練習フライング!

※『Hekiraku』らなさんへ捧げもの。
※マリーちゃん(お相手:ラギー)が出てきます。





 それは、リリスがスムージーの材料を採るために学園裏の森へと立ち入ったときのことだった。新鮮な林檎をいくつか採ったリリスが来た道を引き返そうとしたとき、男子校であるこの学園では聞き慣れない声が聞こえてきて思わず足を止めてしまった。その声は少女のものだったのだ。
 一体誰の声なのだろう。好奇心が勝り、リリスは声がする方へと足を進めた。近づくに連れてわかったことだが、声は少女のものともう一つ、少年のものも混じっていた。

「……貴方たち、こんなところで何をやっているの?」

 リリスはきょとんとして目を丸くした。学園裏の森の少し開けた場所にいたのは、サバナクローのラギー・ブッチと、たびたびこの学園に忍び込んでいるマリー・ダンバースという少女だった。しかも、マリーはなぜか箒に跨っており、その額には薄っすらと汗が滲み、肩で息をしているようだ。

「リリスさんじゃないッスか。あ。その林檎、もしかしてお使いッスかね」
「まあ、そんなところね。ふたりはこんなところで何をしていたの?」
「私がラギーに箒で空を飛ぶ方法を教わっていたんです。ここなら人目につきにくいからって」
「いやいや、飛ぶなんてまだまだ先の話ッスよ。ようやくこれくらい浮けるようになったところでしょ?」
「そ、そんなに低くないわ!30cmは浮いたんだから!」

 これくらい、と言って、ラギーは右手の人差指と親指を5cmほど離してみせた。それに対して、マリーはもっと浮いたとふくれっ面をしている。
 十代の少年と少女らしいじゃれ合いが微笑ましい、とリリスは思った。しかし、それと同時に、珍しいとも思ってしまった。

「ラギーくん」
「何ッスか?」
「貴方、マリーちゃんからいくら巻き上げようとしているのよ」

 「今度こそ」と、マリーは意気込みを見せて目を閉じ、集中し始めた。そんな彼女から離れたラギーを捕まえると、リリスは訝しげに訊ねた。

「何の話ッスか?」
「だって、貴方がタダで飛行術を教えるわけないでしょう?」

 ラギーがレオナに仕えている一番の理由は報酬がもらえるからであり、休日にはバイトの予定をぎっしり詰め込む。それほど彼の懐事情はシビアなのだ。たびたびラギーが校内でバイトをしている姿を目撃していたリリスは、それをよく知っている。
 今回も、何の見返りもなしにラギーがマリーに飛行術を教えているはずがない。そう思って言及してみたのだが。

「なに言ってるんスか。もらわないッスよ」
「え?」

 ラギーの答えは意外にもノーだった。何の見返りもなく、ラギーは自らの時間と技術をマリーに提供していると言うことになる。ラギーの性格なら「一文にもならないお願いはお断りッス」なんて言い出しそうなところなのに。

「本当に?」
「本当の本当ッス」
「……怪しい」
「もー!リリスさん、しつこいッスよ!」
「ラギー!」

 そのとき、喜びを爆発させたようなマリーの声が上空から聞こえた。そう、上空から聞こえたのだ。
 ラギーとリリスが条件反射で顔を上げると、箒に跨ったマリーは地上から三メートルほどのところまで浮かび上がっていた。マリーはどこか得意げな弾けるような笑顔で、ラギーを見下ろしている。

「どう?私、できたでしょう?」
「おおお!やるじゃないッスか!マリー!」

 そのときのラギーの表情を見て、リリスは察した。マリーを見上げるくしゃりとした笑顔の中に、落とされた一滴の桃色。それは、リリスがよく知る色だった。

「きゃぁ!?」
「えっ!?」
「ほ、箒が勝手に……!」
「うわ!マリー、落ち着くッス!」
「きゃあぁぁぁ!」
「マリー!」

 しかし、まだ飛行が不安定なマリーの箒が明後日の方向に飛び去ってしまったところで、ラギーは顔色を変えて自らも箒に飛び乗った。ラギーはマジフトの名手だと噂で聞いている。ラギーならすぐにマリーを捕まえ、無事に降ろしてあげることができるだろう。

「ふふ。ラギーくんにとってはマリーちゃんのあの笑顔が何よりの報酬かもしれないわね。今度会ったときはマリーちゃんをつついてみようかしら」

 マリーも、ラギーと同じような色を見せるだろうか。リリスが手に持っている林檎のように甘酸っぱい、恋の色を。



2021.08.20

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