清掃員さんとマネージャーさん

 清掃員の仕事の一つとして各寮の掃除がある。自室など寮生自身が行わなければいけない場所も多いが、談話室や廊下などの共用スペースは清掃のプロの手により常に綺麗に保たれる。
 この日、ヒトハはポムフィオーレ寮の清掃当番だった。とはいっても、美意識の高いポムフィオーレ寮生が使う部屋だけあり、特別汚れていた試しがない。きっと寮生達が当番制で掃除をしているのだろうとヒトハは感心すると同時に、ポムフィオーレ寮の担当の日には少し仕事がラクできることににんまりするのだった。

「失礼します」
「清掃員さん!」
「わっ!?」

 談話室の扉を開けた瞬間、大声で呼ばれたヒトハは肩を震わせた。現在、談話室内にはふたりしかいない。一年生のエペルと、ポムフィオーレ寮長でありモデルであるヴィルのマネージャーをしているリリスである。

「び、ビックリした……」
「ごめんなさい!えっと」
「ヒトハ、サン……ですよね」
「はい。どうかしましたか?」
「これ!これをなんとかして欲しくって」

 これ、と言ってリリスが指したのは手のひらほどのサイズに広がっている黒いシミだ。しかも、いかにも高級そうな絨毯の、よりにもよって白生地の部分に滲んでいる。
 傍に転んでいるグラスを見てヒトハはおおよその検討がついた。グラスをテーブルの上に戻し、テーブルの上にあったお菓子の空袋をゴミ袋に入れながら溜め息を吐く。

「こぼしちゃったんですか」
「はい……」
「ちなみに、なにを?」
「炭酸ジュースですね。ブドウの」
「ブドウ……これまた落ちにくそうな……」
「えっ?落とせません、か……?」
「ダメダメダメ!炭酸ジュースなんて飲んでたって知ったら、シミを作ったことよりも「そんな体に悪いものを!」ってヴィルが怒るのが目に見えてるわ。お願いしますヒトハさん!力を貸してください!」

 つまりこのふたり、あの美容や健康には厳しいヴィルの目を盗んでこっそり乾杯していたところ、証拠を残してしまったらしい。気持ちはわかる。仕事の合間に同僚と休憩しながらお茶を飲みお菓子を摘む時間は一日のオアシスともいえる。しかし、寮長が不在の間に寮の談話室でそれをやっているあたり、このふたりは中々の大物である。
 どうにかしてやりたいが、清掃員とはいえシミ抜きば専門外だ。うまく証拠隠滅できる保証はない。

「こういうのは広げたらダメですよね。叩くように抑えながら吸い取ってみましょう」

 まだ使用していない綺麗な雑巾をシミに押し当ててポンポンと叩くように吸い取る。少しは薄くなったように見えるが、あまり変化はない。どうやらシミができてからだいぶ時間が経っていたらしい。

「落ちませんね……」
「どうしよう……ヴィルに怒られる……!」
「あの、魔法はどうでしょう?ヒトハ、サン。アカデミー卒……なんですよね?」
「シミ抜きの実践魔法ですか。昔、家庭科の授業でした以来ですがやってみましょうか」
「シミ抜きの実践魔法なんてあるのね」

 感心するリリスの傍らで杖を取り出したヒトハは、その先をシミが広がった絨毯に当ててコツコツと2回叩く。すると、微かに、本当に微かだがシミの色味が薄まったのだ。

「薄くなった!」
「なりましたよね!?確実に!」
「リリス、サン!ヒトハ、サン!寮長が会議から戻ってきたみたいです!」
「げっ!?大変!ヒトハさん、早く早く!」
「お願いします!」
「わわ、待ってください……!」

 どうして自分がこんなに必死にならなければならないのかとヒトハは思ったが、窓の外を見て顔面蒼白にしているエペルを見てしまっては見捨てることもできない。それに、若い男子学生がジュース一つ飲んだだけでガミガミと怒られるのは、確かに可哀想ではあるのだ。
 コツコツ、コツコツ。ヒトハが魔法を使うたびにシミは薄くなっていく。しかしヴィルが談話室へ戻ってくるのも時間の問題だ。

「ヒトハ、サン……っ!」
「頑張ってくださいーっ!」
「っっっ〜!!」

 そして、ヒトハが最後に杖を振り下ろしたのと、ヴィルが扉を開けたのは同時だった。

「……アンタ達、床に這いつくばって一体何をしているのかしら?」

 ヴィルが見たのは、絨毯に手を付き疲れ切った表情を浮かべたヒトハとエペルとリリスの姿だった。絨毯のシミは綺麗さっぱり消えてしまっている。ヒトハの魔法はなんとか間に合ったようだ。

「えーっと……」
「私が落としたコンタクトをエペルくんとリリスさんが一緒に探してくださっていたんです!無事に見つかりましたし、おかげで助かりました!」
「あら、そう。うちの小ジャガ達が迷惑をかけてなくてよかったわ。それにしても、アナタ汗だくだけど大丈夫なの?」
「ご、ご心配なく……!」
「ヴィル、サン。あっちでルーク、サンが探していましたよ。会議のことが聞きたいって……行きましょう」
「そうね。予算について相談したいことがあるんだったわ」

 ヴィルを連れて談話室を出ていくエペルに「ナイス!」と、ヒトハとリリスは心の中で拍手を送る。姿が見えなくなってしまえばこちらのものだ。顔を合わせてへにゃりと笑い合う。

「ヒトハさん、ありがとう。シミ落としも、ヴィルを誤魔化してくれたのも」
「あはは、間に合ってよかったです。でも、次は気をつけてくださいね?」
「もちろん。それに、次にこっそりお菓子パーティーをするときはお礼にヒトハさんも呼びますからね」
「それは喜んで!でも、ポムフィオーレじゃないところでしましょうね。ヴィルくんに見つかったら大変なので」
「ふふっ。確かに」

 一時はどうなることかと思ったが、結果的に仕事の合間の楽しみが一つ増えたようなので良しとしよう。微かに笑みをこぼしながら、ヒトハは清掃業務へと戻るのだった。



2020.07.05

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