華金


華金。
多くの人々が仕事終わりに酒を飲み、一週間の疲れを癒したりしているなか、俺は残業をしていた。
提案書を作り書類を整理する21時頃、キーボードの横に置いていた携帯が光る。久しぶりにみる名前に少し心が弾み、何の迷いも無く応答ボタンを押す。

「久しぶり」
「精市、今日泊めて!!」

栞は何故か怒っているような、泣いているような声だった。唐突な要求に驚きながらも冷めたコーヒーに口をつけ、泊めてほしい理由を聞くと「弦一郎が酷いの!」や「むかつく」と、早口で夫である真田の事を並べた。どうやら怒りの矛先は、真田にあるらしい。

「ちょ、ちょっと待って栞。いくらなんでも急すぎない?」
「えー。もうだって精市の家の前だよ」

あまりにも早い行動にため息が出る。会社から家まで早くて30分程度。中途半端な残業がないか急いで確認し、栞には近くのカフェで待っているよう伝えた。
幼馴染みであり親友ともいえる真田の妻が、栞。この二人が結婚したのは半年ほど前。いつから栞と仲良くし始めたのかは覚えていないが、気がつけば好意を抱いていた。だから、さっきの電話で「泊めてほしい」と言われた時、一週間の疲れが飛ぶほど悦びに溢れ舞い上がった。

「お待たせ」

カフェに着くと栞はカフェモカを飲んでいた。テーブルの横には小さめのスーツケースが1つ。左手薬指の指輪は無かった。

「真田、心配してるんじゃないかな。指輪まで外してさ」
「いいの・・・。本当、私って何で結婚したんだろう」

自分の人生を後悔するような表情とその言葉に、心の中で嬉しく微笑む自分がいた。何故俺のところに泊まろうとしているのか聞くと、周りの女友達は結婚したり子供がいたりと、この時間に都合がつく友達がいなかったと答える。

「もう直ぐお店しまちゃうから、とりあえず家で話そう。泊まるかどうかはその後ね」

是非うちへ泊まってほしいところだが、既婚者にそんな事を言うほど愚かではない。店を出て近くのコンビニに寄り、小さなケーキを買った。
マンションの一室へ入ると日課であるアロマを焚き、栞が座るテーブルの前にケーキと紅茶を差し出す。

「ありがとう」
「ううん、少しは気持ちも解れるかと思って」
「やっぱり精市は気が効くと言うか、優しいよね」
「そうかな?それで、何があったの?今までこんな事なかったじゃないか」

真田家に入ってから、好きなお洒落があまりできなくなり、自分が自分でないみたいだと言う。以前と比べて今日の栞は、髪色も爪も化粧も落ち着いている。
前から特別派手だった訳ではなく、髪や目元にアクセントになる色を入れていたりと、さりげないオシャレを楽しみ好んでいた。
主張し過ぎない程度の印象を受けていたが、真田家にとっては派手だと捉えられ、妻として謹むようにと言われたそう。

「弦一郎と結婚するって事は、礼儀作法とかお稽古事が増えることは分かっていたし、覚悟はしてたよ。だけど、弦一郎もあの服はダメとか、食器の色がダメとか・・・。私だって好きなこともあるし一生懸命なのに、あんまりだよ」
「自分自身の好みやらしさを否定されると、嫌になるよね。俺も昔、花が好きだという事を同級生から否定されたりして辛かった。花は女性のものだなんて、誰が決めたんだろうって」
「そうなんだよね。そう言いたいんだけど、なかなか言えなくてさ」

そう言った後、ケーキを小さくすくい口に入れ、紅茶を一口飲むと溜息をついた。
結婚を機に同棲をし始めた2人は、少しずつ生活や価値観のズレに気がつき始めていた。一緒に暮らし始めて分かることは沢山ある。俺も含めて友人達は結婚前の同棲を勧めたが、両家ともなかなか了承を得ることができなかったらしい。兄がいるが、一人娘で大切に育てられていたからこそ、同棲を許さなかったのかもしれない。

「お酒飲みたい」
「いいの?怒られても知らないよ」
「今日は飲む!!」

普段からあまりお酒を口にしない事を知っていた。普段の生活で嗜む事もできないストレスも、若干あるのだろう。
席を立ち冷蔵庫を開けると、残念ながら女性が好むような可愛らしいカクテルは無い。ウィスキーのボトルしかないと告げると、それでも良いと言う。ロックアイスをグラスへ出し、そこにウィスキーを注いだ。
ふとテーブルの方へ目を向けると、時々時間を気にしている様子だった。時刻はもうすぐ23時になろうしている。これまで夜遊びも外泊も禁じられていた栞にとって、この時間は新鮮で不安なものなのだろう。

