清掃員さんとパーティーの夜

※『beso』あまこさんよりうちよそ小説を書いていただきましたので、許可をとって掲載させていただきます。ありがとうございました!
※ヒトハちゃん(お相手:クルーウェル)が出てきます。

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 今週末は空けておくように。
 突然クルーウェルから言われて、ヒトハはよく分からないまま「わかりました」と答えた。
 予定らしきものもないし、そもそも断る理由もない。それにデートだなんだと浮かれるにはあまりに普段の接点が多すぎて、なにか人手がいることでもあるのだろうかと適当に考えていたのだ。

「こんなの聞いてないです……」
「当然だ。言ってないからな」

 言ったら逃げるだろうが、と言われて唸る。確かに言われたら逃げるだろうな、という確信があった。
 ――ここは名だたるハイブランドの店舗が立ち並ぶ薔薇の王国の一角。見覚えはあるが一度も触ったことの無いようなブランドのロゴが視界にいくつも入ってきて、異世界にでも迷い込んだかのようだ。
 なぜこんなところにいるのかというと、国内一の大型店舗のリニューアルオープン記念、いわゆるレセプションパーティーに縁あってクルーウェルが招待され、そのパートナーとして選ばれてしまったからだ。

(帰りたい……)

 昼間から散々連れ回されて全身コーディネートされた挙句、その間にブランドコンセプトから今季のテーマ、トレンド諸々を一気に頭に叩き込まれ、既に疲労困憊である。
 そのうえ、ここには右を見ても左を見てもセレブな雰囲気の男女か記者のような者しかいない。
 目の前でジャケットのボタンを留めながら身なりを整えている彼もきっとその一員で、極東の片田舎から出て来た小娘風情の自分には、あまりに荷が重いことだった。

「さて、ファッションはドレスコードさえ間違えなければ自由だが、こういう場においてブランドのアイテムを一つは身に付けておくのがマナーなのは分かるな?」
「わかりません」

 ぷい、と拗ねてそっぽを向くと、クルーウェルは片眉を上げて「仕方のないやつだな」とため息を吐いた。

「そう身構えるな。考えすぎるのはお前の悪い癖だ」
「だって先生――」

 クルーウェルは不意にヒトハの背後に回ると、頭の両脇からすっと腕を伸ばした。
 突然首元に金属が当たるようなひんやりとした感覚がして、肩が跳ねる。

「今日は“先生”は無しだ。万が一にでも詮索されたら面倒だからな。名前で呼べ」
「名前?」
「“デイヴィス”」
「デ……クルーウェルさん」

 頑固だな、と再び呆れられてヒトハは肩を落とした。
 考えすぎだと言うが、こんな大役、果たして務まるものなのだろうか。




「せ……クルーウェルさんって、一般人でしたよね?」

 ヒトハの問いに、クルーウェルはにやりとして「どうだろうな」と答えた。
 ナイトレイブンカレッジの教師がこんな場所にいていいはずがない。なぜならここでは、どこかで見たような人達が当たり前のようにすれ違う。

「縁というものはいつどうやって結ばれるか分からないものだ」
「はぁ」

 もっともらしいことを言いながら、クルーウェルは会場中を自由に歩き回った。かろうじてゆったりとした歩調だが、慣れないヒトハにとってはそれでもついて回るのが精一杯だ。立食パーティーだと言うが、今日ばかりは酒にも手が伸びない。
 彼の挨拶回りに連れまわされて興味深い視線を浴びる度に、ヒトハは身が縮む思いがした。

「ヒトハさん?」

 来季のコレクションだというディスプレイを眺めながらぼうっとしていると、不意に声を掛けられてヒトハは振り返った。

「リリスさん?」

 そこにいたのはナイトレイブンカレッジにてヴィルのマネージャーとして活躍しているリリス・スピネットだった。
 身に纏う品の良いブラックドレスは決して派手ではないが、彼女の白く透き通った肌と隠し切れない美貌を際立たせている。
 見た瞬間に目を奪われたが、知り合いと気づいた途端にヒトハはほっと胸を撫で下ろした。この場において、同性の知り合いほど心強いものはない。

