契約の紡


本編



パチパチパチと、焚火の音が静かに響く。
天から降り注ぐ月の灯りと、焚火の炎以外には、一点の灯りもない。
周囲はシンと静まり返っていて、風の音を、しっかりとこの耳に聞くことが出来る程だ。

「水流。」

久々宮の声に、振り向く。
どうだったかと水流が問えば、久々宮は、申し訳なさそうに首を横に振った。

「見つからない。」
「……そう。」

水流はか細い声でそう呟くと、焚火の炎を静かに眺める。
鬼風は、あの後すぐに、姿を消した。
まるで自分たちをからかうかのように、ちょっとした悪戯が出来て満足だとでも言いたげに、子どものような笑顔を浮かべながら、姿を消したのだ。
崖から落ちた燕と氷雨は、未だに見つかっていない。

「……朝になるのを待とう。これ以上は、無暗に散策するのも危険だ。」

朱鷺の言葉を聞きながら、水流は身体を縮めこませる。
胸の中には、不安と、後悔と、戸惑いと、様々な感情がぐるぐるぐるぐると、渦巻いていく。

「……二人は、屋敷において来た方がよかったのかしら。」

ポツリと、独り言のように呟く。
数日間、一緒に居て、忘れそうになっていた。
否、既に、忘れていたのかもしれない。
燕が神子で、神の子で、世界の象徴で、亡くしてはいけない大切な存在であることを、水流は、忘れていた。
季風地のことを想ってくれる、あの森で出会った友人の一人として、接してしまっていたのだ。
だからこそ、友として燕の安全を気遣うことはあっても、神子として、安全を完全に確保するという、その考えは完全に失念していて。

「悔いたところで、仕方ない。」

そんな水流を引きもどしたのは、朱鷺の言葉だった。

「あの二人は、しぶとい。あの程度で、二人が死ぬ訳がないだろう。」

朱鷺はそう言って、水流の頭を、ぽんぽんと優しく撫でた。
この程度のことで、慰められるとは朱鷺も到底、思っていない。
いくらそう信じたところで、二人は生身の人間で、不安に想う気持ちもわかるけれど、しかし、朱鷺が放ったこの言葉は決してただの慰めなどではなく、本当に、そんな気がしてならなかったのだ。
気配がおぼろげで、月明かりしか頼れないこの夜の世界では中々見つけることが出来ないけれど。
それでも、朱鷺は、感じていた。
つい最近まで傍に在った、小さな命の灯を。


第十八結 : 落ちた先


全身に、ジンジンと響くような痛みを覚えながら、燕はゆっくりと目を覚ました。
辺りは一面真っ暗で、それが時間帯故なのか、場所故なのか、判別がつかない。
床に触れた手から、ひんやりとした冷たい岩の感触が伝わる。
自分は一体どうしたのだろう。確か、山を登っている途中で、落ちたような、そこまで記憶を巡らせると、燕は、落ちるその直前に自分の手を握ってくれた人物のことをようやく思い出せた。

「……氷雨……!」

燕は、きょろきょろと周囲を見回す。
危険を顧みず手を伸ばしてくれた、大切な兄弟の姿は、思いのほか近くにあった。
気を失っているのか、まだ目を覚ましてはいない。けれど、規則正しい呼吸音が、彼の無事を静かに告げていた。

