契約の紡


本編



「氷雨。私たちも急ぎましょう。」
「そうしたいのはやまやまだが、私たちは普通の人間だ。身体能力を向上させられる久々宮や、朱鷺と共に飛べる水流と違って、我々は頑張って走るしかない。」
「大丈夫です。」

燕がそう言って微笑むと、氷雨と燕の身体がふわりと浮かんだ。
突然の浮遊感に戸惑い燕を見つめるが、燕の表情に驚愕や戸惑いは全くない。寧ろ、得意げですらある。

「風の扱いは、あれ以来、だいぶ慣れてきました。短距離の移動くらいであれば、操れます。」
「……流石だな。」

燕は、万物の自然に愛された神子。
自然の声を聞き、自然を味方にさえしてしまえば、精霊との契約を介さずに操ることは造作もない。
理屈ではわかっているけれど、季風地に降り立ったばかりの時、氷雨に守られてばかりだった燕とは別人のような気がして、自分がいなくても、この子は一人で立てるような気がして、ちくりと、寂しさのような痛みを覚える自分がいるのを、氷雨は感じていた。
けれど、今、感傷に浸っている暇はない。

「燕、頼む。」
「任せてください。」

身体がふわりと持ち上がったと思えば、風の流れに乗り、燕と氷雨は、東の地へと向かって飛んでいった。


第三十二結 : 泣き虫鬼と滝の精霊 其の一


東の村へ行くための交通ルートは、空を飛ぶか、橋を渡るかの二択のみ。
通常であれば橋だけを見張っていればいいことではあるのだが、この村へ訪れる恐れのある妖の中には、風を操る鬼がいる。
風を操れば、一時的には、空を飛ぶことも可能だろう。
そうなると、空中の警護も強くしなければならなかった。

「宋芭さん。上の方は、俺の精霊に見張らせてるよ。」
「珊瑚。助かる。」

珊瑚は、風、火、水、雷と、多くの自然属性を持つ精霊を所有していた。
決して威力が強いという訳ではないけれども、多くの精霊と契約している彼は、攻撃の幅も用途の幅も広がるので、とても感謝している。
空は、珊瑚の精霊が警備をして、すぐに察知してくれるから、後は、陸からの訪問を待ち構えるのみだ。
燕と氷雨も、決して移動が速い訳ではないから、まだまだかかるだろう。
妖との戦闘になって、持ちこたえられるかどうかというところは、正直懸念している部分でもあるが、なんとかするしかない。

「宋芭さん。大丈夫ですか?あの日からまだ、日は空いてないし……」

宋芭は、最近まで、山に住まう鬼四兄弟に長期間囚われていた。
栄養失調寸前であったけれども、なんとか、睡眠と食事を摂って回復をしたばかりである。
戦闘はまだ出来るかどうかも怪しいし、そんな状態で、もしあの四兄弟を再び相手にするということになれば、勝ち目があるかどうか、非常に怪しい状態だ。
しかし宋芭は、気にするなといって、首を小さく横に振った。

「私にも、考えがある。奥の手ではあるが……恐らく、使わざるを得ないだろう。」
「奥の手?」
「奥の手は、奥の手だ。今はまだ見せる時じゃないさ。」

そう言って、宋芭はわざとらしく笑って見せる。
普段真面目な彼が、こんな笑みを見せるのは割と珍しいことで、そんな笑顔を見せるのは、きっと、親友である愁礼の影響なのだろう。
その時、ひゅう、と小さな風が吹き、珊瑚が顔をあげた。

「宋芭さん。」

珊瑚が、真剣な声色で呟く。
それが、敵襲が来るということを、意味しているのは宋芭にもすぐわかった。

「何処からだ。」
「下です。」

ごぽごぽごぽという水音と共に、橋の下に流れる川から、水で出来た手が伸びて来た。
宋芭と珊瑚に向けて襲い掛かる手を、二人は素早く交わす。
宋芭は腰に刺した剣を抜くと、伸びて来た水の手を切り裂いた。ばしゃりと水が弾けて、橋を濡らす。

「珊瑚、橋に住み着いた妖の特徴というのは、これではなかったか?」
「まさにそれです。」

ごぽごぽという水音と共に手を伸ばす、橋の下の川を見ながら宋芭が問いかける。
珊瑚は頷きながら、手に持つ三味線を軽やかに鳴らした。
べんべんという音と共に、上空に、小さな雷雲が出来る。

「水の中に隠れてないで、また姿を現してもらおうか!」

小さな雲から、雷が放たれる。
バチバチバチという音と共に、感電した魚がぷかりと川から顔を覗かせ、その電気から逃れるように、川から人影が飛び出した。
飛び出した人影は橋の上に着地し、ゆらりと身体を上げてこちらを睨む。
膝まで伸びた青みがかった白髪を垂らし、力なくゆらゆらと揺れるその姿は、何処か気だるげにも見えた。
背中には大太刀を下げていて、その風貌から、過去には剣を振るう剣客だったのだろうと想像出来る。

「……お前……」

青年の姿をした鬼を見て、宋芭は小さく、言葉を零す。
その様子は、まるで、彼を知っているかのような、そんな反応であった。

「知ってるんすか。あの鬼。」
「……私が村長に就任するよりも、何年も前のことだ。この村の外れには、滝壺があり、そこには、祠があった。孤児であった一人の子どもが、神への供物代わりにと、棄てられた。まだ村の人間に対して発言権を持たぬ私は、何も出来なかったが……」
「まさか、その子どもが?」
「そのまさか。」

青年は背中に下げ得られた大太刀を抜くと、こちらを斬り捨てんばかりの勢いで振り切る。
宋芭も剣を抜くと、その刃を、己の剣で受け止めた。
細い腕。中性的な容姿。そんな外見の青年とは思えない程、大太刀を振るその力は大きいもので、やはり彼は鬼子なのだと、痛感させられる。
震える腕で大太刀を振らせまいとする宋芭は、足に力を入れ、踏み込みながら、青年に吼えた。

「何故、お前は鬼になった。そんなにも、そんなにも村が憎かったか。」

宋芭の叫び声に、青年は、ぴくりと反応し刀を振る力を緩める。
その隙に宋芭は力いっぱい剣を振り返した。大太刀を握ったまま、青年の身体が僅かに浮かび、バランスを崩す。
今だと言わんばかりに、青年の死角、宋芭の後ろから飛び出した珊瑚が、腰に下げていた刀を突き出した。
もう少しで額が貫かれるその寸前、青年の前に、水の手が伸びて来て刀の攻撃を防ぐ。
水がはじけ飛び、雫が、雨のように周囲に降り注ぐ。
身体を水で濡らした青年は、愁いのある瞳で、宋芭たちを見つめていた。
水に濡れて気付きにくくなっているが、よく見れば、彼の瞳から、弾け散った水とはまた別の水が、涙が、流れ出ている。

「村に棄てられたことに、恨みはない。寧ろ、感謝をしている。僕を、あの人に会わせてくれたことに。」

でも、と、少年は言葉を続ける。

「僕は、許せない。身勝手に自然を破壊した人間たちを。お前たちの身勝手のせいで、あの滝は、枯れてしまった。あの人は、死んでしまった。あの人は僕の全てだったのに。僕の世界だったのに、お前たちが、奪ったんだ!」

青年は、悲痛な声で、泣き叫ぶ。
そして、こちらへ向けて、長く伸びた、鋭い刃を突き出す。

「お前たち人間を、許さない。僕から掛気さんを奪ったお前たちを、僕は、絶対に、許さない。」

そう言って、彼はまた、その瞳から、涙を流した。

 


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