「帰る?」
「帰らない」

まだ怒っている様子の姿がまた可愛らしかった。グラスを渡し「お疲れ様」という2人は、まるで恋人同士のようで永遠に続いてほしいものだと思ってしまう。
一頻り真田の愚痴を言ってスッキリし始めた頃、少し酔いが回ってきたのか目が虚ろになっていた。最近のお稽古や趣味、佐助くんとの会話を楽しそうに話してくれた。


「精市は彼女居ないの?」
「はは、暫く居ないね。なんでまた急に」


慣れないウィスキーに酔っているからなのか、ついた溜息がどこか色っぽく感じた。質問に答える気配はなく、カラカラとグラスを回し口をつける。
グラスの縁を何度もなぞりながら、さっきまで合っていた目を逸らしてようやく口を開いた。

「精市に彼女が居たら、その人は凄く幸せなんだろうなーって思っただけ」
栞はそう言って、口の先を少し尖らせていた。




ここ数年、知らないふりをしていた気持ちに拍車がかかる。
俺なら栞の好きな事も許すし、むしろ個性があってとても尊重できる。栞のお気に入りの好きな花や植物を沢山植えるし、洋菓子派の栞が作った製菓を、俺が淹れたハーブティで楽しめる。
楽しい話も愚痴も聞くし、家事はできる方がやれば良い。
どう考えたって俺の方が合ってると思うと、胸の奥がキューっと苦しくなった。

「出会う順番、間違えちゃったかな」

少し笑いながら冗談のように言ったが、俺には冗談のように聞こえなかった。それに、栞は目に涙を浮かべている。
これは何を意味しているのか、知りたいけど知らない方が良い事もある。そんな変な気持ちがグルグルと頭の中を周り、必死で理性を保とうとしていた。

「だってさぁ・・・」

尻窄みになる声の先には何があるのだろう。そして、誰と出会う順番を間違えたのだろうか。好意を持っているだけで、どうしても自分の都合の良い方向へ考えてしまう。該当するのは消して自分だけじゃない。
口に出せない問いかけをしているうちに席を立ち、その小さな身体を抱きしめてしまった。
アルコールが回ってきたせいか、感情のせいか、心臓は煩く脈を打つ。

「ごめん。栞の言葉の先に何があるか、俺は知りたい。だけど、知ってしまえば元には戻れなくなりそうな予感がするんだ・・・」

これ以上話さないで欲しい意味と、自分の欲が混ざった行動は、自身でもズルイんだと思った。案の定栞は驚いた様子で、大きく静かに深呼吸をしたが、さっきまで溢れそうな涙がポタポタと流れていた。



ー♪



エントランスからのインターホンが鳴り、お互いの身体がビクッとし離れる。
我に帰り時計を見ると0時を過ぎていた。こんな夜中に誰かと思っていると、次は携帯が鳴った。テーブルの上で震える携帯には、また久しぶりに見る名前。

「もしもし、蓮二?こんな時間にどうしたの」
「すまない。今家に居るか?」
「うん。もしかして、今鳴らした?」
「あぁ。ちょっと上がらせてくれないか?」

動揺していたせいか、栞が居るにも関わらず蓮二が家に入る事を許してしまう。落ち着き始めた鼓動が、大きく鳴り始めた。
栞は黙って涙を拭き、テーブルの上の食べかけたケーキを眺めている。栞を見つけ、真田に連絡を入れられるのも時間の問題。
焦っていたのも束の間。エントランスを通り、玄関の扉を指で叩く音がする。
ロックを2つ解除して扉を開けると、蓮二ともう一人の姿があった。


「真田」


何処か焦燥しきったような姿で、髪も乱れている。蓮二より後ろに居たが、掻き分けるように玄関へ入り小さな女性の靴を見つける。

「幸村、夜分遅くにすまない。お邪魔する」

焦った様子で挨拶もそこそこにして、靴を急いで脱ぐと栞が居るリビングへ早々と足を運んでいた。
ここに来るまで真田を落ち着かせていたのか、急ぐ真田の姿に蓮二は少し焦ったような顔をしたが、止める手をしまい、俺の後にリビングへ続く。

「すまなかった。栞の事を理解しようともせず、家柄というもので縛りつけていた事で窮屈な思いをさせていた」

真田は跪き栞に頭を下げていた。
他人の家で妻に謝るという行動が、いかに真田が必死か伝わる。直ぐに連れ出し、家に戻ってから謝ることもできるのにそうしないのは、その意思の証人を俺と蓮二にする事で栞に理解して貰う事なんだろう。
衝動的に家を出た事もあり、栞は髪や服が乱れた真田を見て泣いていた。その涙は、自分の為に必死で探してくれていた事なのか、後悔なのか、また知りたくなった。



