真昼の月
その日の晩、龍宝は眠ることもせずにひたすらベッドの中で鳴戸を恋しがり、泣き続けた。ふと気づくとどうやらいつの間にか泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。手を伸ばして時刻を確認すると、時計は昼頃を指しており気怠い身体を起こしてバスルームへと向かう。
身体も顔も、どこもかしこも鳴戸が残した痕が色濃く残り消耗させられる。投げ捨てられたという気持ちが強く心にあり、たったそれだけでもまだ涙が滲み出てくる。
ここまで龍宝にダメージを与えられるのも鳴戸だけだ。そして、同時に幸せにできるのも鳴戸ただ一人。
浴室へ入り、熱いシャワーを頭から思い切り浴びる。涙でごわごわになった顔に熱い湯が気持ちイイ。泣き過ぎたからなのか、それとも酔い過ぎたのか初めて男に抱かれた緊張からか些か頭痛がする。こんなことも珍しい。
シャンプーを手に取り、泡立てて髪に滑らす。しかし、身体が重たい。こういう風に感じることもあまりないことで、やはり昨日の出来事が尾を引いているのだろうと思う。
当たり前だろう。ずっと想って尊敬していた人物に抱かれたと思ったらいきなり捨てられたのだから。ショックを受けるのもそれは仕方のないことだし、当然のことだ。
身体をきれいさっぱり洗い、暫く熱い湯をかぶり続け身体が火照る頃、漸く浴室から出る気になり、バスタオルを手にすると床に散らばっているのは昨日脱ぎ捨てたスーツやカッターシャツで、そこにはなんの名残りもなく、鳴戸がいた形跡すら残ってはいなかった。そのことが余計、虚しさを加速させる。
食欲はなかったが、健康のためと身体づくりのために飲んでいる牛乳を一杯、電子レンジで温めてゆっくりと腹に通す。
いつも通りの牛乳だが、何故だかやたらと沁みる。朝がやって来たのだ。鳴戸のいない、淋しい朝が、やってきた。
鳴戸が泊まっていく時の朝はいつも牛乳から始まる。そのルーティンは同じだったらしく、カフェオレを作って出すと喜んで飲んでくれたものだ。
それから二人で朝食を摂りに外へと繰り出すのが常だったが、もう今後、そんなことは無いだろう。これからは、ずっと独りきりでこうして温めた牛乳を飲み続けるのだ。
じっと手の中のマグを見つめているといつの間にか冷めてしまい、無機質に白い液体が僅かに揺れている。
仕方なくもう一度温め直し、椅子に座ると思い出すのは鳴戸の笑顔だった。朝起きてすぐに鳴戸の顔が見られることが嬉しくて、泊まっていくと言われると思い出すのは牛乳の在庫で、いつからか牛乳だけは多めに買っておく癖がついてしまった。
鳴戸用にしていたマグの出番も、もう無い。主を失ったマグも、きっと棚の中で眠り続けることだろう。
牛乳を飲み終わると、整容に入りスーツを身に着けて部屋を出る。気が重いが、行かないわけにもいかない。
今日行かなければ、もうずっと行けない気がしているのだ。このままずるずると、鳴戸から遠ざかってしまいそうで、それだけはいやだという想いだけで車に乗り込み組事務所を目指す。
いつもの道を走り、鳴戸組の看板が目立つ事務所へと到着し車から出たところで、足が震えていることに気づいた。ついでに、手も細かく震えている。
なにが怖いのだろうか。別れなら、昨日強引に済ませているはずだ。それなのに、一体なにが怖いのか。
混乱する頭を抱え、事務所の玄関扉を開けると早速、挨拶の応酬が始まりそれに答えていると鳴戸の姿が無いことに気づいた。
「親分は? 未だ来てないのか」
「もうすぐ来る頃だと思いますが」
ホッと吐息をつく。一体、なにに安堵したのか分からないが、身体の力が一気に抜けたところで勢いよく事務所の扉が開き、そこから顔を出したのは鳴戸だった。
あの後また飲んだのか、少し顔がむくんでいる。
「おはようございます、親分」
「おーう、龍宝か。おはようさん」
ぽんっと肩に手を置かれ、柔らかい笑顔を浮かべ、そのまま何事も無かったかのように平然とした様子で悠々と二階へ上がっていってしまう鳴戸の後ろ姿を見て、悟った。
本気で昨晩のことは無かったことにするつもりなのだ。逆に変に意識されて避けられても困るが、こうもあっさりとかわされてしまうとそれはそれで悲しい。
何かアクションは無いのだろうか。あそこまで平然とされると逆に怒りすら湧いてくる。どういうつもりで抱いたのか、問いただしたくなってくるそんな欲求が頭を擡げてくる。
龍宝も靴を脱ぎ、階段を一段一段、踏みしめるようにして上がり広間に顔を出すと鳴戸は仰向けに寝転がっており、頭の後ろで手を組み、おまけに足も組んでいてリラックスしているようだ。
龍宝はそんな鳴戸のすぐ傍に正座して座り、じっと真正面にある顔を見る。
すると鳴戸も同じく見つめてきて見つめ合いになり、その静かな瞳を見ているうちにぶわっと気持ちが高まってくる。
やはり、好きだと思う。
眉間の傷も、髪型も顔つきも身体もその身体の中心で息づくモノも長い足も、何もかもが好きだ。けれど、もうこれ以上近寄ることは許されない。
しかし、そんな禁忌を破る真似を、龍宝はしてしまった。