「わぁ、こんなところで会えるなんて。リリスさん、とても綺麗ですね」
「ありがとう。今日はヴィルが選んでくれたの」

 リリスはドレスの裾をほんの少し持ち上げてヒトハに見せると、いつもの明るい笑顔を浮かべた。
 そしてちらりと後ろにいるクルーウェルを見つけて「なるほどね」と笑みを深くする。

「ちょっとリリス、離れないで。――あら?」
「シェーンハイトか」

 リリスを追うように現れたヴィルはクルーウェルに気がつくと、さっと周囲に視線を巡らせて声を低くした。

「場所を移した方が良さそうね」


 四人は示し合わせたかのように会場の隅に移動した。
 ヴィルとリリスが並んで歩くと多くの視線がついて回る。それは憧れであったり、好奇であったり、なにかネタになることはないかと探るような目だ。しかし彼らは遠巻きにこちらを窺うことはあっても近づいてくることはない。
 リリスはヒトハの手を取ってヴィルとクルーウェルから少しだけ距離を取ると、ヒトハを上から下まで興味深く眺めてにっこりとした。

「ヒトハさんも素敵ですよ。トレンドをバッチリ押さえてて……それにとってもよく似合ってるわ、それ。今シーズンの限定でしょう?」

 リリスは自らの首元をトントンと指差しながら言った。
 そういえば先程何かを着けられたな、と思い出して指で摩る。確かに何かがあるのだが、自分の目ではよく見えなかった。今シーズンの限定、と言うくらいだから有名なのだろうか。
 あまりファッションに詳しくないヒトハにしてみれば、リリスが当たり前のように言い当てたことがとても凄いことのように思えた。

「リリスさんは凄いですね。色んなことを知ってるし。私にはさっぱり」
「そんなことないわ。ヴィルと知り合ってから色々教えて貰ったし、自分で勉強し始めたのもそれからだもの」
「……大変じゃない?」

 リリスは大きな目を瞬いて、ふと柔らかく細めた。

「大変だけど大丈夫。ヴィルがいるもの」

 少しだけ頬を染めて少女のように笑う姿は、会場で初めて見た時の姿とは違う。

(あ……)

 綺麗な人だな、と思った。
 それは研ぎ澄まされた美貌の先にあるものではない。内から滲み出る美しさが彼女を“綺麗”と言わしめるのだ。
 ヒトハは言葉を忘れ、束の間その姿に見惚れた。

「リリス、そろそろ行きましょうか。まだ挨拶、回りきれてないでしょう?」
「そうね」

 意識を引き戻したのはクルーウェルと話し終えたヴィルの声だった。
 リリスはさっと仕事の表情に戻ると、再びヒトハの両手を取って微笑んだ。

「――じゃあ、また」

 ヴィルがそっとリリスの腰に手を添え、流れるような動作で立ち去る様を見送りながら、ヒトハはうっとりとため息を吐いた。

「素敵ですね、あの二人」
「まったくだな。ともあれシェーンハイトがここに来たことは明日の記事にでもなっているだろう。あいつがスピネットを撮らせるかは分からないが」

 リリスはヴィルのマネージャーだ。ヴィルより前に出ることはなく、メディアに露出することもない。けれど確かに二人でいることによって出せる雰囲気というものがある。
 ヴィルの動向を知りたがる人たちにとっては、彼女の存在はさぞ気になることだろう。

「そういえば、ヴィル様、普段学園とかテレビで見てる印象とはちょっと違いましたね」
「ほう。たとえば?」
「雰囲気がいつもより落ち着いているというか、大人っぽいというか。スマートな感じに見えます」
「なるほど、お前にはそう見えるんだな」