「……よかった。」

燕はほっと、胸を撫で下ろす。
大分、暗闇に目が慣れて来てわかったが、どうやら此処は洞窟の中らしい。
立ち上がり、洞窟の入り口から顔を覗かせると、外はすっかり夜になっていた。
月明かりだけがぼんやりと夜の空を照らしていて、木々もないこの山の中では何の音も聞こえない。
今外に出るのは、危険だろう。
水流を探すにしても、夜が明けるのを静かに待つしかない。
しかし、そこで燕はふと疑問に思う。
燕と氷雨は、山から落ちた。しかも、決して低い場所からではない。草のクッションもない、鋭い岩肌で構成されたこの山で、落ちれば大怪我は間違いないし、死んでも致し方ないと思える状況だ。
目が慣れて来たとはいえ、視界の悪いこの状況でも、身体に軽く触れれば、打ち身や擦り傷はいくつかありそうだが、骨の折れている様子はないし、岩肌で怪我をして血を流しているなんて様子もない。
氷雨だって、あの様子からすれば、ほぼ無傷と思っていいだろう。
風に巻き込まれながら落ちたから、運よく怪我をしなかったのか。
否、それにしても、こんな洞窟の中にいるのはおかしい。
では、誰かが助けてくれたのか?
次々浮かんでくる疑問に燕が頭痛を覚えていると、人がこちらへ近付く、足音のようなものが聞こえて来た。
燕は、静かに身構える。

「……目が覚めたようだな。」

足音の持ち主は、男であった。
月明かりに照らされた男の顔が、くっきりと見える。
紫がかった黒髪は背中まで伸びていて、透き通るような紫色の瞳は、まるで、紫水晶を連想させるものであった。
背も高く、体躯もがっしりとしている成人男性のそれであるが、それとは裏腹に日に当たっていない真っ白な肌が、やけに目立つ。

「……貴方が……?」
「……落ちて来るお前達を見つけたから、保護をさせてもらった。目の前で死なれても、後味が悪いのでね。」

男は、淡々と、静かに答える。
低い声は洞窟の中に心地よく響いて、彼の瞳も、声も、そして身に纏っているその気配も、一つ一つが、人を惹きつけるような、そんな不思議な何かを秘めているようであった。
不思議な男に、燕は尋ねる。

「私は、燕と申します。……貴方は?」
「……楠(クスノキ)。」

楠と名乗った男は、手に抱えていた何かを、燕へと渡す。
それは、木の実や薬草であった。

「擦り傷とはいえ、薬草は塗っておいた方が良い。使い方は、わかるか?」
「えっと、氷雨に聞けば……」
「成程、あの男か。あの男も、大事ない。すぐに目覚めるだろう。目が覚めたら聞いてみるといい。木の実は飢えた時にでも食べろ。信じてもらえるかはわからないが、毒はないから、安心してほしい。」
「信じますよ。」

燕がそう言って柔らかく微笑むと、楠は、目を少し丸くしてから、何故か、納得したように静かに笑った。
彼は、不思議な男だ。
人が寄り付かないはずのこの山にいるという点で既に不思議ではあるけれど、何かが違う。

「貴方は、何故此処に?何故、私たちを助けてくださったのですか?」
「……そうだな。理由は三つある。一つは、先程も言ったように、目の前で人に死なれるのは後味が悪かったから。もう一つは、お前が私の古い友人によく似ていたから。そして最後の一つが、罪滅ぼしだ。」
「罪滅ぼし?」

燕は首を傾げる。
罪滅ぼしとは、一体何なのだろうか。
彼は一体、何か悪いことをしてしまったのだろうか。
悪いことをしたのであれば、それはどんなことなのだろうか。
果たして彼は、敵なのだろうか。それとも、味方なのだろうか。
楠は、口元に小さく笑みを浮かべながら、燕の心を見透かすように、口を開く。

「私は、お前の敵ではない。しかし、申し訳ないが、味方でもない。」

敵ではない。けれど、味方でもない。
どういうことだろうかと楠を見つめていると、少なくとも危害は加えないということだよ、と、彼は笑った。
楠は、洞窟の壁に身体を預け、ゆっくりと座る。
敵意が全く感じられない彼の様子から、燕もまた、ゆっくりと冷たい岩肌に身体を預けて座り込んだ。

「……そこの男が起きるまで、お前も安心して眠ることは出来ないだろう。否、他の仲間と合流するまで、かな。少し、この寂しい男の話し相手になってくれないかな。」
「話、と、いいますと……?」
「間違いだらけだった、誰も救えなかった愚かな男の話だよ。」

そう言って、楠は、少し寂しそうに笑ったのだった。

 


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