愛の終わりに見る景色

 龍宝の自宅マンションは背が高く、自室も結構な階段を上らなければならない。因みに、エレベーターはついていない。
 かつかつと高い音で革靴を鳴らしながら二人で七階を目指す。その間にも雪と風はさらに強まり、まるで身体に叩きつけられているようだ。
 白い息を吐きながら七階まで行き着き、慌てて部屋の鍵を開けて中へと入ると鳴戸も追って入ってきて、いつもそこで抱擁と相成るのだが何故か、今夜に限って鳴戸が抱きついてくる気配がない。
 不思議に思い、つい聞いてしまう。
「おやぶん……? あの、今日は抱きしめてくれないんですか?」
「んー……まあな」
 そう言って、部屋主の龍宝の許しも得ず、さっさと靴を脱いで部屋へと上がり込んでしまう。慌ててその後を追い、広い背中に抱きつくが鳴戸からはなにも反応はなく、何故だか足の芯から冷えてゆくような感覚がして思わず離れると、するっと目の前でトレンチコートを脱いだ鳴戸はそのまま部屋の奥へと行ってしまう。
 訳が分からない。何か、気に障ることでもしただろうか。
 じんわりと額に脂汗が浮き出てくる。
 部屋の中は寝室の豆電がついているだけで、光源がそれだけしかないので薄ぼんやりと暗い部屋の中、鳴戸は龍宝の方を向いてそのままベッドに座った。
「来いよ、龍宝。こっち来い」
 だが、龍宝は何故か動けずにいた。本能が告げている。今そちらに行っては危険だと、龍宝の中の誰かが何かを言っている。
「あ、あ、あ……あの、寒いんで俺、ホットウイスキー作ってきます。だから親分は……そのまま、そこに」
 慌ててコートを脱ぎ、椅子に引っ掛けてキッチンの照明をオンにして冷蔵庫からウイスキーのボトルを取り出す。
 妙な夜だ。途中までは、確かにいつもと変わりなかったはず。それが、いつ捩じれてしまったのか。訳が分からないまま、ホットウイスキーの支度に取り掛かる。
 まずは湯を沸かすところから始まり、熱い湯を耐熱のグラス二つに注ぎ入れあらかじめ温めておき、ウイスキーを注ぎ入れウイスキーの倍量辺りの湯を注ぎ入れてマドラーで掻き混ぜてできあがりだ。
 両手にグラスを持ち、寝室へ向かうとやはり照明は暗いままで鳴戸の眼だけ光っているようにも見える。
「ホットウイスキー、お待たせしました」
「おお、悪いな。よかったのに、わざわざ。今からセックス、すんだろ?」
 その言葉に、グラスを持った手が震える。
「さ、さあ……」
 鳴戸から少しだけ離れて座り、暗がりの中ホットウイスキーを傾ける。温かなそれは、胃の腑まで温め、ほうっと思わず息を吐いてしまう。
 ふと、手元を見ると投げ出された鳴戸の片手が見え、何とかこの硬い空気を解したく思い、指先でちょんっちょんっと鳴戸の手を突くと、間髪入れず恋人繋ぎでぎゅっときつく手が握られる。
「あ、あの、親分? 俺、おやぶんのこと……ちゃんと好きですよ?」
 だが、その言葉に返事は無くただ鳴戸は暗がりの中で緩く笑うだけだ。一体、この笑みは何の意味を籠めての笑みなのか。
 暫く二人でホットウイスキーを傾け、冷えた部屋がさらに冷たく感じる頃に漸く、鳴戸がぽつりとこんなことを言った。
「キスしてえと思うのも、抱きてえと思うのも笑顔が見たいと思うのも、泣き顔も喘ぎ声も全部含めて、お前が好きって思ってたけど……それって、違うんかな」
「え……」
 ことんと、床に空になったグラスを置いた鳴戸が改めて向き直るのに、龍宝もグラスを置くとそっと優しい仕草で両頬を手で包み込まれ、親指ですりすりと撫でられる。
「こういうことすると、お前の表情が解けてきて、蕩けた顔見て……すっげえキレーだって思う気持ちも、その先へ行きてえって気持ちも全部、勘違いなんかな。抱いた時の満足感も、キスした時の幸せだって思う気持ちも全部、贋物だったんかな」
「おや、ぶん……?」
 思わず、こくんとのどを鳴らしてしまう。
「全部、手に入れたと思ったのになあ……。俺はお前のなにも、分かっちゃいねえんだなってなんか、思った。俺が好きなお前って、こんなだったのかな。だとしたら、俺は何も見えちゃいなかったってことになる。……龍宝、お前……独りになっても、平気か」
「なにを……なに言ってるんです親分……! 訳の分からないことばかり言って、独りで納得して、意味が分かりませんよ! 独りって……別れる、つもりですか俺と」
「……そうだ。お前と、別れるつもりでいる」
 言葉がなにも出て来ない。言われた言葉があまりに衝撃的過ぎて、頭すら回らない。
 別れる、鳴戸と。
 あの楽しかった時間も、抱き合った時間もキスを交わした時間もすべて、無かったことになってしまう。そして、今後も永遠にそんな時間はやって来ない。
「あ、あの、あの俺、おれっ……えと、親分の、しゃぶります。しましょう、セックス。したいんですよね?」
 焦って出てきた言葉がこれとは自分でも呆れてしまう。だが、それしか最早方法が無いと思ったのだ。身体しか、繋ぎ止めるものが無いとは淋しいが、今の龍宝に思いつくのは残念ながらこれしかなかった。
 震える手を叱咤し、鳴戸のベルトに手をかけるが優しく制されてしまい、思わず鳴戸を見ると首を二度、横に振り、わしわしと龍宝の頭を撫でたその手は、トレンチコートを掴みそのまま鳴戸は立ち上がってしまう。
「楽しかったぜ、龍宝。今までありがとな。……んじゃ、俺は行くわ。帰る」
 足音が遠ざかり、玄関扉がゆっくりと開きそしてばたんと音を立てて閉じられた。
 部屋の中が、静まり返る。龍宝は暫くの間、その場から動くことができなかった。
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