* * *



「こんな夜中にすまなかった」
「気にしなくて良いよ。こういう時もあるさ」

栞が帰る支度をしている最中、ホッとした様子で話しかけてきた。こんな夜中に俺の家に居て良かっただとか、栞が居ないと何もできなかったとか。
どうやら俺を信用しきっている。きっと、栞を抱き締めた事を知ったら、怒りに満ち、平手打ちをされ、友達として距離を置かれるのだろうか。
そんな事を考えている間に、name1#と真田は呼んでいたタクシーに乗って帰っていった。

「蓮二は車だよね?駐車場まで送るよ。真田を乗せて来たの?」
「あぁ、仕事終わりにいきなり電話がかかってきてな。かなり焦っていた」
「家を出られるなんて思ってもなかったんだろうね。真田、恋愛経験少ないし」

2人とも安心してクスクスと笑っていた。
緊張が解れるとまた酔ったような感覚が戻ってくる。蓮二は顔の赤らみから察してくれて、近くの自販機で飲み物を買う事を提案してくれた。
丁度座れそうな場所に腰を下ろし、冷えた水を口にする。偶に連絡を取り合うものの、会うのは真田の結婚式以来だった。

「精市、聞いても良いか?」
「何?仕事の話?」
「違う。彼女の事だ」

蓮二が指す「彼女」が誰を指すか直ぐに浮かぶが、面倒な話をしたくないが為にはぐらかした。しかし、そんな話が通用する事のない相手。「分かっているだろう」と、溜息混じりに言う。

「抱きしめたのか?」
「顔に出てた?」
「そうではない。もう乾いているが、俺が来たときに精市が来ていたシャツに濡れた跡があった。手を洗って濡れたような感じではなかったから、なんとなくだ。らしくないな」

自分自身でもそう思う。
どんな感情を持ったとしても、なるべく誰にも迷惑をかけないで生きてきた。好意を持っていたとしても、今日までわざと会わないようにしていた。
だけど、そんなの自分からそうしていただけで、新婚で幸せそうにしている栞から連絡を貰うなんて、少しも考えていなかった。
今日一日。たった数時間で、数年の距離が縮まった感じがする。お互い明確な事を口には出さなかったけど、栞の言葉や表情、仕草が全てを物語っていたと思う。押し殺してしまえば感情は溢れ、2人の離婚を期待している自分が何処かに居る。

「精市。期待するのはやめておいた方が良い」
「俺だってそれくらい分かっているよ」
「分かってないから言ってるんだ」

蓮二にしては、食い気味で強めな注意だった。友人として気にかけてくれるのはありがたいが、気にかけたところで気持ちは揺るがない。それくらい、栞への想いは大きかった。

「手遅れを承知で話す。もし彼女が精市へ好意を持っていたとして、それを弦一郎が認めるとしよう。そうなっても、決して2人が別れる事はない。何故か分かるか?」
「酔っ払いにクイズなんてやめろよ」
「家柄だ。昔、真田に聞いた話なんだが」


栞の家は医療関係で、病院の経営から地方の小さな診療所への出張も行なっている。そして栞の父は院長を務めながら、真田の祖父の主治医でもあった。古くから付き合いがあるらしく、幼い頃から真田家を出入りしていた栞を、自分の孫のように可愛がってくれていた。
真田の祖父は現場からは既に離れているが、警察とは別のある組織の医療現場拡大促進のプロジェクトに入っている。公にはできないが、その委託先を栞の父が担当にしている事で、機関から栞の家へ多額の金が流れ込んでいるらしい。


「今後、両家にとってより利益になる事が予想されている。まぁ、古くからの付き合いをより強める為・・と言ったところだろうな。もう随分前からそういう話しだったらしい」


真田と栞の家が、そんな風に繋がっている事を初めて知った。真田からそんな話一切聞いた事もなかった。
正直に言って話を聞いている途中、そんな事は関係ない。古くからの付き合いなんて、どうでも良いと思った。
だけど離婚をすれば、何代にも築いてきた両家の関係に傷が付いてしまう。同時にその全ての責任を栞は負うことになるかもしれない。
会社員として働く自分と比べると、実感ができないほど事が大きかった。


「どういう形にしろ、もう誰かが傷付く」


栞の事は忘れろ、と言われているようだった。


「2人とも遅過ぎたな・・・」
「2人とも?」


少し考えてから、持っていたペットボトルを握り締める。
蓮二は昔から知っていたんだ。
真田から紹介された日から、俺がずっと好意を抱いていた事も、結婚の報告を聞いた後、わざと栞と距離をとりはじめた事。
昔も今も変わらず、2人は合わない。いつか別れると信じて待っていた事。


そして、栞は俺に好意を持っていた事を。




end.

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