 私には? と聞き返すと、クルーウェルはヒトハに向き直り教師の顔を覗かせた。

「スピネットはお前も知る通り実に美しい女性だ。しかもあのシェーンハイトとここへ来ているわけだから、マネージャーとはいえ当然注目を集める」

 唐突に始まった何の関係もなさそうな話に、ヒトハは首を傾げた。
 彼は勿体ぶったような言い方で、さらにヒントを与えるように続ける。

「そしてシェーンハイトはこの場ではかなり若い方だ」
「つまり、どういうことですか?」

 問いながら、ふと視線を感じて首を捻ると知らない男性と目が合った。記者なのか、生真面目なスーツを着込んでいる人だ。

「わ」

 ヒトハは突然やんわりと腰に手を回されたかと思うと、くるりと身体を反転させられた。あまりに自然で抵抗する暇もなく、小さく声をあげる。
 見上げるとクルーウェルは遠くに向けていた視線をすっと落とした。

「こういうことだ。分かるか?」
「……“よそ見をするな”ってこと?」

 難しそうな顔をして回答するヒトハを見て、彼は困ったように笑った。どうやら不正解で、まったくお前はしょうがない、と言われているかのようだ。

「まぁ、悪くない回答ではあるが」
「むむ」

 ヒトハが悔しがって答えを見つけようとするのを遮り、クルーウェルは目の前に手を差し出した。

「さて、もう少し付き合ってもらおうか。――お前ならできるな?」

 その時、リリスの「ヴィルがいるもの」という言葉がふと頭をよぎった。
 思えばこの会場にずっと一人で放り投げられていたような気がしていたが、目の前にいるこの男が片時も離れず隣にいたのだ。
 もう少し、新しいことに飛び込む勇気を持ってもいいのだろうか。

「……ええ、“デイヴィス”」

 やっぱり彼女のようにはいかないけれど。
 気恥ずかしげに視線を彷徨わせるヒトハの手を取って、クルーウェルは満足そうに言った。

「ウェルダン。やればできるじゃないか」
「やっぱり帰りたいです」

 却下だ、と笑う声に眉を顰めながら、けれどもその手を握り返して、ヒトハは再びパーティーの中心へ踏み出した。


【パーティーの裏側で】
 会場の隅、リリスとヒトハから少し離れて。
 クルーウェルはリリスを見やりヴィルに向き直った。

「見事だ、シェーンハイト。お前は原石を磨くことにかけては一流だな」

 リリス・スピネットは、この会場の中でも一際目を引く女性だ。それは元来彼女の持つ美しさがヴィルによって磨かれ、洗練されたからに他ならない。
 クルーウェルにしてみればマネージャーにしておくには惜しいほどの人材ではあるが、彼らはビジネスにおいてその関係を崩すことはない。それぞれの立場があってこそ、輝くものもあるのだろう。
 クルーウェルの言葉にヴィルは端正な眉を跳ね上げて、挑発的に笑った。

「磨くことにかけて“も”でしょう? でも、アタシは背を押すだけ。あとは本人の努力次第ですから」

 その“押す力”が他の者より遥かに強力なわけだが。
 クルーウェルは「殊勝なことだ」と笑った。

「それより、彼女にとってこの場所は居心地が悪いのでは? 先せ……クルーウェルさんなら、選べないことはないでしょう?」
「そう言ってやるな。じきに慣れる」
「“慣れさせる”ではなく?」

 ヴィルが意地悪そうに言うのをそっくりそのまま返すように、クルーウェルは口の端を吊り上げた。

「俺は気に入った生地で俺に似合う服を仕立てるのが好きなんだ」
「……それ、彼女には言わない方がいいですよ」
「言わん。言ったら逃げるからな」

 逃げるのを分かっていながらやるからタチが悪いのだ。
 ヴィルはリリスが楽しそうにヒトハと話すのを見て「ほどほどにしてください」と苦々しく釘を刺した。




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