黒猫の雨宿り

雨が窓を叩く音がやけに大きく聞こえる。レインがイーブイの口を押さえて硬直したまま動けない状態になり、どのくらい経っただろうか。レインの視線の先には、ベッドですやすやと寝息をたてている女性の姿がある。

「ど、どうしよう……」

事の発端は一時間ほど前に遡る。

今日はデンジ宅にていつものメンバー……ナギサの信号機トリオで宅飲みをしようという日だった。デンジやオーバ達より一足先に仕事を終えたレインは、先にデンジの家に行き酒のつまみでも作っていようと思い、家の主に鍵を借り雨の中をイーブイと共にデンジ宅に向かった。
すると、予想していたことではあるがしばらく見ないうちに彼の家は無法地帯になっていたので、まずは片付けをしようと思ったのだ。ここまでは良かった。
リビングとキッチンを簡単に片付け、ついでだからと何の意味もなしに寝室に向かったのがいけなかったのだ。扉を開けるなり、レインは息を呑んでしゃがみ込み、イーブイの口を押さえ込んだ。

「ど、どうしよう……!」

そして、冒頭に戻る。

デンジのベッドの上で眠っていたのは、それはそれは美しい女性だった。
シャワーでも浴びた後なのだろう、艶っぽい髪は微かに湿っているようだ。程良く肉が付いた長い足は惜しみなくさらけ出されている。極めつけは、女性の象徴ともいえる胸である。ブランケットから微かに見える胸元を見ただけでも、レインは彼女と自身の体つきが根本的に違うことを悟った。

「神様って不公平……じゃなくって」

デンジがいない間に彼のベッドで眠る女性。しかもシャワーを浴びた痕跡まである。以上から察するに、この女性はデンジの恋人だろうとレインは考えた。
だとしたら、レインが今この場にいることは非常にまずいことだ。彼女が起きてレインを見つければ、良い気はしないだろう。幼なじみとはいえ、恋人の留守中に勝手に上がられては誰でも良い気はしないものだ。恋愛に疎いレインでも、それくらい察することは出来た。
レインはイーブイの口を押さえたまま、イーブイをそっと抱き上げ、女性に背を向けた。このまま、足音をたてずに退散すれば良い。そうすれば荒波が立つことはない。

「ブイー!ブイッ!」
「ご、ごめんなさい……お、お願いだからもう少しだけ静かに……」
「っ、ふぁ……あー、よく寝た」

起き抜けの声と、ブランケットがめくれる音がした。万事休す、である。
おそるおそるレインが振り返ると、女性の視線と自身のそれが絡み合った。瞼の下に隠れていたのは、太陽のような金の瞳だった。
彼女は未だ眠気が醒めないらしくベッドの上で欠伸をしながら伸びをしている。まるで、ニャルマーのようだ。

「……!」
「……ん?」
「あ、あの!えっと!違うんです!私はデンジ君の幼なじみで!本当にただの幼なじみで!」
「……」

ニャルマーのように目を鋭く細めながら、女性はレインに詰め寄っていく。レインはイーブイを胸に抱きしめながら後ずさり、壁に背をついた。
美人が凄むと恐ろしいという言葉を今ほど実感したことはない。造り物のように端正な顔に見下ろされ、見つめ合うこと数秒間。その金の目は先ほどとは違い、柔らかく細められた。

「あー、驚いた。ここはデンジの家であっているんだよな?」

返事の代わりに、首を縦に勢いよく何度も振る。それはもう、壊れた人形の如く。

「よかった。全く他人の家に上がり込んでいたのかと思った。で?幼なじみ?あいつの?」
「は、はい!レインです!」
「私はキサラギカエデだ。よろしく」

美人が怒ると凄みが増すとはよく言うが、やはり笑顔に適う表情はないなとレインは思った。思わず見惚れてしまっていると、目の前で手をふらふらと振られ、慌てて我に返り頭を下げる。どうやら、今回のデンジの恋人は理解のある女性のようだ。
とは言っても、幼なじみとはいえ勝手に寝室に入った、否、許可を得たとはいえ家主がいないときに家に上がったのはまずかった。これからは気をつけようと心に誓った。
ふと、カエデの視線がレインの腕の中に向いていることに気付く。イーブイを見つめているカエデはどこか寂しそうで、カエデに見つめられているイーブイは何故か怯えていた。

「イーブイ?どうしたの?」
「……ブイ」
「ごめんなさい。この子、普段は人見知りとかしないのに」
「いや……いいんだ。慣れているし」
「慣れて……?」
「カエデ!?」

仕事を終えて酒を買い込み家に帰ってきたデンジは、思わず酒が入っていたビニール袋を取り落としてしまった。中身の炭酸がどうなろうと知ったことではないと言わんばかりに缶を蹴りながら、話していた二人に近付く。

「おまえいつ来たんだよ!?」
「えーっと、昼過ぎ?いきなり降ってくるんだから参った参った。あ、シャワー借りたからな」
「見りゃわかる!つか、毎度ながらどこから入った!?」
「窓。今日は鍵がかけ忘れていたから入るのも楽だったが、不用心だぞ?」
「おまえが言うか!?」
「あ、あの」

青ざめるデンジとは対照的に、レインは笑顔だった。
今までのデンジとその恋人は、どこか距離があるというか、どれもお世辞にも仲が良いとは言い難い関係だったからだ。目の前の二人のやりとりを見て安心したと言っても良い。痴話喧嘩すら微笑ましく思えた。

「デンジ君。飲み会はまたにしましょう?せっかく彼女さんがいらっしゃっているんだもの」
「お、おい、レイン」
「カエデさん。デンジ君をよろしくお願いします」
「?」
「じゃあ、また」

一度思い込んだらそうだと思い込むのはレインの悪い癖である。
本人は二人に気を利かせたつもりだった。デンジが止める間もなく、そそくさとその場を退散したレインと入れ違いに部屋に入ってきたオーバは、全てを察しため息をついた。

「タイミングが悪いな、おまえも」

レインがデンジとカエデの関係を誤解だと気付くのは、もう少し先の話である。





20130430
PREV INDEX NEXT

- ナノ -