持つ本体も、もう、ボロボロであった。

「やっと話せるな。寿々波。」

そう言って、久々宮は笑った。


第三十一結 寿々波と久々宮 其の四


「寿々波。お前は、寿々波なのか?」

久々宮はまず、寿々波にそう問いかけた。
彼が寿々波であるということについては変わりないのだろうけれども、久々宮が問いたかったのは、今の彼が、精霊としての寿々波なのか、妖としての寿々波なのか、どちらなのかを聞きたかったのだ。
おずおずと、寿々波はゆっくり口を開く。

「……信じてもらえないかもしれないけれど、今は、妖ではないよ。」
「だろうね。お前から、全く妖気を感じないもの。」
「やっぱり?」

そう言って寿々波は、少し困ったように笑う。

「でもさ、俺が妖気を隠してて、隙を突いて襲うつもりだったかもよ?」
「それが出来るほど、お前は器用なやつじゃないよ。西の村の外れで会った時だって、さっきだって、お前、妖気と殺気を隠しきれてなかったじゃないか。妖力や霊力を感知し慣れてない、燕たちなら騙せるのかもしれないけれど、俺の目は誤魔化せないよ。」
「それもそうだ。」

そう言って、寿々波はまた、笑う。
彼の表情は、笑顔は、まるで憑き物が落ちたかのような、すっきりとした表情をしていた。
妖気が全て、取り除かれたのはもう明白だろう。

「さっきのさっきまで本当に、季風地を壊そうと思ってた。それは事実だよ。でも、あの妖の隊群がやって来たときに、想像したんだ。俺じゃなくて、あいつらが西の地を滅ぼしたらって。そう思ったら、すごく、嫌だと思った。アイツ等に、西の地を穢されたくないって。でも、それと同時に、思った。じゃあ、俺は、自分であの地を壊せれば満足なのか、って。でも、それも、違うと思った。」

淡々と語る寿々波の瞳には、じわりと涙が滲んでいた。
刀の付喪神は、本来、涙を流す者はほとんどいない。
何故なら、自分たちは元来刀であるはずだから。ただの鉄の塊が、魂を降ろされただけで、価値観というのは変わらない。
簡単に心を得る者は、そう、いないのだ。
けれども、寿々波は涙を流す。彼は、持ち主である等々力とずっとそばにいたからか、人間の感情に、とても感化されやすかった。
故に、付喪神の中でも、特に人間に近い心を持っていて、だからこそ、彼は妖になってしまったのだけれど。

「俺、会いたかった。等々力さんに、ずっとずっと、会いたかった。」
「うん。」
「最初は、それだけだった。等々力さんに会いたくて、等々力さんを殺した奴等が許せなくて、でも、どんどん、自分の目的がわからなくなって。」
「うん。」
「気付いたら、戻れないところまで来てて。でも、等々力さんを好きだった俺も、主を求めて彷徨った俺も、季風地を壊そうとした俺も、全部、間違いなく俺なんだ。」
「うん。」

深海のような、藍色の瞳から、ぽろりぽろりと涙が零れた。
先程まで、その瞳には全く光がなく、どこまでもどこまでも沈んでいくような、深い、海の底のような瞳だったのに、気付けばその瞳は、一点の光が灯っていて、その光が、零れる涙が、不思議と、綺麗に思えたのだ。
寿々波は、涙を浮かべて、それでも笑顔のまま、刀を差し出す。
差し出された刀はぼろぼろで、今でも、ピシピシと小さくヒビ割れるような音を立てていて、このまま放っておいても、折れてしまうのであろうことは、明白だった。

「久々宮。きっとお前は、俺を、自分の手で殺そうと思ったんだろう?だから、あの人たちと共に西を出て、今、俺を追って、西へと戻って来たんだろう?」

久々宮が、小さく頷く。
そんな久々宮を見つめる寿々波の瞳は、とても、穏やかなであった。

「俺も、壊されるなら、お前にだと思っていた。頼まれて、くれるか?」

そう言って、破壊を促すように、差し出した彼の本体を、さらに突き出して来る。
久々宮は何も言わずに頷くと、刃こぼれが目立つ己の刀を、そっと、寿々波の刀に添えた。
少し添えるだけで、ピキピキと、ヒビが入る速度が加速する。

「最後に、何か、あるか?」
「……そうだなぁ。色々あるよ。迷惑かけまくったなぁ、とか。無差別にいろんな人殺しちゃったなぁ、とか。俺等々力さんと同じところに逝けるかなぁ、とか。」
「行けるさ。お前がどんなに罪を犯したとしても、あの人は、お前を迎えに来てくれるさ。」
「だと、いいなぁ。」
「……寿々波。」
「久々宮。」

刃に、力を籠める。
ピキ、と、何かが壊れる音がするその瞬間、寿々波は、穏やかに、優しく、涙を零して、微笑んだ。

「ありがとう。」

その言葉と同時に、パキンと、無機質な音を立てて刃が真っ二つに折れた。
同時に、寿々波の姿は消え、真っ二つになった刀が、ゆっくりと地面に落ちる。
久々宮は、寿々波だった、壊れた刀をそっと持ち上げて、静かに、胸に抱いた。

「……寿々波。」

小さく、名前を呼ぶ。
もう、片割れが、答えてくれることはない。
彼は、主の元へ逝けただろうか。そもそも、精霊にもあの世というものはあるのだろうか。
もしもあるというのなら。
彼の罪を全て赦して、心優しい主の元へと、その魂を届けて欲しいと願ってやまない。

「久々宮。」

愁礼の声がして、顔をあげる。
愁礼が、獣のものから人間のそれへ戻した右手を伸ばすと、久々宮の目元を少し乱暴にぬぐった。
目元を拭った愁礼の右手の親指は、少し、湿っていて。

「お前も、そんな顔が出来たんだな。」

自分が泣いているということに、気付いた。

「西はきっと、もう大丈夫だ。……北へ向かおう。もう、寿々波みたいなやつを生み出さないためにも、この戦いを、全部終わらせないと。」

愁礼の言葉に、久々宮は、涙を流しながら、静かに頷いた。

 


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